令和5年10月15日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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令和5年10月15日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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【令和4年から】★成人式
【令和3年】★大乗山持経寺 座替り式 並 第三代住職入院式(11月26日)★お餅つき(12月19日)【令和4年】★御会式(10月23日)★お餅つき(12月18日)【令和5年】★御会式(10月15日)★宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念 支部総登山(4月・9月・11月)★お餅つき(12月17日)
■お経日(1日) ■節分会(3日) ■広布唱題会(4日) ■興師会(7日) ■御報恩御講(11日)
■お知らせとお詫び
令和6年2月16日午前10時より、宗祖御誕生会が持経寺本堂において奉修されましたが、ホームページ編集室の都合により掲載をお休みさせていただきます。誠に申し訳ございませんが、読者の皆さまには何とぞご了承のほど、よろしくお願い申し上げます。
令和6年2月11日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年2月度・御報恩御講拝読御書『唱法華題目抄』を拝読申し上げ、通解並びに御述作当時の背景、および同抄全体の概要等について述べられ、「〈毒鼓の縁〉とは、簡略に言えば毒を塗った太鼓の音を聞いただけで死に至ることで、これは法華経を謗る心を殺すことの例えであり、強いて法華経を説き聞かせて謗らせて正法に縁を結ばせ、後々に御本尊様に巡り合い成仏を遂げることとなる。折伏を受けて素直に信受できる順縁の人もいるし、逆に誹謗して仏縁を結ぶ逆縁の人もいるが、順逆ともに大聖人様の正法によって必ず救われ成仏できる。どこまでも慈悲の心を持って、特に家族、親類縁者や親しい友人など近しい大切な人たちに、御本尊様にお題目を唱えていけるように導いて、ともに幸せになっていかなければならない。」等との御指導をいただきました。そして最後に御法主日如上人猊下の御指南をひかれ、「なかなか話を聞かない人は多いけれども、私たちが負けて諦めたらそれでおしまいであるから、諦めず相手を思う気持ちを持ち続けることが大切である。」等と述べられ御法話を結ばれました。
『唱法華題目抄(しょうほっけだいもくしょう)』
文応元年5月28日 39歳
「末代(まつだい)には善(ぜん)無き者は多く善有る者は少なし。故(ゆえ)に悪道(あくどう)に堕(だ)せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強(し)ひて説き聞かせて毒鼓(どっく)の縁(えん)と成すべきか。然(しか)れば法華経を説いて謗縁(ぼうえん)を結ぶべき時節(じせつ)なる事諍(あらそ)ひ無き者をや。」
(御書231頁9行目〜11行目)
御法主日如上人猊下御指南
「相手が思うように言うことを聞かないと一方的に断念して、折伏を途中で諦めてしまいがちであります(中略)相手がかたくなに反対しても、そのあと相手の心境が変わって入信に至ることはよくある話であり、折伏の縁を断ち切るのではなくして、根気よく折伏を続けていくことが大事であります。」
(『大日蓮』平成30年5月号)
令和6年2月7日午前10時より、興師会が持経寺本堂において奉修されました。
興師会(こうしえ)は、日蓮大聖人から仏法の正義(しょうぎ)を受け継がれ、後世まで正しく法灯を伝えてくださった日興上人に対し奉り、僧俗一同、心から御報恩申し上げるための法要です。
法要は献膳・読経・百日間唱題行と如法に厳修され、そののち天野御住職より御法話にあたり『日興遺誡置文』を拝読申し上げ、寛元4年(1246年)の御誕生から四十九院入り、12歳での岩本・実相寺への入山、そして13歳の時に日蓮大聖人への弟子入り、16歳にて大聖人の伊豆御配流に馳せ参じ、以後、大聖人御入滅まで常随給仕し仏法の一切を付嘱され、さらには7年間にわたり貫主(かんず)であられた身延からの離山、そして大石寺開創、北山本門寺(重須談所)での弟子檀那の育成、第三祖日目上人への御相承等々の御事績について述べられ、「『日興遺誡置文』の〈富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事〉〈未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事〉は、私たちの永遠にわたっての精進を促される御指南である。正しい仏法僧の三宝、仏宝(日蓮大聖人)・法宝(本門戒壇の大御本尊)・僧宝(日興上人を随一とする御歴代上人)は総本山大石寺のみにある。その総本山を中心に私たちが正しい信心を受持信行できるのは、日興上人および御歴代上人が法燈を御継承くださったからであり、仏祖三宝尊にお喜びいただけるよう、私たちは折伏行を実践し随力弘通していかなければならない。」等との御指導をいただきました。
また法要終了後、興師会の別称「芹(せり)御講」にちなんで、芹入りのおにぎりとお味噌汁等を参詣者全員に頂戴いたしました。
『日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきもん)』
元弘3年1月13日
「夫(それ)以(おもんみ)れば末法弘通の慧日は、極悪謗法の闇を照らし、久遠寿量の妙風は伽耶始成(がやしじょう)の権門を吹き払ふ。於戯(ああ)仏法に値(あ)ふこと希(まれ)にして、喩(たと)へを曇華(どんげ)の萼(はなぶさ)に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足(た)らざる者か。爰(ここ)に我等宿縁深厚なるに依って幸ひに此の経に遇ひ奉ることを得(う)、随って後学の為に条目を筆端に染むる事、偏(ひとえ)に広宣流布の金言を仰がんが為なり。
(乃至)
右の条目大略此(か)くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く。後代の学侶、敢(あ)へて疑惑を生ずること勿(なか)れ。此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず。仍(よ)って定むる所の条々件(くだん)の如し。
元弘三年癸酉正月十三日 日興 花押」
(御書1883〜1885頁)
令和6年2月4日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法話に先立ち『祈祷抄』の御文を拝読され、通解ののち、「私たちの願いは各々いろいろであっても、その一番の根本は大聖人御遺命の広宣流布を願っての折伏行に尽きる。」と述べられ、御法主日如上人猊下の御指南を引かれ、「折伏が成就できないのは、相手ではなく私たちの問題である。日如上人猊下は、折伏ができないのは、折伏をしていないからできないのであると御指南であり、自分自身が相手を救っていこうという強い気持ちがあるかどうかが、折伏成就できるできないの結果を左右する。猊下の御心をよくよく拝し、お題目を重ね、慈悲の上から一年に一人が一人を救っていくべく、折伏成就につなげて参りましょう。」等との御指導をいただきました。そして最後に『曽谷殿御返事』の御文の趣意を引かれ、「自身の罪障消滅には折伏行が不可欠である。一にも二にも折伏をしようと心に決めて、力を合わせて頑張って参りましょう。」と御指導を結ばれました。
『祈祷抄(きとうしょう)』
文永9年 51歳
「大地はささばはづるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず。」
(御書630頁)
『曽谷殿御返事(そやどのごへんじ)』
建治2年8月2日 55歳
「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋(たず)ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。」
(御書1040頁)
御法主日如上人猊下御指南
「もし、折伏が思うようにできなければ、相手の強情さを嘆くのではなくして、自分自身の信心の弱さ、題目の足りなさ、信心の現証体験の足りなさを反省し、真剣に唱題に励み、御本尊へ祈り、不軽菩薩がそうであったように、飽(あ)くなく折伏を続けていくことが肝要であります。」
(『大日蓮』平成24年9月号 第799号)
令和6年2月3日午前10時より、節分会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、および天野御住職による御宝前の豆まきと如法に厳修され、そののち節分および厄年について『四条金吾殿女房御返事』の御文を拝読され、「たとえ法華経の行者に何があろうとも、御信心をもって厄を福に転換できる。私たちも御本尊様に唱題を重ね御祈念して必ず乗り越えることができる」と御指導されました。また当宗の節分会において「福は内」のみで「鬼は外」と言わない所以について、鬼子母神や十羅刹女は正法を受持信行する人を護る諸天善神、善鬼であること等について述べられ、さらに『経王殿御返事』の御文を引用され、「こうして一年の一番大切な節目に、持経寺の御本尊様のもとに一同して集まられ皆さんが御祈念された祈りは必ず成就し、幸せな一年になることと確信いたします」と御法話を結ばれました。そして御法話ののち、本年の年女の方々を中心に豆まきが行われ、法要終了後にはお寺様より参詣者全員に「福茶」が振る舞われ、寒中に心温まるひとときをいただきました。
『四条金吾殿女房御返事(しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ)』
文永12年1月27日 54歳
「三十三のやく(厄)は転じて三十三のさいは(幸)ひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是なり。年はわか(若)うなり、福はかさ(重)なり候べし」
(御書756頁)
『経王殿御返事(きょうおうどのごへんじ)』
文永10年8月15日 52歳
「経王御前(きょうおうごぜん)にはわざは(災)ひも転じて幸(さいわ)ひとなるべし。あひかまへて御信心を出だし此(こ)の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就(じょうじゅ)せざるべき。」
(御書685頁16行目〜686頁1行目)
令和6年2月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『新池御書』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要について述べられたのち、「〈此の経の心をしれる僧〉とは御法主上人猊下であり、生涯にわたって正しく信心をして成仏を遂げるためには、本門戒壇の大御本尊への絶対信と、時の御法主上人猊下の御指南のままに信心修行することが大事である。」と述べられ、大聖人御在世当時の退転した多くの人たちの共通点として『上野殿御返事』を引かれ、「欲深く、臆病であり、愚痴の命が強く、慢心であるために教えを求めることができず、時の御法主上人猊下の御指南に従うことができない。妙信講(顕正会)、正信会、創価学会の人たちも、本来は生涯正しく信心をしたかったはずであるけれども、憍慢(きょうまん)をはじめとする十四誹謗により退転してしまった。私たちは同じ過ちを犯さないよう、ともどもに励ましあい頑張ってまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
『新池御書(にいいけごしょ)』
弘安3年2月 59歳
「皆人(みなひと)の此(こ)の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候(そうろう)が、中程(なかほど)は信心もよ(弱)はく、僧をも恭敬(くぎょう)せず、供養をもなさず、自慢して悪見(あっけん)をなす。これ恐(おそ)るべし、恐るべし。始めより終はりまで弥(いよいよ)信心をいたすべし。さなくして後悔(こうかい)やあらんずらん。譬(たと)へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩(あゆ)みをはこびて、今(いま)一日に成りて歩みをさしをきては、何として都(みやこ)の月をば詠(なが)め候べき。何(いかに)としても此の経の心をしれる僧に近づき、 弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし。」
(御書1457頁)
■元旦勤行(1日) ■広布唱題会・お経日(1日) ■成人式(8日) ■御報恩御講(14日)
令和6年1月14日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年1月度・御報恩御講拝読御書『経王殿御返事』を拝読申し上げ、通解並びに佐渡御配流中であった御述作当時の背景、および同抄全体の概要等について述べられたのち、67世・日顕上人の御指南を引用され、「この御本尊の根本は、言うまでもなく本門戒壇の大御本尊様である。一切の御本尊様は、戒壇の大御本尊様を時の御法主上人猊下が御書写・御開眼あそばされた御本尊である。その根本の大御本尊様を固く信じるからこそ、正しい血脈の上から寺院の常住御本尊様、各ご自宅の御本尊様より功徳を頂戴できる。」と述べられ、さらに御法主日如上人猊下の御指南を引用され、「どんな人であったとしても、御本尊様にしっかりとお題目を唱えていくならば、もし悪い生命、心根があったとしても、それを滅することなく正しい姿、正しい道に進んでいくことができる。そして悩み苦しむ中にあっても、安楽な仏様の境界(きょうがい)に至ることができ、どんな状況にあっても御本尊様を信じてお題目を唱えていけば、力強く前に進むことができる。」等との御指導をいただきました。
『経王殿御返事(きょうおうどのごへんじ)』
文永10年8月15日 52歳
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽(みょうらく)云(い)はく「顕本遠寿(けんぽんおんじゅ)を以て其の命(いのち)と為す」と釈(しゃく)し給ふ。経王御前(きょうおうごぜん)にはわざはひも転じて幸(さいわ)ひとなるべし。あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就(じょうじゅ)せざるべき。「充満其願(じゅうまんごがん)、如清涼池(にょしょうりょうち)」「現世安穏(げんぜあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)」疑ひなからん。」
(御書685頁14行目〜686頁1行目)
御法主日如上人猊下御指南
「正しい御本尊のもとに、確信を持って信心をしていけば、広大無辺なる御本尊の功徳によって、
「不断煩悩 不離五欲」(法華経 610頁)
と示される如く、煩悩を断つこともなく、五欲を離れることもなく、同じ欲望であっても、邪(よこし)まな欲望から正しい欲望に変革していくことができるのであります。この心の変化は、ただ、正しい御本尊様への絶対の確信と、身口意の三業にわたる強盛なる信心によって初めてかなえられるのであります。」
(大白法 令和5年11月16日 第1113号)
令和6年1月8日成人の日、財津 萌さんの成人式が持経寺本堂において執り行われました。
式は読経・唱題・御祈念ののち、天野御住職より御祝辞と新成人に向けての御指導をいただきました。そののち記念品が贈呈され、最後に御住職・御両親および参列者一同と一緒に記念撮影をし、諸天も寿ぐ穏やかな好天の中、晴れやかに新成人の門出をお祝いいたしました。
令和6年元日午前9時より、広布唱題会並びにお経日が持経寺本堂において奉修されました。
読経、焼香、広布唱題行と続き、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向ののち、天野御住職より宗旨建立772年「折伏前進の年」年頭の御挨拶をいただき、そののち『上野尼御前御返事』の御文を拝読申し上げ、通解ののち「めでたい年の始まりのこの日に、持経寺の御本尊様のもとに参詣し種々ご祈念された本日の皆さんのお姿こそ、一番めでたく喜ばしいことと拝します。」等と述べられ、さらに『聖人御難事』の御文並びに総本山第26世・日寛上人『観心本尊抄文段』の御指南を引用され、「日蓮正宗の信心は申すまでもなく、本門戒壇の大御本尊様と、大聖人以来の血脈を受け継がれる御法主上人猊下の御指南のままに信心することが根本であり、これはどのような時代が来ようとも変わらない。本年も一人が一人の折伏を目指して精進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。そして最後に、令和7年の「持経寺創立60周年記念法要」について述べられ、それに伴う記念事業としての本堂内その他の改修工事および修繕御供養について種々お話をいただきました。
『上野尼御前御返事(うえのあまごぜんごへんじ)』
弘安4年1月13日 60歳
「春のはじめ、御喜び花のごとくひらけ、月のごとくみ(満)たせ給うべきよしうけ給わり了(おわ)んぬ。」
(御書1552頁)
『聖人御難事(しょうにんごなんじ)』
弘安2年10月1日 58歳
「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すが如し。余は二十七年なり。」
(御書1396頁)
総本山第26世・日寛上人
『観心本尊抄文段(かんじんのほんぞんしょうもんだん』
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟(くきょう/究極に達すること)の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況(いわ)んや一閻浮提総体の本尊なる故なり。」
(御書文段197頁)
令和6年元旦午前0時より、持経寺本堂において元旦勤行が奉修されました。
五座の勤行ののち天野御住職より新年の御挨拶、並びに本年「折伏前進の年」にあたり御指導をいただきました(御指導の概要は「広布唱題会・お経日」参照)。そして参列者一人ひとりに縁起物の昆布(よろこぶ)が手渡され、また1階ロビーでは甘酒(ノンアルコール)を頂戴し、新年を晴れやかにスタートいたしました。
◎令和3年12月 ◎令和4年1月 ◎令和4年2月 ◎令和4年3月 ◎令和4年4月 ◎令和4年5月 ◎令和4年6月 ◎令和4年7月 ◎令和4年8月 ◎令和4年9月 ◎令和4年10月 ◎令和4年11月 ◎令和5年1月 ◎令和5年2月 ◎令和5年3月 ◎令和5年4月 ◎令和5年5月 ◎令和5年6月 ◎令和5年7月 ◎令和5年8月 ◎令和5年9月 ◎令和5年10月 ◎令和5年11月 ◎令和5年12月 ◎令和6年1月
日蓮正宗・大乗山持経寺は、昭和41年(1966年)12月に建立されました。以来50年以上の長きにわたり、川崎の地で日蓮大聖人の正しい信仰を護り伝えています。
日蓮正宗では、御報恩御講をはじめとする月例行事、また年間最大行事である御会式をはじめとする年中行事など、さまざまな寺院行事が奉修されています。
建長5年(1253年)4月28日、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」の宗旨を建立されました。立宗770年。日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人の血脈を受け継ぐ正統門下です。
日蓮正宗の信徒組織を「法華講(ほっけこう)」といい、全国の日蓮正宗寺院には各法華講の支部があります。ここでは法華講の由来と持経寺支部をご紹介します。