
すべての存在には、そのものを顕す名が付いている。仏の深く広い無限の内容を具(そな)える根本の悟りにも、それを顕す名前が説かれている。それが南無妙法蓮華経である。名があれば、そこには体(たい)、宗(しゅう)、用(ゆう)があり、教がある。この題目には仏の広大な悟り、すなわち人生万般の道理、法界の真理が具わるので、妙法を唱えればその体に達し、自在の徳を得ていくことができる。故に、自らをもって唱えるとともに、他の一切の人々にも題目を唱えることを勧めることが大切である。
(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』 30ページ)
令和7年10月26日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
» 続きを読む

【令和4年から】★成人式
【令和7年】★本堂大改修工事 ★御会式(10月26日)★お餅つき(12月21日)【令和6年】★御会式(11月17日)★お餅つき(12月15日)【令和5年】★御会式(10月15日)★宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念 支部総登山(4月・9月・11月)★お餅つき(12月17日)【令和4年】★御会式(10月23日)★お餅つき(12月18日)【令和3年】★大乗山持経寺 座替り式 並 第三代住職入院式(11月26日)★お餅つき(12月19日)
令和8年5月3日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より『諸経と法華経と難易の事』を拝読申し上げ、「間違った宗教・思想の考えを持った人々を、慈悲を根本とする大聖人様の仏法をもって折伏していかなければ、世の中は絶対に良くなりません。そして相手個人への攻撃ではなく、その誤った宗教・思想を破折していくことが折伏です。日顕上人様は、ご自身にあれほどの迫害を加えてきた池田大作でさえも憎んでいない、ただただ池田大作の三宝破壊の根本的な信心の誤りを破折しなければならないと仰せでありました。私たちもそうしたスタンスで、大聖人様の正しい教えを拝して勧めていくことが大切です。その姿の中に必ずや仏国土が築かれ、私たちもその国土世間に安住して幸せになるのです。私たち一人一人の力は小さくとも、多くの人が集まれば大きな力となりますから、皆で力を合わせて精進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
『諸経と法華経と難易の事(しょきょうとほけきょうとなんいのこと)』
弘安3年5月26日 59歳
仏法やうやく顛倒(てんどう)しければ世間も又濁乱(じょくらん)せり。仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。
(御書1469頁9行目〜10行目)
令和8年5月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『日妙聖人御書』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要等について述べられ、「この御書を拝するに、何があっても正しい信心を続けること、そして根本である本門戒壇の大御本尊様に御目通りいただくことの大事を学んでいただければと思います。その信心の姿は、どういう時代が来ようとも、どういう姿になろうとも変わるものではありません。何があっても、淡々とご精進をお願いいたします。」等と述べられ、さらに「4月の折伏強化月間をもって、1月1日から続けてきた百日間唱題行も区切りとなりました。そこでこの5月からは毎日、いつもより10分多く唱題することを心掛け、自身の幸せと折伏行が進むように皆でご祈念していただきたいと思います。」等との御指導をいただきました。
『日妙聖人御書(にちみょうしょうにんごしょ)』
文永9年5月25日 51歳
然るに玄奘(げんじょう)は西天に法を求めて十七年、十万里にいたれり。伝教御入唐但二年なり、波濤(はとう)三千里をへだてたり。此等は男子なり、上古なり、賢人なり、聖人なり。いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を。竜女が即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)の記別(きべつ)にあずかりしも、しらず権化(ごんげ)にやありけん。又在世の事なり。男子女人其の性本(もと)より別れたり。火はあたゝかに水はつめたし。海人(あま)は魚をとるにたくみなり。山人(かりうど)は鹿をとるにかしこし。女人は婬事(いんじ)にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。いまだきかず、仏法にかしこしとは。
(御書606頁3行目〜8行目)
■お経日(1日) ■広布唱題会(5日) ■御報恩御講(12日) ■第1回 持経寺支部総登山(19日) ■宗旨建立会(28日)
『宗旨建立』(昭和五十六年 宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌記念『日蓮大聖人御一代絵圖』より)
令和8年4月28日午後1時より、持経寺本堂において宗旨建立会(しゅうしこんりゅうえ/立宗会)が奉修されました。
宗旨建立会は、末法の御本仏・日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の大法の宗旨を建立し、立宗を宣言あそばされた建長5年(1253年)4月28日を記念して御報恩申し上げる法要です。
読経・唱題ののち、天野御住職より、御法話のはじめに『開目抄』の御文を拝読申し上げ、大聖人は幼名「善日麿』12歳での清澄寺入山、16歳で道善房を師として「是生房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」と名乗られての御出家からわずか2年で清澄寺での研鑽を終えられ、比叡山・三井寺・薬師寺・高野山・東寺・仁和寺・天王寺等々での14年間の諸国遊学等について述べられたのち『妙法比丘尼御返事』を引用され、「大聖人様は肝要を知る御本仏の広大な御智慧から、枝葉の細かな経々や教釈に目を通さずとも真理を覚知され、この世の災いの一切の原因は、釈尊出世の本懐である〈法華経〉を蔑ろにした邪義・邪宗にあると看破されました。」等と述べられました。さらに『観心本尊抄』を引用され、「釈尊滅後2000年以後の末法においては、法華経に予証・予言される通りに御本仏・日蓮大聖人が御出世になり、一切の根本である南無妙法蓮華経のお題目を、建長5年3月28日に御内証の上から内々の方々に宣示あそばされ、4月28日、一切衆生成仏のため外用(げゆう)弘通の立宗を宣言あそばされました。」等と述べられ、さらに『四条金吾女房御書』を引用され、「日蓮」との御名乗りの意味等々について御法話いただきました。
そして最後に、「冒頭拝読の『開目抄』の御文の通り、日蓮大聖人は身命に及ぶことを御覚悟の上で、末法濁悪の世の一切衆生救済のために南無妙法蓮華経を唱え出されたのです。そのことを私たちは、毎年4月28日の立宗会において再確認することが大切です。そして大聖人様のお振舞いのままに慈悲の折伏行に精進しなければなりませんし、それができるのは大聖人様の正しいお題目を唱える私たちしかいません。その折伏をもって、大聖人様に御報恩謝徳申し上げましょう。」等と述べられ、御法話を結ばれました。
『開目抄(かいもくしょう)』
文永9年2月 51歳
日本国に此(これ)をしれる者、但(ただ)日蓮一人(いちにん)なり。これを一言(いちごん)も申し出(い)だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟(しゆい)するに、法華経・涅槃経等に此(こ)の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ。
(御書538頁)
『妙法比丘尼御返事(みょうほうびくにごへんじ)』
弘安元年9月6日 57歳
此等(これら)の宗々枝葉(しゅうじゅうしよう)をばこまかに習はずとも、所詮(しょせん)肝要を知る身とならばやと思ひし故に、随分にはし(走)りまはり、十二・十六の年より三十二に至るまで
(御書1258頁)
『観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)』
文永10年4月25日 52歳
此(こ)の時地涌千界(じゆせんがい)出現して、本門の釈尊を脇士(きょうじ)と為(な)す一閻浮提(いちえんぶだい)第一の本尊、此の国に立つべし。
(御書661頁)
『四条金吾女房御書(しじょうきんごにょうぼうごしょ)』
文永8年5月 50歳
明らかなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮又日月と蓮華との如くなり。
(御書464頁)
令和8年4月19日、天野御住職の御引率のもと、『令和8年 第1回持経寺支部総登山』が挙行されました。
当日は快適な気候に恵まれ、雄大なる富士山のもと晴れやかな御登山となりました。
今回は午前10時より墓参が行われ、天野御住職の御導師のもと、総本山第六十七世日顕上人様、持経寺初代御住職・教行阿闍梨法胤房日生大徳、および持経寺合葬墓にて読経・唱題・焼香が厳粛に執り行われました。
午前11時には約160名の参加者が総一坊3Cに集合、全体会を開催し天野御住職より御指導をいただきました。
そののち皆で一緒に昼食をいただき、小憩ののち午後1時30分より御開扉を頂戴いたしました。そして終了後再び休憩坊に集合し天野御住職より御指導をいただき、今回の支部総登山の一切を無事に終了いたしました。
▲総本山第六十七世日顕上人
▲三師塔前にて記念撮影
▲持経寺初代御住職・教行阿闍梨法胤房日生大徳
▲持経寺合葬墓
令和8年4月12日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち天野御住職より令和8年4月度・御報恩御講拝読御書『曾谷入道殿許御書』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要、正像末の三時、種熟脱等について述べられ、「皆さんに本当に頑張っていただきたいのは、法灯相続です。ただ御授戒をいただいただけとかではなく、毎月の御報恩御講に参詣し、支部総登山に参加する。寺院参詣と御登山ができてこそ法灯相続と言えます。皆さんは、その責任を果たさなければ死んでも死に切れないという思いで頑張っていただきたいと思います。」等と御指導され、さらに「末法の私たちは、南無妙法蓮華経の下種を受けてこそ成仏を遂げるのですから、皆さんの周りに悩み苦しむ人がいたら、必ず乗り越えていけることを教え折伏してまいりましょう。不軽菩薩のように周りの多くの人たちに正法を教えていく。もし嫌な思いをしたとしても、慈悲の上において粘り強く頑張って、嫌な顔一つせず淡々と仏様のお使いをしていくことが、私たちの信心のあるべき姿だと思います。その中で人格が磨かれ、曲がった性根もまっすぐとなり、誰からも信頼され感謝される幸せな境界となるのです。」等と御法話を結ばれました。
また御報恩御講終了後、各総地区ごとに集まって座談会が開催されました。
『曾谷入道殿許御書(そやにゅうどうどのもとごしょ)』
文永12年3月10日 54歳
仏の滅後(めつご)に於て三時(さんじ)有り。正像(しょうぞう)二千余年(にせんよねん)には猶(なお)下種(げしゅ)の者有り。例(れい)せば在世(ざいせ)四十余年(しじゅうよねん)の如し。根機(こんき)を知らずんば左右(そう)無く実教(じっきょう)を与(あた)ふべからず。今は既に末法に入(い)って、在世の結縁(けちえん)の者は漸々(ぜんぜん)に衰微(すいび)して、権実(ごんじつ)の二機(にき)皆(みな)悉(ことごと)く尽きぬ。彼(か)の不軽菩薩(ふきょうぼさつ)、末世(まっせ)に出現して毒鼓(どっく)を撃(う)たしむるの時なり。
(御書778頁15行目〜17行目)
令和8年4月5日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、本年4月2日付にて神奈川布教区・宗務支院長に就任されたことについて種々ご挨拶をいただき、「皆で懸命に折伏をし、皆で手を携えて御登山をし、そして御報恩御講に参詣することが持経寺にとっての助けとなり、また持経寺が神奈川布教区全体を牽引する上においても大きな力となります。いつも申し上げるとおり、これからも何があっても淡々と、御講に参詣し、御登山をし、日々に勤行・唱題をして折伏に励むことで、大きな福徳が積まれてまいります。」等との御指導をいただきました。
令和8年4月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『異体同心事』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要、および熱原法難の経緯等について述べられ、「熱原の三烈士は私たち法華講の原点であり、大聖人様はこの熱原法華講衆の不惜身命・死身弘法の御信心を鑑みられ、出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊様を御建立になりました。この『異体同心事』は、法華講衆が異体同心して正法弘通に励むならば、必ずや広宣流布の大願も成就すると、さらなる異体同心の御信心を薦められているのです。この4月は御宗門より、折伏強化月間と銘打たれております。本年の折伏誓願の達成に向けて、異体同心して折伏成就に向かって努力して参りましょう。」等との御指導をいただきました。
『異体同心事(いたいどうしんじ)』
弘安2年8月 58歳
あつわら(熱原)の者どもの御心ざし、異体同心なれば万事を成(じょう)じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさ(軍)にまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たが(違)いて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはき(消)ゑぬ。此の一門も又かくのごとし。
(御書1389頁〜1390頁)
〒211-0025
川崎市中原区木月3-35-12
電話:044(411)6826
■過去のトップページ一覧
◎令和3年12月 ◎令和4年1月 ◎令和4年2月 ◎令和4年3月 ◎令和4年4月 ◎令和4年5月 ◎令和4年6月 ◎令和4年7月 ◎令和4年8月 ◎令和4年9月 ◎令和4年10月 ◎令和4年11月 ◎令和5年1月 ◎令和5年2月 ◎令和5年3月 ◎令和5年4月 ◎令和5年5月 ◎令和5年6月 ◎令和5年7月 ◎令和5年8月 ◎令和5年9月 ◎令和5年10月 ◎令和5年11月 ◎令和5年12月 ◎令和6年1月 ◎令和6年2月 ◎令和6年3月 ◎令和6年4月 ◎令和6年5月 ◎令和6年7月 ◎令和6年8月 ◎令和6年9月 ◎令和6年10月 ◎令和6年11月 ◎令和6年12月 ◎令和7年1月 ◎令和7年2月 ◎令和7年3月 ◎令和7年4月 ◎令和7年5月 ◎令和7年6月 ◎令和7年7月 ◎令和7年8月 ◎令和7年9月 ◎令和7年10月 ◎令和7年11月 ◎令和7年12月 ◎令和8年1月 ◎令和8年2月 ◎令和8年3月 ◎令和8年4月