神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺(川崎・横浜) 神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺(川崎・横浜)

神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院
大乗山持経寺

神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺(川崎・横浜)

総本山第六十七世日顕上人猊下御指南

★題目の大利益

 本門の本尊を信じて、真剣に強盛(ごうじょう)に題目を唱えるところ、実に不可思議な大利益が生ずる。『祈祷抄』に、
 「大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書630ページ)
との御指南がある。この御文をそのまま行じ、実践して、想像もつかない大利益を受けた人々は数えきれないのである。
 医師より余命三ヵ月と宣告された人が、真剣な唱題で快復したことや、あらゆる医師が手を上げる難病を救われた人々、さらに大事故による後遺症が完治した等々の功徳体験は、その跡を絶たない。そのほか「妙とは不可思議」と言われるように、ありえないほど不可思議な利益(りやく)が続出している。これは大御本尊の功徳が法界に遍満し、その真理が虚空に通じているから、題目を真剣に唱えるとき、その人の命に功徳が冥合するのである。
 人の命は本来、不可思議である。しかし、題目を知らなければ、その命が不可思議の功徳を生じない。謗法によって悪業が生じ、悪業によって苦が生ずる。あらゆる身体の不調も、医師も望みを絶つ難病も、知らず知らずに過去に犯した法に背く罪によっている。その流れのままでは、あくまで苦のなかの命である。妙法を行ずるとき、その苦の命が一転して不可思議の功徳を生ずる。これを信じて病苦の人、あらゆる苦しみに悩む人は、強盛に唱題をされたいものである。
 また『妙一尼御前御消息』に、
 「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりき(聞)かずみ(見)ず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を」(同832ページ)
との御文を拝する。人生の様々な宿業と出会いのなかにあって、その生存中に種々の不足、不満、不幸が訪れ、そのなかに埋没しつつある人も多い。しかし、右の御金言のように、御本尊を信じ、妙法を絶えず受持信行するとき、冬のような厳しい人生が春の温かい幸福な命となる。その変化は、外からでもなく、内からでもなく、ただ妙法の功徳であり、また、その功徳が外からも内からも顕れて、真の喜びと幸せを生ずるのである。
 夫婦関係、家族関係、友人関係、職業上の種々の人間関係による様々な不信、反感、冷酷等の悪に、軽蔑、嫉妬等々の苦しみも多く、また通常の人間生活より落ちぶれて、人生の闇を這うような人々の、悩みを悩みとも思わない衰退した心の姿等、世の人々の苦悩は計り知れない。しかし、妙法を真剣に受持するとき、その冬の人生は必ず春と開いて行くのである。
 さらに、大聖人の御聖訓に、
 「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事・同874ページ)
との文がある。要するに、仏法の正義(しょうぎ)は、その正義としての在り方が現実の証拠として顕れることが最も大切であるとの意と拝される。大聖人御一期(ご)の御化導は、あらゆるところに、この現実の仏法の不可思議な証拠を顕されている。
 しかし、この現証は大聖人御一人ではなく、妙法を信じ、行ずるすべての人に顕れるのであり、それが病苦の克服、生活上の正しい信念と確信、力強い生命としての実践、すべての人間関係の好転等の諸徳を実証した人々においての、現実の証拠として存するのである。故に、以上の宗祖の御教示を深く体して、信心唱題に励むことが大切である。

(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』より 1ページ)

特設ページ

御会式(令和5年) 御会式(令和5年)

令和5年10月15日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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御会式(令和5年)御会式(令和5年)

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【令和4年から】★成人式
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令和6年9月

■広布唱題会・お経日(1日) ■御報恩御講(8日) ■御難会(竜ノ口法難会)(12日) ■秋季彼岸会(21日・22日) ■第2回 持経寺支部総登山(28日)

★第2回 持経寺支部総登山(28日)

令和6年9月28日、天野御住職の御引率のもと、『令和6年 第2回持経寺支部総登山』が挙行されました。
かねてより〈災害級の大雨〉等の予報もありましたが、当日は晴れて暑くなることも、また雨が降ることもなく、快適な気候に恵まれました。
今回は午前10時より墓参が行われ、天野御住職の御導師のもと、総本山第六十七世日顕上人、持経寺初代御住職・教行阿闍梨法胤房日生大徳、および持経寺合葬墓にて読経・唱題・焼香が厳粛に執り行われました。
午前11時には130余名の参加者が総一坊3Bに集合、全体会を開催し天野御住職より御指導をいただきました。
そののち皆で一緒に昼食をいただき、小憩ののち午後1時30分より御開扉を頂戴いたしました。そして終了後再び休憩坊に集合し天野御住職より御指導をいただき、本年第2回目となる支部総登山は大歓喜のうちに一切を無事に終了いたしました。

▲総本山第六十七世日顕上人

▲三師塔前にて記念撮影

▲持経寺初代御住職・教行阿闍梨法胤房日生大徳

▲持経寺合葬墓

★秋季彼岸会(21日・22日)

令和6年9月21日および22日、それぞれ午前10時と午後1時の計4回に渡り、秋季彼岸会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・焼香・唱題と如法に厳修され、そののち天野御住職より御法話にあたり『中興入道御消息』を拝読申し上げ、彼岸会の意味として、梵語の「パーラミータ(音訳:波羅蜜<はらみつ>)」からきていて、「到彼岸(とうひがん)/彼岸に到(いた)る」、迷いの娑婆世界である「此岸(しがん)」から、悟りの「彼岸」に亡き諸精霊方を渡らせる法要であること。そして迷いの此岸から悟りの彼岸に大勢で安全に渡るためには、小乗教の小舟より大乗教の大船、その中でも法華経、さらには法華経の中でも南無妙法蓮華経の大御本尊様の大船に乗らなければ、悟りの彼岸には到達できない。」等と述べられ、さらに「大乗教の教えでは、まず四恩を報じなければならない。その中で一番にあるのが〈父母の恩〉であり、そこに知恩報恩(恩を知り恩に報いる)しなければならない。亡き諸精霊への報恩のためには、生きている私たちが功徳善根を積みお塔婆を建立し、その功徳を廻し向かわしめることである。そして当宗では〈常盆・常彼岸〉と言われるように、お盆やお彼岸に限らず命日忌その他、機会あるごとにお塔婆を建立し回向することが大切である。」等との御指導をいただきました。

『中興入道御消息(なかおきにゅうどうごしょうそく)』
弘安2年11月30日 58歳

去(みまか)りぬる幼子のむすめ(娘)御前の十三年に、丈六のそとば(卒塔婆)をたてゝ、其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、其(そ)の風にあたりて大海の苦をはな(離)れ、東風(こち)きたれば西山の鳥鹿(ちょうろく)、その風を身にふ(触)れて畜生道をまぬ(免)かれて都率(とそつ)の内院に生まれん。況(いわ)んやか(彼)のそとば(卒塔婆)に随喜(ずいき)をなし、手をふ(触)れ眼に見まいらせ候(そうろう)人類をや。過去の父母も彼(か)のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をて(照)らし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持(たも)ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水す(澄)めば月うつ(映)り、つゞみ(鼓)をう(打)てばひゞ(響)きのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此(これ)より後々の御そとば(卒塔婆)にも法華経の題目を顕はし給へ。
(御書1434頁5行目〜)

★御難会(竜ノ口法難会)(12日)

令和6年9月12日、午後1時より、御難会が持経寺本堂において奉修されました。御難会(竜ノ口法難会)は文永8年9月12日、宗祖日蓮大聖人の竜ノ口(たつのくち)の法難を記念し、御報恩謝徳申し上げる法要です。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より『開目抄』を拝読申し上げ、3年前にさかのぼる蒙古国からの牒状(ちょうじょう)と『安国論御勘由来』『十一通御書』の御述作から、極楽寺良寛の雨乞いの祈祷、平左衛門尉頼綱による松葉ヶ谷の草庵襲撃から竜ノ口の法難に至るまでの経緯について述べられ、「時の最高権力者をもってしても、大聖人様のお命を奪うことはできなかった。この身命を賭した大法難によって、大聖人様は久遠元初の御本仏として開顕、発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)あそばされ、法華経勧持品(かんじほん)第十三の〈二十行の偈〉を証明されたのである。私たちは、その大聖人様の本門戒壇の大御本尊を受持信行し奉り、日々に罪障消滅のために精進できることは誠に有り難いことであり、この御難会を契機としてさらに自行化他の信心に励んでまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『開目抄(かいもくしょう)下』
文永9年2月 51歳

日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人、いかにをぢぬらむ。
(御書563頁)

★御報恩御講(8日)

令和6年9月8日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年9月度・御報恩御講拝読御書『四信五品抄』を拝読申し上げ、通解並びに〈戒定慧の三学〉をはじめ同抄全体の概要、御書十大部等について述べられたのち、「御本仏日蓮大聖人の南無妙法蓮華経のお題目は、仏様の悟りの一切が具(そな)わっている根本であり、堅く信じてしっかりとお題目を唱えていくならば、心が正直になり、成仏得道の境涯に至り幸せになる。どんな人であっても平等に、必ず、困難を乗り越えて幸せな境涯でお題目を唱えることができるようになる。御本尊様の前に端坐(たんざ)合掌する姿の中に一切の功徳が含まれているのである。」等と述べられ、さらに以信代慧(いしんだいえ)について「〈戒定慧の三学〉は大切であるがあまりにも深く広く、到底私たちがそれをすべて修することは不可能であり、さらに最も大切な〈智慧〉に限ってもまた困難であるので、〈信〉をもって智慧に代えるのである。御本尊様を堅く信じお題目を唱えるその姿の中に、戒定慧の三学、仏教の一切の功徳が整う。しかし自分がそれを知っているだけではなく、御法主日如上人猊下が常々御指南あそばされている通り、それを人に伝えていく折伏が大切である。」等との御指導をいただきました

『四信五品抄(ししんごほんしょう)』
建治3年4月初旬 56歳

濁水(じょくすい)心無けれども月を得て自(おのずか)ら清(す)めり。草木雨を得て豈(あに)覚(さと)り有って花さくならんや。妙法蓮華経の五字は経文に非(あら)ず、其(そ)の義に非ず、唯(ただ)一部の意(い)ならくのみ。初心の行者は其の心を知らざれども、而(しか)も之(これ)を行ずるに自然(じねん)に意に当(あ)たるなり。
(御書1114頁16行目〜18行目)

仏正しく戒定(かいじょう)の二法を制して一向に慧(え)の一分に限る。慧又堪(た)へざれば信を以(もっ)て慧に代(か)ふ。
(御書1112頁9行目〜10行目)

★広布唱題会・お経日(1日)

令和6年9月1日午前9時より、広布唱題会並びにお経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・広布唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『四条金吾殿御返事』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要、および対告衆である四条金吾殿ついて述べられ、「いつ何時であっても、〈師弟相対の信心〉でなければならない。師弟相対して師の指導に随順するならば願いが叶い、それを違えるならば願いは叶わない。日蓮大聖人様からの血脈付法の御法主上人猊下の御指南のままに信心していくならば、自然と私たちの願いは叶っていく。今、御法主上人猊下の御指南は〈折伏〉に尽きるのであり、どこまでもその御指南通りに日々の信心に精進していくならば、そこに私たちの願いが叶い幸せが成就していく。」等との御指導をいただきました。

『四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)』
建治3年4月 56歳

はきり(波木井)どのの事は法門の御信用あるやうに候へども、此(こ)の訴訟は申すまゝには御用(おんもち)ひなかりしかば、いかんがと存じて候(そうら)ひしほどに、さりとてはと申して候ひしゆへにや候ひけん、すこし、しるし候か。これにをも(思)うほどなかりしゆへに又をもうほどなし。だんな(檀那)と師とをも(思)ひあ(合)わぬいの(祈)りは水の上に火をた(焚)くがごとし。又だんなと師とをもひあひて候へども、大法を小法をもってをか(犯)してとし(年)ひさ(久)しき人々の御いのりは叶い候はぬ上、我が身もだんなもほろび候なり。
(御書1118頁)

令和6年8月

■お経日(1日) ■広布唱題会(4日) ■御報恩御講(11日) ■盂蘭盆会(15日)

★盂蘭盆会(15日)

令和6年8月15日、午前10時と午後1時の2回にわたり、盂蘭盆会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話にあたり天野御住職より『御義口伝』を拝読申し上げ、「皆様とともに唱えた読経・唱題の功徳は、たとえ亡き諸精霊がどこにあろうとも、必ずその功徳善根は行き渡り即身成仏が叶うのであり、諸精霊方もさぞかしお喜びのことと拝察します」等と述べられ、さらに廻向(回向)について、「廻向という言葉は梵語の 〈Pariṇāmanā, パリナーマナー〉に由来し、自身が積んだ善業の功徳を他に廻し向かわしめることである。しかし世間一般の、他宗寺院に参詣したりお墓参りをしたり位牌に手を合わせる等の廻向では、仏様の正法をもって廻向されていない故に、ご先祖の苦しみを抜き成仏に導くことはできない。大聖人様が『上野殿御返事』に御教示の通り、末法における仏様の一切の悟り、一切の功徳はすべて南無妙法蓮華経の五字七字に具(そな)わる。したがって正しい廻向を願うならば、大聖人様の正しい御本尊様にお塔婆を建立し南無妙法蓮華経の題目を唱え、その自身の功徳を亡き諸精霊方に廻し向かわしめるのが正しい廻向である。そしてお塔婆の意義は『草木成仏口決』に仰せのように、草木のお塔婆にお題目と故人の名をしたためて御本尊様にお供えし、開眼供養(かいげんくよう)することにより草木成仏し、亡き諸精霊方は即座に成仏の境涯に至る。今後も機会あるごとにお塔婆を建立し、四恩の第一番である〈父母の恩〉を報じてまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『御義口伝(おんぎくでん/就註法華経口伝)』

今日蓮等の類(たぐい)聖霊(しょうりょう)を訪(とぶら)ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、題目の光無間(むけん)に至って即身成仏せしむ。廻向(えこう)の文(もん)此(これ)より事起こるなり。
(御書1724頁2行目〜)

『上野殿御返事(うえのどのごへんじ)』
弘安元年4月1日 57歳

今、末法(まっぽう)に入りぬれば余経(よきょう)も法華経(ほけきょう)もせん(詮)なし。但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし。
(御書1219頁6行目〜)

『草木成仏口決(そうもくじょうぶつぐけつ)』
文永9年2月20日 51歳

我等(われら)衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。
(御書522頁)

★御報恩御講(11日)

令和6年8月11日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年8月度・御報恩御講拝読御書『上野殿御返事』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要、御述作当時の時代背景および対告衆である南条時光殿の状況等について述べられたのち、「南条時光殿は大変に苦しい状況においても、大聖人様への御供養を欠かさなかった。そして750年前に南条時光殿が御供養によって大聖人様および御一門を外護(げご)されたからこそ、今に御本尊様が伝持されている。そのように、今度は私たちがお寺と総本山を支える御供養を申し上げることで、100年後200年後の多くの御信徒の方々が御本尊様の功徳に浴することができるのであるから、令法久住(りょうぼうくじゅう)のためには、私たちの真心からの御供養が大切である。仏法僧の三宝様への、御報恩のための真心からの御供養に励むことで、私たちは莫大な功徳善根を積む大善業の姿となる。」等と述べられ、さらに「〈教える〉ということは折伏と育成であり、御本尊様に勤行・唱題することで成仏得道し幸せになることを教えることである。折伏によって私たち自身の信心が堅固(けんご)となるのであり、他に向かって大聖人様の仏法を語っていかなければ、信心が自分の身につかない。」等との御指導をいただきました。

『上野殿御返事(うえのどのごへんじ)』
弘安3年12月27日 59歳

仏にやすやすとなる事の候(そうろう)ぞ、をしへまいらせ候はん。人のものををし(教)ふると申すは、車のおも(重)けれども油をぬりてまわり、ふね(船)を水にうかべてゆきやすきやうにをし(教)へ候なり。仏になりやすき事は別のやう候はず。旱魃(かんばつ)にかわ(渇)けるものに水をあた(与)へ、寒氷(かんぴょう)にこゞ(凍)へたるものに火をあたふるがごとし。又、二つなき物を人にあたへ、命のた(絶)ゆるに人のせ(施)にあふがごとし。
(御書1528頁8行目〜11行目)

★広布唱題会(4日)

令和6年8月4日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より御法話に先立ち『如説修行抄』の御文を拝読申し上げ、「この末法においては、大聖人様の御本尊様でなければ成仏は叶わず、幸せにもなれない。私たちはご縁ある方々のために慈悲の上から謗法を破折し、救っていくことが使命であり、大聖人様の教えである。折伏において〈三類の強敵〉ほどの大きな障りはなくとも、魔を恐れていたのでは折伏の一歩も踏み出せない。相手が信心に反対したからといって決して引き下がらず、相手の魔との戦い、自分自身の心の中にある魔との戦いであると心得て、慈悲の心を絞り出し、ともどもに折伏に精進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう)』
文永10年5月 52歳

されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵(ごうてき)来たらん事は疑い無し。
(御書673頁3行目〜)

★お経日(1日)

令和6年8月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『法華初心成仏抄』を拝読申し上げ、通解並びに本抄全体の概要等について述べられたのち、「〈よき師〉とは、宗祖日蓮大聖人よりの血脈付法の御法主上人猊下であり、広義にはその命を受けて赴任している各末寺の住職もその一分である。そして〈よき檀那〉とは皆様方のことであり、〈よき法〉とは総本山におわします本門戒壇の大御本尊様であり、その御書写のすべての御本尊様である。この三つが寄り合う姿から、私たちの願いはすべて叶っていく。このことを常に心に入れて、自分勝手な解釈・我見に陥ることなく、決して総本山と菩提寺から離れることなく、御法主日如上人猊下の仰せのままに折伏を常に心掛け、生涯正しい御信心に精進してまいりましょう。その姿の中に、これ以上ない大きな福徳が積み重なっていく。」等との御指導をいただきました。

『法華初心成仏抄(ほっけしょしんじょうぶつしょう)』
弘安元年 57歳

末法今の世の番衆(ばんしゅう)は上行・無辺行等にてをはしますなり。此等を能(よ)く能く明らめ信じてこそ、法の験(しるし)も仏菩薩の利生(りしょう)も有るべしとは見えたれ。譬えばよき火打(ひうち)とよき石のかど(角)とよきほくち(火口)と此の三つ寄り合ひて火を用ゆるなり。祈りも又是(か)くの如し。よき師とよき檀那(だんな)とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就(じょうじゅ)し、国土の大難をも払ふべき者なり。
(御書1314頁2行目〜)

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持経寺の沿革

持経寺本院外観

日蓮正宗・大乗山持経寺は、昭和41年(1966年)12月に建立されました。以来50年以上の長きにわたり、川崎の地で日蓮大聖人の正しい信仰を護り伝えています。

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行事案内

持経寺御会式のお花飾り

日蓮正宗では、御報恩御講をはじめとする月例行事、また年間最大行事である御会式をはじめとする年中行事など、さまざまな寺院行事が奉修されています。

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日蓮正宗の信仰

建長5年(1253年)4月28日、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」の宗旨を建立されました。立宗770年。日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人の血脈を受け継ぐ正統門下です。

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法華講持経寺支部

日蓮正宗の信徒組織を「法華講(ほっけこう)」といい、全国の日蓮正宗寺院には各法華講の支部があります。ここでは法華講の由来と持経寺支部をご紹介します。

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