神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

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令和4年4月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(3日) ■御報恩御講(10日) ■宗旨建立会(28日)

★宗旨建立会(28日)

令和4年4月28日午後1時より、持経寺本堂において宗旨建立会(しゅうしこんりゅうえ/立宗会)が奉修されました。
宗旨建立会は、末法の御本仏・日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の大法の宗旨を建立し、立宗を宣言あそばされた建長5年(1153年)4月28日を記念して御報恩申し上げる法要です。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『開目抄』の御文を拝読申し上げ、大聖人は幼名「善日麿』12歳での清澄寺入山、16歳での「是聖房蓮長」 と名乗られての御出家から、比叡山・三井寺・薬師寺・高野山・東寺・仁和寺・天王寺等々の諸国遊学を経て、この世の災いの原因は釈尊出世の本懐である「法華経」を蔑ろにした邪義・邪宗にあると看破され、建長5年3月28日に御内証の上から少機に宣示あそばされ、4月28日、万機に対して外用(げゆう)弘通の宗旨建立を宣言あそばされ、「日蓮」と名乗られたこと等々について御法話いただきました。
そして冒頭拝読の『開目抄』の御文の通り、日蓮大聖人は身命に及ぶことを御覚悟の上で、末法の一切衆生救済のために南無妙法蓮華経を唱え出されたことを、私たちは毎年の立宗会において確認し、慈悲の折伏行に精進することが肝要であると御法話を結ばれました。

『開目抄(かいもくしょう)』
文永9年2月 51歳

「日本国に此をしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ」
(御書538頁)

★御報恩御講(10日)

令和4年4月10日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち令和4年4月度・御報恩御講拝読御書『白米一俵御書』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、本抄が別称『事理供養御書』とされる由縁等と本文の通解ののち、本抄の要点は「帰命」「事供養と理供養」の二つであると述べられ、日顕上人の御指南を引かれて、「自分本位・自分中心」の勤行唱題の姿勢は誤りであり、御本尊様が中心である勤行唱題、我が身の命を御本尊様に捧げる「帰命」の唱題が大切であること。そして私たちは雪山童子のような命そのものを投げ打つ「事供養」はできないが、自分の命をつなぐための浄財を持経寺の御本尊様に御供養する「理供養」よって持経寺が護られ、僧侶も命をつないで御奉公できるのであり、御本尊様から事供養にも勝る大きな功徳を頂戴できる等との御法話をいただきました。
また法要終了後、小枝会計部長より令和3年度会計報告、戸塚総代より持経寺50周年特別御供養報告が行われました。

『白米一俵御書(はくまいいっぴょうごしょ)』
弘安3年 59歳

「南無(なむ)と申すは天竺(てんじく)のことばにて候(そうろう)。漢土(かんど)・日本には帰命(きみょう)と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉(たてまつ)ると申す事なり。我が身には分(ぶん)に随(したが)ひて妻子(さいし)・眷属(けんぞく)・所領(しょりょう)・金銀(きんぎん)等(とう)もてる人々もあり、また財(たから)なき人々もあり。財あるも財なきも命(いのち)と申す財にすぎて候(そうろう)財は候はず。さればいにしへ(古)の聖人(しょうにん)賢人(けんじん)と申すは、命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。」
(御書1544頁8行目-11行目)

★広布唱題会(3日)

令和4年4月3日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法話のはじめに『諸経と法華経と難易の事』の御文を拝読申し上げ、通解ののち、今の世の中のコロナや戦争によって混乱する姿は、御法主上人猊下の御指南の通り、その原因はすべて邪義・邪宗にある。謗法厳戒ということが世の中の人々が幸せになっていく道であり、私たちの使命はその謗法厳戒というところから折伏行に精進していくことであり、それ以外にはこの世の中を浄化・安国していく道はない旨の御指導をいただきました。

『諸経と法華経と難易の事』
弘安3年5月26日 59歳

「仏法やうやく顛倒(てんどう)しければ世間も又濁乱(じょくらん)せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。」
(御書1469頁)

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年4月1日午前10時より一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『種々御振舞御書』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由・概要について述べられたのち、長い生涯にわたって続けていく信心であるから決して無理をせず、命ある限りお題目を唱え続けていく。1日でも命が伸びればそれだけお題目を唱え罪障消滅し福徳を積むことができる。日々さまざまなことに用心を怠らず、正しいお題目を一遍でも多く、長い生涯にわたって唱えて幸せに臨終を迎えることが大切であり、またそういう思いができる人たちが一人でも二人でも多くなるよう努めていく折伏が大事であること等の御法話をいただきました。
また御法話ののち、この4月1日より持経寺に在勤となったお所化様・清野明倶(せいの・みょうぐ)さんよりご挨拶をいただきました。

『種々御振舞御書』
建治2年 55歳

「各々(おのおの)我が弟子となのらん人々は一人もをく(臆)しをもはるべからず。をや(親)ををもひ、めこ(妻子)ををもひ、所領をかへりみることなかれ。無量劫(むりょうこう)よりこのかた、をやこ(親子)のため、所領のために、命をすてたる事は大地微塵よりもをほし。法華経のゆへにはいまだ一度もすてず。法華経をばそこばく行ぜしかども、かゝる事出来せしかば退転してやみにき。譬へばゆ(湯)をわかして水に入れ、火を切るにと(遂)げざるがごとし。各々思ひ切り給へ。此の身を法華経にかうるは石に金をかへ、糞に米をか(替)うるなり。」
(御書1056頁)

令和4年3月

★一日詣り/永代経(1日)

令和4年3月1日午前10時より一日詣り/永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『妙一尼御前御返事』の御文を拝読申し上げ、通解並びに妙一尼について等のお話ののち、御法主上人猊下の御指南を引用され、「自行化他に渡る信心によって皆が平等に幸せになれるように」「生涯誤りなく信心を全うしましょう」との御指導をいただきました。

『妙一尼御前御返事』
弘安3年5月18日 59歳

「夫(それ)信心と申すは別にはこれなく候、妻のをとこ(夫)をおしむが如く、をとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母にはなれざるが如くに、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に心を入れ奉りて、南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり。しかのみならず『正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)、不受余経一偈(ふじゅよきょういちげ)』の経文を女のかがみ(鏡)をすてざるが如く、男の刀をさすが如く、少しもす(捨)つる心なく案じ給うべく候、あなかしこ、あなかしこ。
五月十八日  日蓮花押
妙一尼御前御返事」
(御書1467頁)

★広布唱題会(6日)

令和4年3月6日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法話のはじめに『撰時抄』の御文を拝読申し上げ、通解等のお話ののち、行学二道について御法主上人猊下の御指南を引用され、「行」とは自行(勤行・唱題)・化他行(折伏)であり、「本当に幸せをいただきたいと思うならば折伏をしなければならない」との御指南を引用され御法話を結ばれました。

『撰時抄(せんじしょう)』
建治元年6月10日 54歳

「一渧(てい)あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝 うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此よりほかに又もとむる事なかれ。」
(御書868頁2-5行目)

★御報恩御講(13日)

令和4年3月13日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち令和4年3月度・御報恩御講拝読御書『日厳尼御前御返事』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、当御書の由来と本文の通解ののち、 「妙法の四力が整わなければ功徳が正しく現れてこない」と、揺るぎない形で仏力・法力が整っている御本尊様に対して、私たちの御本尊様への信力・行力が非常に大切であること。そして 「必ず乗り越えていこう」という強い気持ちでお題目を唱えていくと必ず乗り越えられる。しかし気持ちが後ろ向きになり現在の自分の苦しさに押しつぶされて「苦しみの題目」になってしまってはいけない。苦しみの題目を唱えても宿業を乗り越える力は出てこない。絶対に幸せになれるんだという一念をもってお題目を唱えると、それが喜びの題目に変わってくる。そういうお題目を唱えていただきたい。そういう信力・行力であってもらいたいと願います、等と御指導をいただきました。

『日厳尼御前御返事(にちごんあまごぜんごへんじ)』
弘安3年11月29日 59歳

「叶(かな)ひ叶はぬは御信心(ごしんじん)により候(そうろう)べし。全(まった)く日蓮がとが(咎)にあらず。水す(澄)めば月うつ(映)る、風ふけば木ゆ(揺)るぐごとく、みなの御心(みこころ)は水のごとし。信(しん)のよは(弱)きはにご(濁)るがごとし。信心のいさぎよ(潔)きはす(澄)めるがごとし。木は道理のごとし、風のゆるがすは経文をよむがごとしとをぼしめせ。」
(御書1519頁15行目-1520頁3行目)

★春季彼岸会(21日)

令和4年3月13日午後1時より、春季彼岸会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・焼香・唱題、各家塔婆供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、「彼岸会」の由来・縁起等や彼岸の意味について、また『観心本尊抄』『当体義抄』の御文を引かれ、大聖人様の仏法を受持信行する者は即座に即身成仏が叶い、迷いの此岸(しがん)が即彼岸へと変わっていくこと、そして日々の信心修行によっていただいた功徳を、大恩ある父母・先祖代々の諸精霊に回向していかなければならない等との御法話をいただきました。

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