令和5年10月15日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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令和5年10月15日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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■お経日(1日) ■広布唱題会(6日) ■百日間唱題行 満行(10日) ■御報恩御講(14日) ■第1回 持経寺支部総登山(21日) ■宗旨建立会(28日)
令和6年4月28日午後1時より、持経寺本堂において宗旨建立会(しゅうしこんりゅうえ/立宗会)が奉修されました。
宗旨建立会は、末法の御本仏・日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の大法の宗旨を建立し、立宗を宣言あそばされた建長5年(1153年)4月28日を記念して御報恩申し上げる法要です。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『開目抄』の御文を拝読申し上げ、大聖人は幼名「善日麿(ぜんにちまろ)』12歳での清澄寺入山、16歳で道善房を師匠とし「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」 と名乗られての御出家から、18歳よりの比叡山・三井寺・薬師寺・高野山・東寺・仁和寺・天王寺等々での14年にわたる諸国遊学、そして多くの人々の疫病や自然災害等による苦しみは、釈尊出世の本懐である「法華経」を蔑ろにする邪義・邪宗への信仰に一切の原因があると結論された大聖人は、釈尊滅後2000年以後の末法において、法華経に予証・予言される通りに一切の根本の法である南無妙法蓮華経のお題目を、建長5年3月28日に御内証の上から内々の方々に宣示あそばされ、4月28日、一切衆生成仏のため外用(げゆう)弘通の立宗を宣言あそばされたこと、また「日蓮」との御名乗りの意味等々について御法話いただきました。
そして立宗宣言ののちの初転法輪(しょてんぽうりん/最初の本格的な妙法弘通の説法)とその後の法難について触れられ、「冒頭拝読の『開目抄』の御文の通り、日蓮大聖人は身命に及ぶことを御覚悟の上で、末法の一切衆生救済のために南無妙法蓮華経を唱え出されたことを、私たちは毎年の立宗会において再確認し、大聖人様の御振る舞いのままに慈悲の折伏行に精進することが肝要である」等と述べられ御法話を結ばれました。
『開目抄(かいもくしょう)』
文永9年2月 51歳
「日本国に此をしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ」
(御書538頁)
『妙法比丘尼御返事(みょうほうびくにごへんじ)』
弘安元年9月6日 57歳
「此等(これら)の宗々枝葉(しゅうじゅうしよう)をばこまかに習はずとも、所詮(しょせん)肝要を知る身とならばやと思ひし故に、随分にはし(走)りまはり、十二・十六の年より三十二に至るまで」
(御書1258頁)
『観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)』
文永10年4月25日 52歳
「此(こ)の時地涌千界(じゆせんがい)出現して、本門の釈尊を脇士(きょうじ)と為(な)す一閻浮提(いちえんぶだい)第一の本尊、此の国に立つべし。」
(御書661頁)
令和6年4月21日、天野御住職の御引率のもと、『令和6年 第1回持経寺支部総登山』が挙行されました。
当日はかねてより雨天予報にもかかわらず思いのほか好天に恵まれ、160余名の参加者が午前10時30分の着山時間に休憩坊(広布坊)に集合、全体会を開催し天野御住職より御指導をいただきました。
そののち皆で一緒に昼食をいただき、小憩ののち12時より御開扉を頂戴し、終了後再び休憩坊に集合し天野御住職より御指導をいただきました。そして最後に広布の広場にて記念撮影を行い、本年第1回目となる支部総登山は大歓喜のうちに一切を無事に終了いたしました。
令和6年4月14日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年4月度・御報恩御講拝読御書『諫暁八幡抄』を拝読申し上げ、通解並びに「八幡大菩薩」「諫暁」について等同抄の概要を述べられ、「折伏は慈悲の行であり、慈悲とは抜苦与楽、すなわち苦しみを抜き楽を与えることである。私たちは慈悲の折伏を行じ、多くの方々に伝え救っていかなければならない。」等と御指導され、さらに「同抄に、八幡大菩薩は〈正直の頂(いただき)にすみ給う〉とある。正直とは謗法厳誡、すなわち一切の謗法を捨て本門戒壇の大御本尊様を固く信じお題目を唱える人が〈正直の人〉である。」等との御指導をいただきました。そして最後に御法主日如上人猊下の御指南を引用され、「しっかりと正直捨方便の御本尊様に手を合わせていけば、自然と折伏の一念、慈悲の心が湧き上がってくる。その気持ちに正直に、折伏に精進しなければならない。お題目が自行だけで終わってしまってはいけない。御本尊様によって必ず幸せになり、成仏できるとの確信の上から慈悲の折伏を行じていくことが私たちの使命である。」等と述べられ、御法話を結ばれました。
『諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』
弘安3年12月 59歳
「今日蓮は去(い)ぬる建長(けんちょう)五年癸丑(みずのとうし)四月廿八日(しがつにじゅうはちにち)より、今弘安(こうあん)三年太歳(たいさい)庚辰(かのえたつ)十二月にいたるまで二十八年が間(あいだ)又(また)他事(たじ)なし。只(ただ)妙法蓮華経の七字五字(しちじごじ)を日本国の一切衆生(いっさいしゅじょう)の口に入れんとはげむ計(ばか)りなり。此(これ)即(すなわ)ち母の赤子(あかご)の口に乳(ちち)を入れんとはげむ慈悲(じひ)なり。」
(御書1539頁8行目〜10行目)
御法主日如上人猊下御指南
「折伏を行ずるに当たって大事なことは種々説かれておりますが、その根本となるものは慈悲であります。(中略)折伏は、この御本仏の広大深遠(こうだいじんのん)なる大慈大悲を我が身に移し、一途(いちず)に相手の幸せを願う一念に徹して励むことが肝要であります。この一念がないと〈慈無くして詐(いつわ)り親しむは彼が怨(あだ)なり〉の譏(そし)りを受けることになります。」
(『大白法』平成22年1月1日 第780号)
令和6年4月10日午前10時より百日間唱題行が行われました。
この百日間唱題行は、天野御住職が持経寺に赴任された翌年より持経寺として毎年実施されており、本年も折伏誓願達成を期して年頭より行われ、4月10日をもって満行を迎えました。
令和6年4月6日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より『妙一尼御前御消息』を拝読申し上げ、通解ののち「日々、御本尊様に勤行・唱題していくならば、どんな人でも必ず成仏得道を遂げることができる。御本尊様の功徳は広大無辺であり、私たちの真剣なご祈念の姿の中に功徳が積まれ願いが叶っていく。自分自身のため、そして周りの多くの人々のため、ご縁ある方々への折伏が成就できるよう、真剣にご祈念して前進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
『妙一尼御前御消息(みょういちあまごぜごしょうそく)』
建治元年5月 54歳
「いまだ昔よりき(聞)かずみ(見)ず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫(ぼんぷ)となる事を。経文には「若有聞法者無一不成仏」(にゃくうもんぽうしゃむいちふじょうぶつ)とと(説)かれて候(そうろう)。」
(御書832頁12行目〜)
令和6年4月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『新池御書』を拝読申し上げ、通解並びに同抄の概要および全体の主旨等について述べられたのち、「人の体の五臓(心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓)は、例えばそのうちの心臓だけを取り出しても用をなさないのであり、体内に五臓がすべて整ってこそ命が維持される。それと同様に、方便の爾前権教はそれぞれ真理の一分一分は説かれてあっても、すべての人々が成仏得道できる教えの真理全体ではない。したがって他宗他門の教えに依ることは、心臓だけを取り出して拝むようなものであり、それでは生きることはできず、成仏することなく命を落とし地獄に落ちてしまう。」等と述べられ、さらに「私たちは宿縁深厚(しゅくえんじんこう)にして末法に生まれ、この御本尊様に巡り合うことができたのであるから、一生涯、御信心を全うすることが肝要である。そして大聖人の御遺命である広宣流布を目指して心を一つにし、常に折伏を行じ、また法灯相続し教えを継いでいかなければならない。」等との御指導をいただきました。
『新池御書(にいいけごしょ)』
弘安3年2月 59歳
「うれしきかな末法流布に生まれあへる我等、かなしきかな今度(このたび)此(こ)の経を信ぜざる人々。抑(そもそも)人界(にんがい)に生を受くるもの誰か無常を免(まぬか)れん。さあらんに取っては何ぞ後世のつと(勤)めをいたさゞらんや。倩(つらつら)世間の体(てい)を観ずれば、人皆口には此の経を信じ、手には経巻をにぎるといへども、経の心にそむく間、悪道を免れ難し。譬へば人に皆五臓あり。一臓も損ずれば其の臓より病出来して余の臓を破り、終(つい)に命を失ふが如し。」
(御書1456頁1行目〜)
■お経日(1日) ■広布唱題会(3日) ■御報恩御講(10日) ■春季彼岸会(17日・20日)
令和6年3月17日および20日、それぞれ午前10時と午後1時の計4回に渡り、春季彼岸会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち天野御住職より彼岸会について、彼岸会の意味として、梵語の「パーラミータ(音訳:波羅密<はらみつ>)」からきていて、「到彼岸(とうひがん)/彼岸(パーラム)に到る(イータ)」、迷いの「此岸(しがん)」から悟りの「彼岸」に渡るという意味であること。また春分の日と秋分の日は「陰」の夜と「陽」の昼との長さが同じであることから、迷いの此岸より悟りの彼岸に渡りやすいとの意味でこの日に彼岸会が奉修されること等について述べられたのち、『御義口伝』の一節を引かれ「本日皆さんはこの御文の上から、これ以上ない立派な親孝行の大善業を修されたことと拝します。」との御指導いただきました。そして『祈祷抄』の一節を拝読され、「この白烏とは御本仏日蓮大聖人であり、黒烏とは一切衆生。私たちは、大聖人様から受けた御恩は、その仏法を一切衆生に教え伝える、折伏をすることで大聖人様の御恩に報いることになる。またその折伏も、外に向かってだけではなく、内に向かっての折伏、すなわち法灯相続(ほっとうそうぞく)が大切である。会い難きこの御本尊様に巡り会いながら、自分しか信心をしていないがために邪宗教で送られる無念があってはならない。最後臨終に当たって正しく送られるためには、自分自身が責任を持って法灯相続に努めることが大事である。」等と述べられ御法話を締めくくられました。
『御義口伝(おんぎくでん/就註法華経口伝)』
「今日蓮等の類(たぐい)聖霊(しょうりょう)を訪(とぶら)ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、題目の光無間(むけん)に至って即身成仏せしむ。廻向(えこう)の文(もん)此(これ)より事起こるなり。」
(御書1724頁2行目〜)
『祈祷抄(きとうしょう)』
文永9年 51歳
「白烏(はくう)の恩をば黒烏(こくう)に報ずべし。」
(御書630頁)
令和6年3月10日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年3月度・御報恩御講拝読御書『阿仏房御書』を拝読申し上げ、通解並びに対告衆である阿仏房および千日尼について、また同抄全体の概要等について述べられ、「私たちが御本尊様にしっかり唱題し、大聖人様がお示しの七宝(聞・信・戒・定・進・捨・慚)を実践修行していくならば、私たちの身は宝塔となり幸せな成仏の境界に至る。本門戒壇の大御本尊と時の御法主上人猊下の御指南を根本として精進していくならば、その身は七宝によって飾られた宝塔となるのである。悩み苦しみに打ちひしがれて日々を過ごすのが世間一般の人生であるけれども、私たちはどんな苦しみの中にあっても御本尊様のお力によって仏様の境界が現れ、何があっても乗り越えて必ず幸せな人生になる。」等との御指導をいただきました。
『阿仏房御書(あぶつぼうごしょ)』
文永12年3月13日 54歳
「末法(まっぽう)に入(い)って法華経を持(たも)つ男女(なんにょ)のすがたより外(ほか)には宝塔(ほうとう)なきなり。若(も)し然(しか)れば貴賤上下(きせんじょうげ)をえらばず、南無妙法蓮華経ととなふるものは、我(わ)が身宝塔にして、我が身又(また)多宝如来(たほうにょらい)なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。今阿仏上人(しょうにん)の一身(いっしん)は地水火風空(ちすいかふうくう)の五大(ごだい)なり、此の五大は題目の五字なり。然(さ)れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此より外(ほか)の才覚(さいかく)無益(むやく)なり。聞(もん/聞法)・信(しん/信受)・戒(かい/持戒)・定(じょう/禅定)・進(しん/精進)・捨(しゃ/喜捨)・慚(ざん/慚愧)の七宝(しっぽう)を以(もっ)てかざりたる宝塔なり。」
(御書792頁13行目〜793頁2行目)
令和6年3月3日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より『一念三千法門』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の主意について述べられ、「自分の幸せ、自分の願いを叶えるためだけの二乗(にじょう/声聞・縁覚)根性の信心ではならない。私たちの中には、必ず仏界の命が具わっているが、しかしその仏様の命を実際に表に顕していかなければ、自身の福徳の姿も現れない。そのためには、御本尊様に自分の一念をぶつけてお題目を唱え、御本尊様と境智冥合し自身の仏の命を顕し、そして実際に折伏の行動を起こしていくことである。」等との御指導をいただきました。
『一念三千法門(いちねんさんぜんほうもん)』
正嘉元年 37歳
「百千合はせたる薬も口にのまざれば病も愈(い)えず。蔵に宝を持(も)てども開く事を知らずしてかつ(餓)へ、懐(ふところ)に薬を持ちても飲まん事を知らずして死するが如し。」
(御書110頁16〜17行目)
令和6年3月1日午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、百日間唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『佐渡御書』を拝読申し上げ、通解並びに同抄の要旨・概要について述べられたのち、御法主上人猊下の御指南を引用されつつ、「末法に時代の私たちは本未有善の衆生ばかりであり、折伏を実践してこそ成仏得道できる。皆、他の人のためには力を尽くさず、自分さえ良ければと頑張るのが世の常である。けれども、そうした二乗(にじょう/声聞・縁覚)根性は仏様が最も嫌う姿であり、何があっても慈悲の折伏行に励んでいかなければならない。そのためにはまず、唱題を重ねて、慈悲の心を自分の命の中に現していくことが大切である。自身のため、他の多くの人々のため、そして立正安国のため折伏に精進して参りましょう。」等との御指導をいただきました。
『佐渡御書(さどごしょ)』
文永9年3月20日 51歳
「法華経の行者を過去に軽易(きょうい)せし故に、法華経は月と月とを並べ、星と星とをつらね、華山(かざん)に華山をかさね、玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を、或(あるい)は上げ或は下して嘲哢(ちょうろう)せし故に、此の八種の大難に値へるなり。此の八種は尽未来際(じんみらいさい)が間一つづつこそ現ずべかりしを、日蓮つよく法華経の敵(かたき)を責むるによて一時に聚(あつ)まり起こせるなり。譬(たと)へば民の郷郡(ごうぐん)なんどにあるには、いかなる利銭を地頭等にはおほ(負)せたれども、いた(甚)くせ(責)めず、年々にのべゆく。其の所を出づる時に競(きそ)ひ起こるが如し。「斯(こ)れ護法の功徳力に由る故なり」等は是なり。法華経には「諸の無智の人有って悪口罵詈(あっくめり)等し刀杖瓦石(とうじょうがしゃく)を加ふ。乃至国王・大臣・婆羅門・居士に向かって、乃至数々(しばしば)擯出(ひんずい)せられん」等云云。」
(御書582頁)
◎令和3年12月 ◎令和4年1月 ◎令和4年2月 ◎令和4年3月 ◎令和4年4月 ◎令和4年5月 ◎令和4年6月 ◎令和4年7月 ◎令和4年8月 ◎令和4年9月 ◎令和4年10月 ◎令和4年11月 ◎令和5年1月 ◎令和5年2月 ◎令和5年3月 ◎令和5年4月 ◎令和5年5月 ◎令和5年6月 ◎令和5年7月 ◎令和5年8月 ◎令和5年9月 ◎令和5年10月 ◎令和5年11月 ◎令和5年12月 ◎令和6年1月 ◎令和6年2月 ◎令和6年3月
日蓮正宗・大乗山持経寺は、昭和41年(1966年)12月に建立されました。以来50年以上の長きにわたり、川崎の地で日蓮大聖人の正しい信仰を護り伝えています。
日蓮正宗では、御報恩御講をはじめとする月例行事、また年間最大行事である御会式をはじめとする年中行事など、さまざまな寺院行事が奉修されています。
建長5年(1253年)4月28日、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」の宗旨を建立されました。立宗770年。日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人の血脈を受け継ぐ正統門下です。
日蓮正宗の信徒組織を「法華講(ほっけこう)」といい、全国の日蓮正宗寺院には各法華講の支部があります。ここでは法華講の由来と持経寺支部をご紹介します。