神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

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令和4年9月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(4日) ■御報恩御講(11日) ■第30回 法華講持経寺支部総会(11日) ■御難会(12日) ■御彼岸会(23日・25日)

★御彼岸会(23日・25日)

令和4年9月23日・25日の午前10時および午後1時の4回にわたり、秋季の御彼岸会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・焼香・唱題、各家塔婆供養等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より彼岸会にちなみ、
「彼岸会はインド・中国にはなく、日本固有の行事として古くは聖徳太子の飛鳥時代から行われていると伝えられる。〈彼岸〉とは梵語のパーラ・ミータ(波羅蜜/はらみつ)であり〈到彼岸/とうひがん〉として、迷いの此(こ)の岸から悟りの彼(か)の岸に渡る意味である。爾前権教では大変な歴劫修行を修さなければ到達できず私たちには到底不可能であるが、日蓮大聖人は『観心本尊抄』に、
「無量義経に云はく「未だ六波羅蜜(ろくはらみつ)を修行する事を得ずと雖(いえど)も六波羅蜜自然(じねん)に在前す」等云云。」
と仰られ、御本尊様にお題目を唱えていくならば自然に大変な六波羅蜜の修行が達成され、御本尊様と境智冥合し我が身そのままに最高の仏様の境界に到るのであり、それが〈彼の岸に渡った姿〉である。本日こうして寺院の御本尊様のもとに参詣された皆様方から御回向いただいた亡き諸精霊方は、さぞかし無量の福徳をいただき、心からお慶びのことと存じます。」等々と御法話をいただきました。

★御難会(12日)

令和4年9月12日午前10時より、御難会(竜ノ口法難会)が持経寺本堂において奉修されました。御難会は文永8年9月12日、宗祖・日蓮大聖人が竜ノ口(たつのくち)の法難を受けられたことを期して、御報恩謝徳申し上げる法要です。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話にあたり天野御住職より『開目抄下』の御文を拝読申し上げたのち、法難の3年前にさかのぼる蒙古国からの牒状(ちょうじょう)、『安国論御勘由来』と『十一通御書』、雨乞いの祈祷対決に大敗した極楽寺良寛の讒訴、そして平左衛門尉頼綱により捕えられ竜ノ口の法難に至るまでの経緯について述べられ、「まさに頸をはねられようとしたその時、不思議な光り物が飛来して太刀取りの眼がくらみ、時の最高権力者でもついに大聖人の命を取ることはできず、この身命を賭した法難によって、大聖人様は久遠元初の御本仏として開顕あそばされた。私たちは御本仏・日蓮大聖人に仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)申し上げるため、何があろうとも淡々と自行化他の信心修行に励んでいくことが大聖人様への御報恩の道である」等と御指導をいただきました。

『開目抄下』
文永9年2月 51歳

「日蓮といゐし者は、去年(こぞ)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんばく)佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそ(怖)ろしくてをそろ(恐怖)しからず。み(見)ん人、いかにをぢ(怖)ぬらむ」
(御書563頁)

★御報恩御講(11日)

令和4年9月11日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話にあたり令和4年9月度・御報恩御講拝読御書『佐渡御勘気抄』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、佐渡御配流の数日前に著された本抄の縁由・概要および拝読部分の通解ののち、「勧持品二十行の偈(かんじほんにじゅうぎょうのげ)」について述べられ、「日蓮大聖人はただ一人、大難四ケ度・小難数知らず、数々見擯出(さくさくけんひんずい)という勧持品二十行の偈をその身をもって読まれたのであり、そのお姿に臆して退転してはならない、いよいよ信心を強くあらねばならないとお示しの御書である。私たちも、さまざまな苦しい局面があっても、御本尊様から絶対に離れることなくお題目を唱えていくならば必ず開かれて幸せになっていくことを、常に心に刻んでいただきたい」等と御指導をいただきました。

『佐渡御勘気抄(さどごかんきしょう)』
文永8年10月初旬 50歳

「仏になる道は、必ず身命(しんみょう)をす(捨)つるほどの事ありてこそ、仏にはな(成)り候(そうろう)らめと、を(推)しはか(量)らる。既に経文(きょうもん)のごとく「悪口罵詈(あっくめり)」「刀杖瓦礫(とうじょうがりゃく)」「数々見擯出(さくさくけんひんずい)」と説(と)かれて、かゝるめに値(あ)ひ候こそ、法華経をよ(読)むにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後生(ごしょう)もたの(頼)もしく候。」
(御書482頁9行目-12行目)

★第30回 法華講持経寺支部総会(11日)

令和4年9月11日、御報恩御講に引き続き、天野御住職御臨席のもと、第30回となる法華講持経寺支部総会が開催されました。
総会は、大倉講頭によるこの9月より新体制となった法華講持経寺支部の新幹事・諸役員の紹介に始まり、前任の馬田壮年部長・佐伯婦人部長による活動報告、吉野総地区長による体験発表、ビデオ『ニューヨーク 日蓮大聖人御聖誕800年展』上映、新任の甘草壮年部長・秋元婦人部長による決意発表、来賓の戸塚副地方部長よりの祝辞と続き、ここで天野御住職より御指導を頂戴いたしました。そして最後に講を代表して大倉講頭より挨拶ののち、青年部・少年部有志の指揮により『唱えてゆこう妙法を』を全員で元気に合唱し、総会は歓喜に包まれる中つつがなく終了いたしました。

【天野御住職 御指導】

『上野殿御返事』に「此の南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へば、ゆヽしきひが(僻)事なり。」(御書1219頁)との謗法厳戒の御指南があり、また謗法については『戒体即身成仏義』には「謗(そしり)と云ふは但口を以て誹(そし)り、心を以て謗(そし)るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり。」とあり、謗法とは反発するだけが謗法ではない。信じない、行じない姿も謗法である。少しでも信心に前向きになるように話をしていくことが私たちの務めであり、それがまた法灯相続につながる。またご縁のある方々への折伏にご精進いただき、その折伏によって相手を救い、また自分自身の心の中にある謗法を破折し正しい信心の姿になっていく。常に折伏行の大事を忘れることのないように、日顕上人の「一年に一人が一人の折伏を」との御指南に心を置いて、日々の唱題に励みご精進いただきたいと思います。

★広布唱題会(4日)

令和4年9月4日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より御法話に先立ち『御講聞書』を拝読申し上げ、多くの難・迫害に逢いながらもすべての人々に法華経を説いた「不軽菩薩」の修行について述べられ、「私たちも不軽菩薩と同じように、仏法一切の根本である南無妙法蓮華経の御本尊様を讃嘆(さんたん)し、この御本尊でなければ幸せにはなれないことを、生涯、多くの方々に説いていくことが大切であり、その行の中に自他ともに罪障消滅して幸せになっていく。大聖人様の仏法を弘めることは私たちにしかできないことを自覚され、ご縁ある方々の折伏に精進いただければ、本日の唱題行の意味も大きく開いていく」等との御指導をいただきました。

『御講聞書(おんこうききがき)』
第十 聞其所説(もんごしょせつ)皆信伏随従(かいしんぶくずいじゅう)の事

「所詮今(いま)日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る行者は末法の不軽菩薩なり。」
(御書1778-1779頁)

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年9月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『聖人御難事』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由・当時の概要について述べられたのち、「私たちは大聖人様の正法を実践すればするほど、正法ゆえに必ず三障四魔が競い起こる。その時に師子王のごとく何があっても退転することなく信心を貫くことが大切であり、そこに私たちの一生成仏の姿も存する」と述べられ、御法主日如上人猊下の御指南を引かれ、「生涯、何があっても淡々と、どんな障魔が競い起こっても退転せず、自行化他にわたる信心にご精進いただきたい」と御法話を結ばれました。

『聖人御難事(しょうにんごなんじ)』
弘安2年10月1日 58歳

「各々師子王(ししおう)の心を取り出(い)だして、いかに人をど(嚇)すともを(怖)づる事なかれ。師子王は百獣にを(怖)ぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干(やかん)のほ(吠)うるなり、日蓮が一門は師子の吼(ほ)ゆるなり。〈中略〉月々日々につよ(強)り給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。 」
(御書1397頁7行目〜)

令和4年8月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(7日) ■御報恩御講(14日) ■盂蘭盆会(15日)

★盂蘭盆会(15日)

令和4年8月15日の午前10時および午後1時、盂蘭盆会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向等と如法に厳修され、御法話のはじめに天野御住職より『盂蘭盆御書』の御文を拝読申し上げ、本抄の対告衆・縁由・概要、拝読部分の通解ののち、「末法の私たちは、大聖人様の、末法の御本仏としてのお立場の上からの出世の本懐である本門戒壇の大御本尊に、余事を交えず正直な心でお題目を唱えていくことが成仏の直道である。そして自身が積んだ一切の福徳を亡き諸精霊に回向することが正しい姿であり、その功徳をいただいた御先祖は過去遠々劫からの罪障を消滅し即身成仏が叶い、また回向を願われた皆様も、凡眼凡智の及ばない大きな功徳善根を積まれたと拝されます」等と述べられ、最後に「今後とも信心強盛に、自行の勤行唱題と化他行である折伏に精進されますように」と御法話を結ばれました。

『盂蘭盆御書(うらぼんごしょ)』
弘安2年7月13日 58歳

「悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外(ぞんがい)に仏となり給ふ。乃至代々の子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生三悪道をはなるゝのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ。故に法華経の第三に云はく「願はくは此の功徳を以て普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云。」
(御書1377頁5行目-10行目)

★御報恩御講(14日)

令和4年8月14日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話の冒頭、令和4年8月度・御報恩御講拝読御書『妙一尼御前御返事』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、本抄の縁由・概要および当時の門下の状況と妙一尼御前について述べられ、拝読部分の通解ののち、本抄の要点として二点を挙げられ、まず一点は「信心とは南無妙法蓮華経と唱えることである」として第26世・日寛上人『依義判文抄』の御指南を引用され、信心とは一心に御本尊様を求め自行化他の唱題にはげむことが大切であると述べられました。そして二点目として「一切の方便の教え・余経を捨て南無妙法蓮華経の根本の教えを信ずる『謗法厳誡』」を挙げられ、根本の南無妙法蓮華経以外の方便の教えでは絶対に成仏できない、救われないことを自分自身の胸に刻むと同時に、周りの人たちにもそのことを教え折伏していくことが大事であると述べられたのち、御法主日如上人猊下の御指南を引用され「折伏の中に自身の幸せもあり、また折伏した相手も幸せになる」ことを理解して精進していかなければならない等と御指導いただきました。

『妙一尼御前御返事(みょういちあまごぜんごへんじ)』
弘安3年5月18日 59歳

「夫(それ)信心と申すは別にはこれなく候(そうろう)。妻(つま)のをとこ(夫)をおしむが如く、をとこの妻に命(いのち)をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母にはなれざるが如くに、法華経・釈迦・多宝・十方(じっぽう)の諸仏菩薩・諸天善神等に信(しん)を入れ奉(たてまつ)りて、南無妙法蓮華経と唱(とな)へたてまつるを信心とは申し候なり。しかのみならず「正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)、不受余経一偈(ふじゅよきょういちげ)」の経文を、女のかゞみ(鏡)をすてざるが如く、男の刀(かたな)をさすが如く、すこしもす(捨)つる心なく案じ給ふべく候。」
(御書1467頁2行目-5行目)

★広布唱題会(7日)

令和4年8月7日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より御法話に先立ち、『御講聞書』を拝読申し上げ、「火の信心」「水の信心」について御法話をいただきました。「火の信心」とは熱しやすく冷めやすい、揺れ動いたり大きさが変わったりと不安定な信心であり、「水の信心」とは絶えることなく流れる水のように弛まぬ努力を続ける信心であって、何があっても持続する水の信心の姿が大切である。ただし、日顕上人は「水の信心は大切であるが火の信心も時には大事である」と御指南あそばされている。一元的に火と水を分けるのではなく、火の信心の中に水の信心があり、また水の信心の中に火の信心があるというのが円融たる法華経の教えの姿である。常に御本尊様を強く信ずる燃え盛るような信心がなければ、水の流れるような信心を続けることはできない。また水の信心の中でも、折伏は相手を思う燃えるような強い気持ちをもって臨まなければならない等々の御指導をいただきました。

『御講聞書(おんこうききがき)』
一 法華経の行者に水火の行者の事

「総じて此の経を信じ奉る人に水火の不同有り。其の故は火の如きの行者は多く、水の如きの行者は希(まれ)なり。火の如しとは、此の経のいわれを聞きて火炎のもえ立つが如く、貴く殊勝に思ひて信ずれ共(ども)、軈(やが)て消え失ふ。此は当座は大信心と見えたれ共、其の信心の灯(ともしび)消ゆる事やすし。さて水の如きの行者と申すは、水は昼夜不退に流るゝなり。少しもやむ事なし。其(そ)の如く法華経を信ずるを水の行者とは申すなり。」
(御書1856頁)

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年8月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『法華取要抄』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由・概要を述べられたのち、初めて「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」の三大秘法が明かされた重要な御書であること。そして三大秘法の「本門の本尊」における「人本尊」と「法本尊」、「本門の戒壇」における「事の戒壇」と「義の戒壇」、「本門の題目」における「信」と「行」という六義(六大秘法)の立て分けの概要を述べられ、一大秘法たる本門戒壇の大御本尊から三大秘法・六大秘法、そして八万法蔵と開かれ、また八万法蔵も一大秘法たる本門戒壇の大御本尊に納まるのが大聖人様の御法門であると御指導されました。そして日如上人猊下の「何事も事を成ずるためには行動を起こさなければ、成るものも成らず空理空論に終わる」との御指南を引用され、自行化他にわたって自らが行動し実践していかなかればならないことを心に刻んで、日々に御精進いただきたいと御法話を結ばれました。

『法華取要抄』
文永11年5月24日 53歳

「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法は何物ぞや。答えて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。問うて曰く、正像等に何ぞ弘通せざるや。答へて曰く、正像に之を弘通せば小乗・権大乗・迹門の法門一時に滅尽(めつじん)す可きなり、問うて曰く、仏法を滅尽するの法何ぞ之を弘通せんや。答へて曰く、末法に於ては大・小・権・実・顕・密、共に教のみ有って得道無し。一閻浮提皆謗法と為(な)り畢(おわ)んぬ。逆縁の為には但(ただ)妙法蓮華経の五字に限る。」
(御書736頁)

特設ページ

持経寺第3代御住職入院式 持経寺第3代御住職入院式

去る令和3年11月26日、持経寺本堂において、座替り式並びに第3代御住職・天野之道(あまの・しどう)御尊師の入院式が厳粛に奉修されました。
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去る令和3年12月19日、持経寺年末恒例・お餅つき大会が開催されました。
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持経寺の沿革

持経寺本院外観

日蓮正宗・大乗山持経寺は、昭和41年(1966年)12月に建立されました。以来50年以上の長きにわたり、川崎の地で日蓮大聖人の正しい信仰を護り伝えています。

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行事案内

持経寺御会式のお花飾り

日蓮正宗では、御報恩御講をはじめとする月例行事、また年間最大行事である御会式をはじめとする年中行事など、さまざまな寺院行事が奉修されています。

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法華講持経寺支部

日蓮正宗の信徒組織を「法華講(ほっけこう)」といい、全国の日蓮正宗寺院には各法華講の支部があります。ここでは法華講の由来と持経寺支部をご紹介します。

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