令和4年10月23日(日)午後2時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正当会」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅の三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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令和4年10月23日(日)午後2時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正当会」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅の三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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【令和3年】★大乗山持経寺 座替り式 並 第三代住職入院式(11月26日)★お餅つき(12月19日)【令和4年】★御会式(10月23日)★お餅つき(12月18日)
■お経日(1日) ■広布唱題会(5日) ■御報恩御講(12日) ■春季彼岸会(19日・21日)
令和5年3月19日および21日、それぞれ午前10時と午後1時の計4回に渡り、春季彼岸会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち天野御住職より彼岸会について、昼と夜の長さが同じ春分の日と秋分の日を中心とした前後7日間に行われるものであり、インド・中国にはない法要であること。また彼岸会の意味として、梵語の「パーラミータ(音訳:波羅密<はらみつ>)」からきていて、「到彼岸(とうひがん)/彼岸(パーラム)に到る(イータ)」、迷いの「此岸(しがん)」から悟りの「彼岸」に渡るという意味であること等について述べられたのち、『日妙聖人御書』の一節を引かれ「爾前権経(にぜんごんぎょう)で説く歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう/菩薩が長い間、過去現在未来の三世において転生を繰り返して修行すること)ではなく、仏法一切の根本である大聖人様の本門戒壇の大御本尊様を受持し自行化他の信行を重ねていくならば、即座に六波羅蜜の功徳のみならず一切の仏法の功徳が整い、成仏の彼岸に到達できる」等と御指導いただきました。そして『中興入道御消息』の一節を拝読され、お塔婆供養の功徳の莫大なることを述べられ、今後もご先祖供養に努められますようにと述べられたのち、最後に「折伏躍動の年」について御法主上人猊下の御指南を引かれ、折伏行の精進を督励され御法話を締めくくられました。
『日妙聖人御書(にちみょうしょうにんごしょ)』
文永9年5月25日 51歳
「六度(※六波羅密)の功徳を妙の一字にをさめ給ひて、末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給ふ。」
(御書605頁8行目〜)
『中興入道御消息(なかおきにゅうどうごしょうそく)』
弘安2年11月30日 58歳
「丈六のそとば(卒塔婆)をたてゝ、其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、その風にあたりて大海の苦をはな(離)れ、東風(こち)きたれば西山の鳥鹿(ちょうろく)、其の風を身にふ(触)れて畜生道をまぬ(免)かれて都率(とそつ)の内院に生まれん。況(いわん)やかのそとばに随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をて(照)らし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つゞみ(鼓)をう(打)てばひゞ(響)きのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕はし給へ。」
(御書1434頁5行目〜)
令和5年3月12日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち御法話にあたり令和5年3月度・御報恩御講拝読御書『諸経と法華経と難易の事』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より本抄の背景・概要と全体の要旨について等述べられ、拝読御文の通解ののちその要点として「法華経以外の教えは〈権教〉〈随他意〉、法華経は〈実教〉〈随自意〉であり、法華経が根本の教えであるにもかかわらず弘法は『三重の劣』としてこれを下し真実の法華経が覆い隠されてしまった。正しく破邪顕正の信心をもって、謗法の姿を糾していくことが私たちの使命である。」と御指導され、さらに「〈仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。〉であり、謗法の充満により疫病のコロナ禍や戦争、大地震や異常気象等で多くの人々が苦しんでいる。世界が平和で幸せになるためには、正法をもって謗法を退治しなければならない。また人も邪法を信ずればおかしな人間になっていく。私たちは正しい御本尊様から絶対に離れず、良識ある人として振る舞うことができるように。」等との御指導をいただきました。
『諸経と法華経と難易の事(しょきょうとほけきょうとなんいのこと)』
弘安3年5月26日 59歳
「弘法(こうぼう)・慈覚(じかく)・智証(ちしょう)の御義(おんぎ)を本(もと)としける程に、此の義すでに日本国に隠没(おんもつ)して四百余年なり。珠(たま)をもって石にかへ、栴檀(せんだん)を凡木(ぼんぼく)にうれり。仏法やうやく顚倒(てんどう)しければ世間も又(また)濁乱(じょくらん)せり。仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲(ま)がれば影なゝめなり。幸ひなるは我が一門、仏意(ぶっち)に随って自然(じねん)に薩般若海(さばにゃかい)に流入(るにゅう)す。苦しきは世間の学者、随他意(ずいたい)を信じて苦海(くかい)に沈まん。」
(御書1469頁8行目-11行目)
令和5年3月5日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法話にあたり『日女御前御返事』の一文を拝読申し上げ、「この御本尊様を拝していながら、幸せになる人とそうならない人の違いは〈信心の厚薄〉による。現状に満足できていない、まだ幸せを感じていないならば、信心がまだもう一歩足りていない。それを自分自身に言い聞かせ精進するならば、必ず幸せになっていく。御法主上人猊下が、自行と化他行は車の両輪であると常々仰せであり、自身は懸命にお題目を唱えていても幸せを実感できないのは、もう肩輪の化他行が足らない姿である。この化他行が整うことで信心の厚薄が整い幸せになっていくので、それぞれの分に応じて折伏に精進しましょう。」等との御指導をいただきました。
『日女御前御返事(にちにょごぜごへんじ)』
弘安2年8月23日 58歳
「此(こ)の御本尊も只(ただ)信心の二字にをさまれり。以信得入(いしんとくにゅう)とは是なり。日蓮が弟子檀那等『正直捨方便』『不受余経一偈(ふじゅよきょういちげ)』と無二に信ずる故によ(因)て、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもしたのもし。如何(いか)にも後生をたし(嗜)なみ給ふべし、たしなみ給ふべし。穴賢(あなかしこ)。南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤(もっと)も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。」
(御書1388頁13行目~)
令和5年3月1日午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『上野殿後家尼御返事』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由、南条兵衛七郎殿と、その後を継いで南条家の発展に種々尽力された後家尼について述べられ、さらに『上野殿御返事』の「「女子は門を開く、男子は家を継ぐ」の御文を挙げられ、「嫁いできた家を守り、発展・興隆させていくには女性の方々の力が大事である。上野殿後家尼も主人亡きあと、信心根本に力を発揮し門を開かれた。令和に生きる私たちも、何があっても力強く信心で乗り越えていかなければならない。そうして後々の人々に〈ご先祖は立派な人であった〉言われるように頑張って信心してまいりましょう」等との御指導をいただきました。
『上野殿後家尼御返事(うえのどのごけあまごへんじ)』
文永2年7月11日 44歳
「寿量品に云はく「我実に成仏してより已来(このかた)無量無辺なり」等云云。此の経文に我と申すは十界なり。十界本有(ほんぬ)の仏なれば浄土に住するなり。方便品に云はく「是の法は法位に住して世間の相常住なり」云云。世間のならひとして三世常恒(じょうごう)の相なればなげ(嘆)くべきにあらず、をど(驚)ろくべきにあらず。相の一字は八相(はっそう)なり、八相も生死の二字をいでず。か(斯)くさと(悟)るを法華経の行者の即身成仏と申すなり。
故聖霊(しょうりょう)は此の経の行者なれば即身成仏疑ひなし。さのみなげき給ふべからず。又なげき給ふべきが凡夫のことわりなり。ただし聖人の上にもこれあるなり。釈迦仏御入滅のとき、諸大弟子等のさとりのなげき、凡夫のふ(振)るま(舞)ひを示し給ふか。いかにもいかにも追善供養を心のをよ(及)ぶほどはげみ給ふべし。古徳のことばにも、心地を九識にもち、修行をば六識にせよとをし(教)へ給ふ。ことわりにもや候らん。此の文には日蓮が秘蔵の法門か(書)きて候ぞ。秘しさせ給へ、秘しさせ給へ。あなかしこ、あなかしこ。
七月十一日 日 蓮 花押
上野殿後家尼御前御返事」
(御書338頁3行目〜)
■お経日(1日) ■節分会(3日) ■広布唱題会(5日) ■興師会(7日) ■御報恩御講(12日) ■宗祖御誕生会(16日)
令和5年2月16日午前10時より、宗祖御誕生会が持経寺本堂において奉修されました。
宗祖御誕生会(しゅうそおたんじょうえ)は、末法の御本仏である宗祖・日蓮大聖人の末法御出現をお祝い申し上げ、その御報恩のために、御誕生日である2月16日に奉修される法要です。
法要は献膳・読経・百日間唱題行と如法に厳修され、天野御住職より御法話にあたり『日興遺誡置文』を拝読申し上げ、そののち宗祖・日蓮大聖人の御誕生について、釈尊をはじめ天台大師、伝教大師、浄土宗の法然、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元などが皆王族・貴族出身であるなかで、日蓮大聖人が身分の低い民の御出生である理由、また御誕生における数々の瑞相等々について述べられ、「大聖人の御誕生は、末法万年にわたって一切衆生救済のためであり、〈立正安国〉のためである。私たち大聖人の弟子檀那は『四菩薩造立抄』に〈総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候え〉と仰せのように、大聖人と同じ心持ちをもって折伏をしていくことが大事である」との御指導をいただきました。
『日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきもん)』
元弘3年1月13日
「夫(それ)以(おもんみ)れば末法弘通の慧日(えにち)は、極悪謗法の闇を照し、久遠寿量の妙風は伽耶始成(がやしじょう)の権門を吹き払ふ。於戲(ああ)仏法に値(あ)ふこと希(まれ)にして、喩(たと)へを曇華(どんげ)の蕚(はなぶさ)に仮り類を浮木の穴に比せん。尚以て足らざる者か。爰(こと)に我等宿縁深厚なるに依って幸ひに此の経に遇い奉ることを得(う)。随って後学の為に条目を筆端に染むる事、偏(ひとえ)に広宣流布の金言を仰がんが為なり。
一、富士の立義 聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事。
(乃至)
一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致す可き事。」
(御書1883頁〜)
令和5年2月12日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、そののち御法話にあたり令和5年2月度・御報恩御講拝読御書『持妙法華問答抄』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より本抄の背景・概要と全体の要旨について等述べられたのち、拝読御文の通解、さらに関連して我慢偏執(がまんへんしゅう)について、「慢心や自身の偏った考えに執着するのではなく、素直な気持ちで正直に淡々と御本尊様にお題目を唱えられる信心の人は、どのようなつらい状況になっても〈柔らかい心〉で受け止めて包み込み、幸せな人生を送っていくことができる」等と御指導され、拝読御文の要点として「名聞名利や我慢偏執にとらわれ正しいことを受け入れられない人は成仏できない。時の御法主上人猊下の御指南を素直に正直に拝して勤行唱題していくことがそれを免れる道である」、さらに御法主日如上人猊下の御指南を引用され、「一番身近な自分の家族みんなが信心できることがまず一番大事であり、家族いっしょに勤行唱題し寺院参詣し御登山できることが幸せである。まず自分の家で広宣流布し仏国土にしましょう」等との御指導をいただきました。
『持妙法華問答抄(じみょうほっけもんどうしょう)』
弘長3年 42歳
「只(ただ)須(すべから)く汝(なんじ)仏にならんと思はゞ、慢(まん)のはた(幢)ほこをたをし、忿(いか)りの杖(つえ)をすてゝ偏(ひとえ)に一乗に帰すべし。名聞名利は今生のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生(ごしょう)のほだ(紲)しなり。嗚呼(ああ)、恥(は)づべし恥づべし、恐るべし恐るべし。」
(御書296頁1行目-3行目)
令和5年2月7日午前10時より、興師会が持経寺本堂において奉修されました。
興師会(こうしえ)は、日蓮大聖人から仏法の正義(しょうぎ)を受け継がれ、後世まで正しく法灯を伝えてくださった日興上人に対し奉り、僧俗一同、心から御報恩申し上げるための法要です。
法要は献膳・読経・百日間唱題行と如法に厳修され、そののち天野御住職より御法話にあたり『日蓮一期弘法付嘱書』『身延山付嘱書』を拝読申し上げ、日興上人12歳での岩本・実相寺への入山、そして13歳の時に日蓮大聖人への弟子入り、16歳にて大聖人の伊豆御配流に馳せ参じ、以後、大聖人御入滅まで常随給仕し仏法の一切を付嘱され、さらには身延離山から大石寺開創に至る御事績等について述べられ、「日興上人が遺された〈富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事〉〈未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事〉等の御指南に違うことなく精進することが基本中の基本である。正法正義(しょうぼうしょうぎ)を堅く守り抜かれた日興上人によって、私たちは大聖人の正しい仏法を拝することができていることを御報恩謝徳申し上げ、精進することが大切である。」等との御指導をいただきました。
また法要終了後、興師会の別称「芹(せり)御講」にちなんで、芹入りのおにぎりとお味噌汁等を参詣者全員に頂戴いたしました。
『日蓮一期弘法付嘱書(にちれんいちごぐほうふぞくしょ)』
弘安5年9月 61歳
「日蓮一期(いちご)の弘法(ぐほう)、白蓮阿闍梨日興(びゃくれんあじゃりにっこう)に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此(こ)の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂(い)ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年 壬午(みずのえうま) 九月 日
日蓮 花押
血脈の次第 日蓮日興」
(御書1675頁)
『身延山付嘱書(みのぶさんふぞくしょ)』
弘安5年10月13日 61歳
「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当(べっとう)たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年 壬午(みずのえうま) 十月十三日
武州池上
日蓮 花押」
(御書1675頁)
令和5年2月5日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法話にあたり『生死一大事血脈抄』の一文を拝読申し上げ、通解ののち、「〈異体同心〉とは、単に皆で集まるのではなく、一つの目的を同じくすることである。その基準は時の御法主上人猊下の御指南であり、御指南を中心にすることが正しい異体同心である」と御指導をいただき、さらに「〈生死一大事の血脈〉には総別の二義があり、総じては〈南無妙法蓮華経を信じる信徒みんなに大聖人様からの血脈が流れる〉のであり、別しては〈唯授一人の御法主上人猊下の血脈〉である。あくまでも唯授一人の血脈が生死一大事の血脈の根本であり、その御法主上人猊下の御指南のままに信心修行する人に、総じての生死一大事の血脈がある。」等との御指導をいただきました。
『生死一大事血脈抄(しょうじいちだいじけちみゃくしょう)』
文永9年2月11日 51歳御述作
「総じて日蓮が弟子檀那(でしだんな)等(とう)自他彼此(じたひし)の心なく、水魚(すいぎょ)の思ひを成して異体同心(いたいどうしん)にして南無妙法蓮華経と唱(とな)へ奉(たてまつ)る処(ところ)を、生死一大事(しょうじいちだいじ)の血脈(けちみゃく)とは云(い)ふなり。」
(御書514頁5行目~7行目)
令和5年2月3日午前10時より、節分会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、および天野御住職による御宝前の豆まきと如法に厳修され、そののち節分について『四条金吾殿女房御返事』の御文を拝読され、「厄年など法華経の行者に何があろうとも御信心をもって厄を福に転換できる。」と御指導され、また当宗の節分会において「福は内」のみで「鬼は外」と言わない所以について等々述べられました。そして御法話ののち、本年の年女の方々を中心に豆まきが行われ、法要終了後にはお寺様より参詣者全員に「福茶」が振る舞われ、寒中にひとときの暖をいただきました。
『四条金吾殿女房御返事(しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ)』
文永12年1月27日 54歳御述作
「三十三のやく(厄)は転じて三十三のさいは(幸)ひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是なり。年はわか(若)うなり、福はかさ(重)なり候べし」
(御書756頁)
令和5年2月1日午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『四条金吾殿御返事』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由、対告衆である四条金吾を取り巻く当時の極めて厳しい状況等について詳細を述べられたのち、拝読御文の要点として「私たち僧俗は、大聖人様よりの血脈付法の、時の御法主上人猊下の御指南のままに信心修行していくことで私たちの祈りも叶う。その御指南を聞かず自分のことばかり祈っても、師と心が合っていないので祈りは叶わない。日如上人猊下の御指南は、自行と化他行(折伏)の両輪が揃わなけれならないとの仰せであり、その御指南のままに信心修行する中で私たちの祈りも叶っていく。」等との御指導をいただきました。
『四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)』
建治3年4月 56歳
「だんな(檀那)と師とをも(思)ひあ(合)わぬいの(祈)りは、水の上に火をた(焚)くがごとし。又だんなと師とをもひあひて候へども、大法を小法をもってをかし(犯)てとしひさし(年久)き人々の御いのりは叶ひ候はぬ上、我が身もだんなもほろび候なり。」
(御書1118頁6行目〜8行目)
◎令和3年12月 ◎令和4年1月 ◎令和4年2月 ◎令和4年3月 ◎令和4年4月 ◎令和4年5月 ◎令和4年6月 ◎令和4年7月
◎令和4年8月 ◎令和4年9月 ◎令和4年10月 ◎令和4年11月 ◎令和5年1月 ◎令和5年2月日蓮正宗・大乗山持経寺は、昭和41年(1966年)12月に建立されました。以来50年以上の長きにわたり、川崎の地で日蓮大聖人の正しい信仰を護り伝えています。
日蓮正宗では、御報恩御講をはじめとする月例行事、また年間最大行事である御会式をはじめとする年中行事など、さまざまな寺院行事が奉修されています。
建長5年(1253年)4月28日、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」の宗旨を建立されました。立宗770年。日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人の血脈を受け継ぐ正統門下です。
日蓮正宗の信徒組織を「法華講(ほっけこう)」といい、全国の日蓮正宗寺院には各法華講の支部があります。ここでは法華講の由来と持経寺支部をご紹介します。