神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

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令和4年8月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(7日) ■御報恩御講(14日) ■盂蘭盆会(15日)

★盂蘭盆会(15日)

令和4年8月15日の午前10時および午後1時、盂蘭盆会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向等と如法に厳修され、御法話のはじめに天野御住職より『盂蘭盆御書』の御文を拝読申し上げ、本抄の対告衆・縁由・概要、拝読部分の通解ののち、「末法の私たちは、大聖人様の、末法の御本仏としてのお立場の上からの出世の本懐である本門戒壇の大御本尊に、余事を交えず正直な心でお題目を唱えていくことが成仏の直道である。そして自身が積んだ一切の福徳を亡き諸精霊に回向することが正しい姿であり、その功徳をいただいた御先祖は過去遠々劫からの罪障を消滅し即身成仏が叶い、また回向を願われた皆様も、凡眼凡智の及ばない大きな功徳善根を積まれたと拝されます」等と述べられ、最後に「今後とも信心強盛に、自行の勤行唱題と化他行である折伏に精進されますように」と御法話を結ばれました。

『盂蘭盆御書(うらぼんごしょ)』
弘安2年7月13日 58歳

「悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外(ぞんがい)に仏となり給ふ。乃至代々の子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生三悪道をはなるゝのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ。故に法華経の第三に云はく「願はくは此の功徳を以て普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云。」
(御書1377頁5行目-10行目)

★御報恩御講(14日)

令和4年8月14日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話の冒頭、令和4年8月度・御報恩御講拝読御書『妙一尼御前御返事』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、本抄の縁由・概要および当時の門下の状況と妙一尼御前について述べられ、拝読部分の通解ののち、本抄の要点として二点を挙げられ、まず一点は「信心とは南無妙法蓮華経と唱えることである」として第26世・日寛上人『依義判文抄』の御指南を引用され、信心とは一心に御本尊様を求め自行化他の唱題にはげむことが大切であると述べられました。そして二点目として「一切の方便の教え・余経を捨て南無妙法蓮華経の根本の教えを信ずる『謗法厳誡』」を挙げられ、根本の南無妙法蓮華経以外の方便の教えでは絶対に成仏できない、救われないことを自分自身の胸に刻むと同時に、周りの人たちにもそのことを教え折伏していくことが大事であると述べられたのち、御法主日如上人猊下の御指南を引用され「折伏の中に自身の幸せもあり、また折伏した相手も幸せになる」ことを理解して精進していかなければならない等と御指導いただきました。

『妙一尼御前御返事(みょういちあまごぜんごへんじ)』
弘安3年5月18日 59歳

「夫(それ)信心と申すは別にはこれなく候(そうろう)。妻(つま)のをとこ(夫)をおしむが如く、をとこの妻に命(いのち)をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母にはなれざるが如くに、法華経・釈迦・多宝・十方(じっぽう)の諸仏菩薩・諸天善神等に信(しん)を入れ奉(たてまつ)りて、南無妙法蓮華経と唱(とな)へたてまつるを信心とは申し候なり。しかのみならず「正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)、不受余経一偈(ふじゅよきょういちげ)」の経文を、女のかゞみ(鏡)をすてざるが如く、男の刀(かたな)をさすが如く、すこしもす(捨)つる心なく案じ給ふべく候。」
(御書1467頁2行目-5行目)

★広布唱題会(7日)

令和4年8月7日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より御法話に先立ち、『御講聞書』を拝読申し上げ、「火の信心」「水の信心」について御法話をいただきました。「火の信心」とは熱しやすく冷めやすい、揺れ動いたり大きさが変わったりと不安定な信心であり、「水の信心」とは絶えることなく流れる水のように弛まぬ努力を続ける信心であって、何があっても持続する水の信心の姿が大切である。ただし、日顕上人は「水の信心は大切であるが火の信心も時には大事である」と御指南あそばされている。一元的に火と水を分けるのではなく、火の信心の中に水の信心があり、また水の信心の中に火の信心があるというのが円融たる法華経の教えの姿である。常に御本尊様を強く信ずる燃え盛るような信心がなければ、水の流れるような信心を続けることはできない。また水の信心の中でも、折伏は相手を思う燃えるような強い気持ちをもって臨まなければならない等々の御指導をいただきました。

『御講聞書(おんこうききがき)』
一 法華経の行者に水火の行者の事

「総じて此の経を信じ奉る人に水火の不同有り。其の故は火の如きの行者は多く、水の如きの行者は希(まれ)なり。火の如しとは、此の経のいわれを聞きて火炎のもえ立つが如く、貴く殊勝に思ひて信ずれ共(ども)、軈(やが)て消え失ふ。此は当座は大信心と見えたれ共、其の信心の灯(ともしび)消ゆる事やすし。さて水の如きの行者と申すは、水は昼夜不退に流るゝなり。少しもやむ事なし。其(そ)の如く法華経を信ずるを水の行者とは申すなり。」
(御書1856頁)

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年8月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『法華取要抄』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由・概要を述べられたのち、初めて「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」の三大秘法が明かされた重要な御書であること。そして三大秘法の「本門の本尊」における「人本尊」と「法本尊」、「本門の戒壇」における「事の戒壇」と「義の戒壇」、「本門の題目」における「信」と「行」という六義(六大秘法)の立て分けの概要を述べられ、一大秘法たる本門戒壇の大御本尊から三大秘法・六大秘法、そして八万法蔵と開かれ、また八万法蔵も一大秘法たる本門戒壇の大御本尊に納まるのが大聖人様の御法門であると御指導されました。そして日如上人猊下の「何事も事を成ずるためには行動を起こさなければ、成るものも成らず空理空論に終わる」との御指南を引用され、自行化他にわたって自らが行動し実践していかなかればならないことを心に刻んで、日々に御精進いただきたいと御法話を結ばれました。

『法華取要抄』
文永11年5月24日 53歳

「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法は何物ぞや。答えて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。問うて曰く、正像等に何ぞ弘通せざるや。答へて曰く、正像に之を弘通せば小乗・権大乗・迹門の法門一時に滅尽(めつじん)す可きなり、問うて曰く、仏法を滅尽するの法何ぞ之を弘通せんや。答へて曰く、末法に於ては大・小・権・実・顕・密、共に教のみ有って得道無し。一閻浮提皆謗法と為(な)り畢(おわ)んぬ。逆縁の為には但(ただ)妙法蓮華経の五字に限る。」
(御書736頁)

令和4年7月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(3日) ■御報恩御講(10日) ■盂蘭盆会(15日)

★盂蘭盆会(15日)

令和4年7月15日午後1時より、盂蘭盆会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向・願い出の諸御祈念等と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『刑部左衛門尉女房御返事』の御文を拝読申し上げました。そして「お盆の起源」として、釈尊十大弟子の一人・神通第一の目連尊者が、餓鬼界に堕ちた母親を神通力をもって救おうと尽力したものの叶わず、釈尊に教えを乞うて母を餓鬼界から一劫の間救うことができた。しかしそれは母を成仏に導いて救うには至らず、さらに釈尊の教えに従って、法華経をもって目連尊者自身が修行し仏の境界となって供養することで、母を永遠に餓鬼界から救い成仏に導くことができたという説話を紹介され、「一つの大きな節目である本日の盂蘭盆会にあたり寺院に参詣され、日蓮大聖人の御本尊様のもと塔婆を建立されお題目を唱え、仏様の境界をもって亡き諸精霊を供養されたことで、亡き諸精霊もこれ以上ない功徳をいただいているものと確信いたします」と御法話を結ばれました。

『刑部左衛門尉女房御返事(ぎょうぶさえもんのじょうにょうぼうごへんじ)』
弘安3年10月21日 59歳

「夫(それ)目連尊者(もくれんそんじゃ)の父をば吉占師子(きっせんしし)、母をば青提女(しょうだいにょ)と申せしなり。母死して後餓鬼道に堕ちたり。しかれども凡夫の間は知る事なし。証果の二乗となりて天眼(てんげん)を開きて見しかば母餓鬼道に堕ちたりき。あらあさましやといふ計(ばか)りもなし、餓鬼道に行きて飯をまゐ(進)らせしかば、纔(わずか)に口に入るかと見えしが飯変じて炎となり、口はかなへ(鼎)の如く飯は炭をおこせるが如し。身は灯炬(とうこ)の如くもえあがりしかば、神通(じんずう)を現じて水を出だして消す処に、水変じて炎となり、弥(いよいよ)火炎のごとくもゑあがる。目連自力には叶はざる間、仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し、其の生飯(さば)を取りて纔に母の餓鬼道の苦をば救い給へる計りなり。」
(御書1505頁4行目-9行目)

★御報恩御講(10日)

令和4年7月10日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、まず御法話に先立ち、先に行われた講習会登山参加した意義の上から折伏に精進することが大切であること、および7月・8月のお盆経(棚経)について「一年に一回は袈裟衣をつけた僧侶を招いて、お家の御本尊様に読経・唱題することが大切である」旨の御指導をいただきました。そののち令和4年7月度・御報恩御講拝読御書『四条金吾殿御返事』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、本抄の縁由・概要および四条金吾頼基について述べられ、拝読部分の通解ののち、本抄の要点として二点を挙げられ、まず「法華経は仏様の随自意の教えであり難信難解である」から、教えを理解してから信心するとかではなく、家族、友人・知人に、まず仏様を信じて御本尊様にお題目を唱えることで幸せになれると教えることが大切であること。そして「成仏は持(たも)つにあり」であり、いかなる困難も必ず乗り越えて願いも必ず叶い幸せになっていくのだから、何があっても生涯にわたって信心をまっとうする強い気持ちを持つようにと述べられ、そして励まし合い助け合いながら皆で御信心をまっとうできるようにお願いしますと御法話を結ばれました。

『四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)』
文永12年3月6日 54歳

「法華経の文(もん)に「難信難解(なんしんなんげ)」と説(と)き玉(たま)ふは是なり。此(こ)の経をき(聞)ゝう(受)くる人は多し。まことに聞き受くる如(ごと)くに大難(だいなん)来たれども「憶持不忘(おくじふもう)」の人は希(まれ)なるなり。受くるはやす(易)く、持(たも)つはかた(難)し。さる間(あいだ)成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難(なん)に値(あ)ふべしと心得(こころえ)て持つなり。「即為疾得無上仏道(そくいしっとくむじょうぶつどう)」は疑ひ無し。三世(さんぜ)の諸仏の大事(だいじ)たる南無妙法蓮華経を念ずるを持つとは云(い)ふなり。」
(御書775頁12行目-15行目)

★広布唱題会(3日)

令和4年7月3日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より御法話に先立ち、『阿仏房尼御前御返事』を拝読申し上げ、通解ののち「折伏をしないと、これまでの人生で積み重ねてきた徳が破られて誤った人生になってしまう。常に謗法に対しては自他のために慈悲の折伏に精進しなければならない。相手の誤りを正すことは自分自身を正すことに通じる」と述べられ、「大聖人様の御化導は立正安国論に始まり立正安国論に終わると言われる、破邪顕正の精神である。今月はその『立正安国論』が著された月であるので、特に力を込めて折伏行に御精進いただきたい」等と御指導いただきました。

『阿仏房尼御前御返事(あぶつぼうあまごぜごへんじ)』
建治元年9月3日 54歳

「いふといはざる(不言)との重罪免(まぬか)れ難し。云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていま(禁)しめざる事、眼耳(げんに)の二徳忽(たちま)ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく「慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是(これ)彼が怨なり」等云々。重罪消滅しがたし。弥(いよいよ)利益の心尤(もっと)も然(しか)るべきなり。」

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年7月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
読経に引き続き、7月唱題行として午前11時まで唱題ののち焼香・各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、天野御住職より、7月唱題行、および7月・8月のお経回り(棚経)について「一年に一回は袈裟衣をつけた僧侶を招いて、お家の御本尊様に読経・唱題することが大切である」旨の御指導をいただきました。そののち『種々御振舞御書』が拝読され、通解および本抄の縁由および全体の概要ののち、大聖人様が第一回目の国家諫暁として立正安国論を奏呈あそばされたこの7月にあたり、「私たち一人一人が大聖人様の仏法を広宣流布すべく折伏行に精進することで国家が安穏となり皆が幸せになっていく。特にこの7月は唱題行を根本にして慈悲の折伏行に精進しましょう」と御指導を結ばれました。

『種々御振舞御書(しゅじゅおふるまいごしょ)』
建治2年 55歳

「教主釈尊の御使ひなれば天照太神・正八幡宮も頭(こうべ)をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給うべき事なり。法華経の行者をば梵釈左右に侍(はべ)り日月前後を照し給ふ。かかる日蓮を用いぬるともあしくうやま(敬)はゞ国亡ぶべし。何(いか)に況(いわん)や数百人ににく(憎)ませ二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑いなかるべけれども、且(しばら)く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひか(控)うればこそ、今までは安穏にありつれども、はう(法)に過ぐれば罰あたりぬるなり。又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし。」
(御書1066頁7行目-11行目)

特設ページ

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去る令和3年11月26日、持経寺本堂において、座替り式並びに第3代御住職・天野之道(あまの・しどう)御尊師の入院式が厳粛に奉修されました。
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去る令和3年12月19日、持経寺年末恒例・お餅つき大会が開催されました。
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持経寺御会式のお花飾り

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日蓮正宗の信徒組織を「法華講(ほっけこう)」といい、全国の日蓮正宗寺院には各法華講の支部があります。ここでは法華講の由来と持経寺支部をご紹介します。

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