神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

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御会式(令和4年) 御会式(令和4年)

令和4年10月23日(日)午後2時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正当会」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅の三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
当日は諸天も寿ぐ好天に恵まれ、170余名の参詣信徒がお迎え申し上げる中、神奈川布教区内・組寺(くみでら)の6名の御住職・御僧侶様方が持経寺に御出仕くださいました。
法要は御献膳、「方便品」「寿量品長行」読経ののち「御申状奉読」の儀へと移り、天野御住職並びに御住職・御僧侶様方により『日有上人御申状』『立正安国論』『日蓮大聖人御申状』『日興上人御申状』『日目上人御申状』『日道上人御申状』『日行上人御申状』が奉読されました。そののち「寿量品自我偈」読経・唱題と如法に厳修され、法要は厳粛かつ盛大に奉修されました。
さらに法要に引き続き、妙苑寺御住職・塩満齢道御尊師より布教講演をいただき、参詣信徒一同の信心の大きな糧とさせていただきました。
そして最後に、参詣信徒により「お花くずし」が行われ、本年の大乗山持経寺・御会式御正当会の一切を滞りなく終えました。

御会式(令和4年)御会式(令和4年)

令和4年10月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(2日) ■御報恩御講(9日)

★御報恩御講(9日)

令和4年10月9日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話にあたり令和4年10月度・御報恩御講拝読御書『撰時抄(せんじしょう)』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より本抄の概要と要旨、対告衆および日興上人との縁由等と拝読部分の通解ののち二つの要点を挙げられ、一つは本抄冒頭の「夫(それ)仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。」との御教示の通り、時に叶った仏法、すなわち大聖人様の南無妙法蓮華経でなければ成仏得道は思いもよらないのであること。もう一点は、大聖人様の仏法が次第に弘まっていき、そして大聖人様はもちろんのこと御歴代上人、また多くの先達のおかげで今の令和に生きる私たちの信心がある。そのことを有り難く思い報恩感謝の信心修行をしていかなければならない。慈悲の心を忘れることなく折伏・法灯相続して先達の皆様に恥じぬように、等との御指導をいただきました。

『撰時抄(せんじしょう)』
建治元年6月10日 54歳

「一渧(いってい)あつまりて大海(だいかい)となる。微塵(みじん)つもりて須弥山(しゅみせん)となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚(みょうがく)の須弥山ともなり、大涅槃(だいねはん)の大海ともなるべし。仏になる道は此(これ)よりほかに又もとむる事なかれ。」
(御書868頁2行目-5行目)

★広布唱題会(2日)

令和4年10月2日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法主上人猊下の御指南による広布唱題会の意義等について、「自宅で唱題することも大事ではあるけれでも、こうして一同して心を一つにして唱題することも大切である。また信心の姿勢、読経・唱題も身についていく。わがままな人は勤行もわがままであるが、皆で一緒に読経・唱題するなかで相手を思いやる心が生まれ、それが慈悲になり、折伏して人を救っていくことにつながっていく。自分勝手な唱題をしていたら慈悲の心は出てこない。それも一同して唱題する大切な意義である。」等と御指導をいただきました。

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年9月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『法衣書』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由・全体の概要を述べられたのち、拝読箇所の要点として「因果応報」を挙げられ、因果の理法についての第26世・日寛上人の御指南を引用され、「私たちは自身の現状の姿を嘆いてしまいがちだが、大聖人様の正法を受持信行しているのであるから、必ずや今世でも来世でも幸せな境界で人生を全うできる。大事なことは、人生の最後の最後までお題目を唱えて信心に精進していくこと」等と御指導をいただきました。

『法衣書』
弘安3年 59歳

「抑(そもそも)食は命をつぎ、衣は身をかくす。食を有情に施すものは長寿の報をまねき、人の食を奪うものは短命の報をうく。衣を人にほどこさぬ者は、世々所生に裸形(らぎょう)の報をかん(感)ず。六道の中に人道已下は皆形裸にして生まる。天は随生衣(ずいしょうえ)なり。其の中の鹿等は無衣にして生まるのみならず、人の衣をぬすみしゆへに、身の皮を人には(剥)がれて盗みし衣をつぐ(償)のうほう(報)をえ(得)たり。(中略)日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり。故に天これをにく(憎)ませ給いて、食衣とも(乏)しき身にて候。しかりといえども法華経を口に誦し、ときどきこれをと(説)く。譬えば大蛇(おろち)の珠を含み、いらん(伊蘭)よりせんだん(栴檀)を生ずるがごとし。いらんをすてゝせんだんまいらせ候。蛇形をかくして珠を授けたてまつる。」
(御書1546頁)

令和4年9月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(4日) ■御報恩御講(11日) ■第30回 法華講持経寺支部総会(11日) ■御難会(12日) ■御彼岸会(23日・25日)

★御彼岸会(23日・25日)

令和4年9月23日・25日の午前10時および午後1時の4回にわたり、秋季の御彼岸会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・焼香・唱題、各家塔婆供養等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より彼岸会にちなみ、
「彼岸会はインド・中国にはなく、日本固有の行事として古くは聖徳太子の飛鳥時代から行われていると伝えられる。〈彼岸〉とは梵語のパーラ・ミータ(波羅蜜/はらみつ)であり〈到彼岸/とうひがん〉として、迷いの此(こ)の岸から悟りの彼(か)の岸に渡る意味である。爾前権教では大変な歴劫修行を修さなければ到達できず私たちには到底不可能であるが、日蓮大聖人は『観心本尊抄』に、
「無量義経に云はく「未だ六波羅蜜(ろくはらみつ)を修行する事を得ずと雖(いえど)も六波羅蜜自然(じねん)に在前す」等云云。」
と仰られ、御本尊様にお題目を唱えていくならば自然に大変な六波羅蜜の修行が達成され、御本尊様と境智冥合し我が身そのままに最高の仏様の境界に到るのであり、それが〈彼の岸に渡った姿〉である。本日こうして寺院の御本尊様のもとに参詣された皆様方から御回向いただいた亡き諸精霊方は、さぞかし無量の福徳をいただき、心からお慶びのことと存じます。」等々と御法話をいただきました。

★御難会(12日)

令和4年9月12日午前10時より、御難会(竜ノ口法難会)が持経寺本堂において奉修されました。御難会は文永8年9月12日、宗祖・日蓮大聖人が竜ノ口(たつのくち)の法難を受けられたことを期して、御報恩謝徳申し上げる法要です。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話にあたり天野御住職より『開目抄下』の御文を拝読申し上げたのち、法難の3年前にさかのぼる蒙古国からの牒状(ちょうじょう)、『安国論御勘由来』と『十一通御書』、雨乞いの祈祷対決に大敗した極楽寺良寛の讒訴、そして平左衛門尉頼綱により捕えられ竜ノ口の法難に至るまでの経緯について述べられ、「まさに頸をはねられようとしたその時、不思議な光り物が飛来して太刀取りの眼がくらみ、時の最高権力者でもついに大聖人の命を取ることはできず、この身命を賭した法難によって、大聖人様は久遠元初の御本仏として開顕あそばされた。私たちは御本仏・日蓮大聖人に仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)申し上げるため、何があろうとも淡々と自行化他の信心修行に励んでいくことが大聖人様への御報恩の道である」等と御指導をいただきました。

『開目抄下』
文永9年2月 51歳

「日蓮といゐし者は、去年(こぞ)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんばく)佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそ(怖)ろしくてをそろ(恐怖)しからず。み(見)ん人、いかにをぢ(怖)ぬらむ」
(御書563頁)

★御報恩御講(11日)

令和4年9月11日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話にあたり令和4年9月度・御報恩御講拝読御書『佐渡御勘気抄』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、佐渡御配流の数日前に著された本抄の縁由・概要および拝読部分の通解ののち、「勧持品二十行の偈(かんじほんにじゅうぎょうのげ)」について述べられ、「日蓮大聖人はただ一人、大難四ケ度・小難数知らず、数々見擯出(さくさくけんひんずい)という勧持品二十行の偈をその身をもって読まれたのであり、そのお姿に臆して退転してはならない、いよいよ信心を強くあらねばならないとお示しの御書である。私たちも、さまざまな苦しい局面があっても、御本尊様から絶対に離れることなくお題目を唱えていくならば必ず開かれて幸せになっていくことを、常に心に刻んでいただきたい」等と御指導をいただきました。

『佐渡御勘気抄(さどごかんきしょう)』
文永8年10月初旬 50歳

「仏になる道は、必ず身命(しんみょう)をす(捨)つるほどの事ありてこそ、仏にはな(成)り候(そうろう)らめと、を(推)しはか(量)らる。既に経文(きょうもん)のごとく「悪口罵詈(あっくめり)」「刀杖瓦礫(とうじょうがりゃく)」「数々見擯出(さくさくけんひんずい)」と説(と)かれて、かゝるめに値(あ)ひ候こそ、法華経をよ(読)むにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後生(ごしょう)もたの(頼)もしく候。」
(御書482頁9行目-12行目)

★第30回 法華講持経寺支部総会(11日)

令和4年9月11日、御報恩御講に引き続き、天野御住職御臨席のもと、第30回となる法華講持経寺支部総会が開催されました。
総会は、大倉講頭によるこの9月より新体制となった法華講持経寺支部の新幹事・諸役員の紹介に始まり、前任の馬田壮年部長・佐伯婦人部長による活動報告、吉野総地区長による体験発表、ビデオ『ニューヨーク 日蓮大聖人御聖誕800年展』上映、新任の甘草壮年部長・秋元婦人部長による決意発表、来賓の戸塚副地方部長よりの祝辞と続き、ここで天野御住職より御指導を頂戴いたしました。そして最後に講を代表して大倉講頭より挨拶ののち、青年部・少年部有志の指揮により『唱えてゆこう妙法を』を全員で元気に合唱し、総会は歓喜に包まれる中つつがなく終了いたしました。

【天野御住職 御指導】

『上野殿御返事』に「此の南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へば、ゆヽしきひが(僻)事なり。」(御書1219頁)との謗法厳戒の御指南があり、また謗法については『戒体即身成仏義』には「謗(そしり)と云ふは但口を以て誹(そし)り、心を以て謗(そし)るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり。」とあり、謗法とは反発するだけが謗法ではない。信じない、行じない姿も謗法である。少しでも信心に前向きになるように話をしていくことが私たちの務めであり、それがまた法灯相続につながる。またご縁のある方々への折伏にご精進いただき、その折伏によって相手を救い、また自分自身の心の中にある謗法を破折し正しい信心の姿になっていく。常に折伏行の大事を忘れることのないように、日顕上人の「一年に一人が一人の折伏を」との御指南に心を置いて、日々の唱題に励みご精進いただきたいと思います。

★広布唱題会(4日)

令和4年9月4日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より御法話に先立ち『御講聞書』を拝読申し上げ、多くの難・迫害に逢いながらもすべての人々に法華経を説いた「不軽菩薩」の修行について述べられ、「私たちも不軽菩薩と同じように、仏法一切の根本である南無妙法蓮華経の御本尊様を讃嘆(さんたん)し、この御本尊でなければ幸せにはなれないことを、生涯、多くの方々に説いていくことが大切であり、その行の中に自他ともに罪障消滅して幸せになっていく。大聖人様の仏法を弘めることは私たちにしかできないことを自覚され、ご縁ある方々の折伏に精進いただければ、本日の唱題行の意味も大きく開いていく」等との御指導をいただきました。

『御講聞書(おんこうききがき)』
第十 聞其所説(もんごしょせつ)皆信伏随従(かいしんぶくずいじゅう)の事

「所詮今(いま)日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る行者は末法の不軽菩薩なり。」
(御書1778-1779頁)

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年9月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『聖人御難事』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由・当時の概要について述べられたのち、「私たちは大聖人様の正法を実践すればするほど、正法ゆえに必ず三障四魔が競い起こる。その時に師子王のごとく何があっても退転することなく信心を貫くことが大切であり、そこに私たちの一生成仏の姿も存する」と述べられ、御法主日如上人猊下の御指南を引かれ、「生涯、何があっても淡々と、どんな障魔が競い起こっても退転せず、自行化他にわたる信心にご精進いただきたい」と御法話を結ばれました。

『聖人御難事(しょうにんごなんじ)』
弘安2年10月1日 58歳

「各々師子王(ししおう)の心を取り出(い)だして、いかに人をど(嚇)すともを(怖)づる事なかれ。師子王は百獣にを(怖)ぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干(やかん)のほ(吠)うるなり、日蓮が一門は師子の吼(ほ)ゆるなり。〈中略〉月々日々につよ(強)り給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。 」
(御書1397頁7行目〜)

特設ページ

持経寺第3代御住職入院式 持経寺第3代御住職入院式

去る令和3年11月26日、持経寺本堂において、座替り式並びに第3代御住職・天野之道(あまの・しどう)御尊師の入院式が厳粛に奉修されました。
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★お餅つき開催(19日)

去る令和3年12月19日、持経寺年末恒例・お餅つき大会が開催されました。
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持経寺の沿革

持経寺本院外観

日蓮正宗・大乗山持経寺は、昭和41年(1966年)12月に建立されました。以来50年以上の長きにわたり、川崎の地で日蓮大聖人の正しい信仰を護り伝えています。

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行事案内

持経寺御会式のお花飾り

日蓮正宗では、御報恩御講をはじめとする月例行事、また年間最大行事である御会式をはじめとする年中行事など、さまざまな寺院行事が奉修されています。

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日蓮正宗の信仰

建長5年(1253年)4月28日、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」の宗旨を建立されました。立宗770年。日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人の血脈を受け継ぐ正統門下です。

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法華講持経寺支部

日蓮正宗の信徒組織を「法華講(ほっけこう)」といい、全国の日蓮正宗寺院には各法華講の支部があります。ここでは法華講の由来と持経寺支部をご紹介します。

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