神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

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令和4年5月

■広布唱題会/一日詣り・永代経(1日) ■御報恩御講(8日)

★御報恩御講(8日)

令和4年5月8日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち令和4年5月度・御報恩御講拝読御書『善無畏三蔵抄』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、本抄の縁由および全体の概要、拝読部分の通解ののち、大聖人が師である道善房を折伏・教化したお姿を拝して「自分にとって大事な方々に対しては強い気持ちを持ってしっかり折伏をしていくこと」が大事であること。また折伏は慈悲の心をもって進めることが大切であると述べられ、さらに御法主日如上人猊下の御指南を引かれ、今こそ一人一人が唱題根本に折伏行に精進し、自他ともに幸せになることが大切であると御指導いただきました。
そして最後に、「生涯にわたって」「何があっても」「淡々と」信心をまっとうしていただきたいと述べられ、御法話を結ばれました。

『善無畏三蔵抄(ぜんむいさんぞうしょう)』
文永7年 49歳

「仮令(たとい)強言(ごうげん)なれども、人をたすくれば実語(じつご)・軟語(なんご)なるべし。設(たと)ひ軟語なれども、人を損(そん)ずるは妄語(もうご)・強言なり。当世(とうせい)学匠(がくしょう)等の法門(ほうもん)は、軟語・実語と人々は思(おぼ)し食(め)したれども皆強言・妄語なり。仏の本意(ほんい)たる法華経に背(そむ)く故(ゆえ)なるべし。日蓮が念仏申す者は無間地獄(むげんじごく)に墜(お)つべし、禅宗・真言宗も又(また)謬(あやま)りの宗(しゅう)なりなんど申し候(そうろう)は、強言とは思(おぼ)し食(め)すとも実語・軟語なるべし。」
(御書445頁10行目-14行目)

★広布唱題会/一日詣り・永代経(1日)

令和4年5月1日午前9時より、広布唱題会並びに一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
午前9時より広布唱題会が奉修され、唱題終了後、天野御住職より『法華初心成仏抄』の「よき師とよき檀那とよき法と〜」の御文が示され、この「よき師」「よき檀那」「よき法」の三つについて同抄よりさらに御文を引用され、「よき師」の根本は日蓮大聖人であり、そして大聖人の血脈を継いでおられる御法主上人猊下がその時々における第一番のよき師であり、「よき檀那」とは仏法の教え通りに信心をする方であり、「よき法」とは法華経が第一の根本であり、大聖人お悟りの南無妙法蓮華経の御本尊であり、この三つが寄り合って私たちの願いが叶っていく。また寺院においては、大聖人様の血脈を受け継がれた御法主上人猊下の御命によって、住職として血脈が整った形において赴任しており、総本山を念頭に置きつつ、僧俗一致してこのお寺で信心修行していくことが、この三つが寄り合う姿になると御指導をいただきました。

『法華初心成仏抄(ほっけしょしんじょうぶつしょう)』
弘安元年 57歳

「よき師とよき檀那(だんな)とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就(じょうじゅ)し、国土の大難をも払ふべき者なり」
(御書1314頁)
「よき師とは、指したる世間の失(とが)なくして、聊(いささか)のへつ(諂)らうことなく、少欲知足にして慈悲あらん僧の、経文に任せて法華経を読み持ちて人をも勧めて持たせん僧をば、仏は一切の僧の中に吉(よ)き第一の法師なりと讃(ほ)められたり。」
(同頁)
「吉き檀那とは貴人にもよらず賤人(せんにん)をもにくまず、上にもよらず下をもいやしまず、一切人をば用いずして、一切経の中に法華経を持たん人をば、一切の人の中に吉き人なりと仏は説給へり。」
(同頁)
「吉き法とは、此(こ)の法華経を最為(さいい)第一の法と説かれたり。已説(いせつ)の経の中にも、今説(こんせつ)の経の中にも、当説(とうせつ)の経の中にも、此の経第一と見えて候へば吉き法なり。」
(同頁)

小憩ののち、引き続き一日詣り・永代経が奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『経王殿御返事』の御文を拝読申し上げ、通解ののち同抄の縁由と概略、そしてこの御文から御本尊様に対する絶対的な信行の大事ということが拝せられると述べられたのち、第二十六世・日寛上人の御指南を引かれ、妙法の四力(仏力・法力・信力・行力)の一つでも欠けることのないよう、ご自宅の御本尊様を大事にすると同時に、所属寺院の常住御本尊様、総本山の大御本尊様を大事にすることが妙法の四力が整うことになる。また寺院参詣や総本山への登山、また折伏・家庭訪問等での一歩一歩の歩みに無量の功徳が積まれ寂光の都に近づく姿があると信じて、これからも勤行・唱題・折伏に精進いたしましょうとの御法話をいただきました。

『経王殿御返事(きょうおうどのごへんじ)』
文永10年8月15日 52歳

「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽云はく「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給ふ。経王御前にはわざはひも転じて幸(さいわ)ひとなるべし。あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。「充満其願、如清涼池」「現世安穏、後生善処」疑ひなからん。」
(御書685頁)

令和4年4月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(3日) ■御報恩御講(10日) ■宗旨建立会(28日)

★宗旨建立会(28日)

令和4年4月28日午後1時より、持経寺本堂において宗旨建立会(しゅうしこんりゅうえ/立宗会)が奉修されました。
宗旨建立会は、末法の御本仏・日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の大法の宗旨を建立し、立宗を宣言あそばされた建長5年(1153年)4月28日を記念して御報恩申し上げる法要です。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『開目抄』の御文を拝読申し上げ、大聖人は幼名「善日麿』12歳での清澄寺入山、16歳での「是聖房蓮長」 と名乗られての御出家から、比叡山・三井寺・薬師寺・高野山・東寺・仁和寺・天王寺等々の諸国遊学を経て、この世の災いの原因は釈尊出世の本懐である「法華経」を蔑ろにした邪義・邪宗にあると看破され、建長5年3月28日に御内証の上から少機に宣示あそばされ、4月28日、万機に対して外用(げゆう)弘通の宗旨建立を宣言あそばされ、「日蓮」と名乗られたこと等々について御法話いただきました。
そして冒頭拝読の『開目抄』の御文の通り、日蓮大聖人は身命に及ぶことを御覚悟の上で、末法の一切衆生救済のために南無妙法蓮華経を唱え出されたことを、私たちは毎年の立宗会において確認し、慈悲の折伏行に精進することが肝要であると御法話を結ばれました。

『開目抄(かいもくしょう)』
文永9年2月 51歳

「日本国に此をしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ」
(御書538頁)

★御報恩御講(10日)

令和4年4月10日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち令和4年4月度・御報恩御講拝読御書『白米一俵御書』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、本抄が別称『事理供養御書』とされる由縁等と本文の通解ののち、本抄の要点は「帰命」「事供養と理供養」の二つであると述べられ、日顕上人の御指南を引かれて、「自分本位・自分中心」の勤行唱題の姿勢は誤りであり、御本尊様が中心である勤行唱題、我が身の命を御本尊様に捧げる「帰命」の唱題が大切であること。そして私たちは雪山童子のような命そのものを投げ打つ「事供養」はできないが、自分の命をつなぐための浄財を持経寺の御本尊様に御供養する「理供養」よって持経寺が護られ、僧侶も命をつないで御奉公できるのであり、御本尊様から事供養にも勝る大きな功徳を頂戴できる等との御法話をいただきました。
また法要終了後、小枝会計部長より令和3年度会計報告、戸塚総代より持経寺50周年特別御供養報告が行われました。

『白米一俵御書(はくまいいっぴょうごしょ)』
弘安3年 59歳

「南無(なむ)と申すは天竺(てんじく)のことばにて候(そうろう)。漢土(かんど)・日本には帰命(きみょう)と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉(たてまつ)ると申す事なり。我が身には分(ぶん)に随(したが)ひて妻子(さいし)・眷属(けんぞく)・所領(しょりょう)・金銀(きんぎん)等(とう)もてる人々もあり、また財(たから)なき人々もあり。財あるも財なきも命(いのち)と申す財にすぎて候(そうろう)財は候はず。さればいにしへ(古)の聖人(しょうにん)賢人(けんじん)と申すは、命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。」
(御書1544頁8行目-11行目)

★広布唱題会(3日)

令和4年4月3日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法話のはじめに『諸経と法華経と難易の事』の御文を拝読申し上げ、通解ののち、今の世の中のコロナや戦争によって混乱する姿は、御法主上人猊下の御指南の通り、その原因はすべて邪義・邪宗にある。謗法厳戒ということが世の中の人々が幸せになっていく道であり、私たちの使命はその謗法厳戒というところから折伏行に精進していくことであり、それ以外にはこの世の中を浄化・安国していく道はない旨の御指導をいただきました。

『諸経と法華経と難易の事』
弘安3年5月26日 59歳

「仏法やうやく顛倒(てんどう)しければ世間も又濁乱(じょくらん)せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。」
(御書1469頁)

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年4月1日午前10時より一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『種々御振舞御書』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由・概要について述べられたのち、長い生涯にわたって続けていく信心であるから決して無理をせず、命ある限りお題目を唱え続けていく。1日でも命が伸びればそれだけお題目を唱え罪障消滅し福徳を積むことができる。日々さまざまなことに用心を怠らず、正しいお題目を一遍でも多く、長い生涯にわたって唱えて幸せに臨終を迎えることが大切であり、またそういう思いができる人たちが一人でも二人でも多くなるよう努めていく折伏が大事であること等の御法話をいただきました。
また御法話ののち、この4月1日より持経寺に在勤となったお所化様・清野明倶(せいの・みょうぐ)さんよりご挨拶をいただきました。

『種々御振舞御書』
建治2年 55歳

「各々(おのおの)我が弟子となのらん人々は一人もをく(臆)しをもはるべからず。をや(親)ををもひ、めこ(妻子)ををもひ、所領をかへりみることなかれ。無量劫(むりょうこう)よりこのかた、をやこ(親子)のため、所領のために、命をすてたる事は大地微塵よりもをほし。法華経のゆへにはいまだ一度もすてず。法華経をばそこばく行ぜしかども、かゝる事出来せしかば退転してやみにき。譬へばゆ(湯)をわかして水に入れ、火を切るにと(遂)げざるがごとし。各々思ひ切り給へ。此の身を法華経にかうるは石に金をかへ、糞に米をか(替)うるなり。」
(御書1056頁)

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