去る令和3年11月26日、持経寺本堂において、座替り式並びに第3代御住職・天野之道(あまの・しどう)御尊師の入院式が厳粛に奉修されました。
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令和4年7月
■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(3日) ■御報恩御講(10日) ■盂蘭盆会(15日)
★盂蘭盆会(15日)
令和4年7月15日午後1時より、盂蘭盆会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向・願い出の諸御祈念等と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『刑部左衛門尉女房御返事』の御文を拝読申し上げました。そして「お盆の起源」として、釈尊十大弟子の一人・神通第一の目連尊者が、餓鬼界に堕ちた母親を神通力をもって救おうと尽力したものの叶わず、釈尊に教えを乞うて母を餓鬼界から一劫の間救うことができた。しかしそれは母を成仏に導いて救うには至らず、さらに釈尊の教えに従って、法華経をもって目連尊者自身が修行し仏の境界となって供養することで、母を永遠に餓鬼界から救い成仏に導くことができたという説話を紹介され、「一つの大きな節目である本日の盂蘭盆会にあたり寺院に参詣され、日蓮大聖人の御本尊様のもと塔婆を建立されお題目を唱え、仏様の境界をもって亡き諸精霊を供養されたことで、亡き諸精霊もこれ以上ない功徳をいただいているものと確信いたします」と御法話を結ばれました。
『刑部左衛門尉女房御返事(ぎょうぶさえもんのじょうにょうぼうごへんじ)』
弘安3年10月21日 59歳
「夫(それ)目連尊者(もくれんそんじゃ)の父をば吉占師子(きっせんしし)、母をば青提女(しょうだいにょ)と申せしなり。母死して後餓鬼道に堕ちたり。しかれども凡夫の間は知る事なし。証果の二乗となりて天眼(てんげん)を開きて見しかば母餓鬼道に堕ちたりき。あらあさましやといふ計(ばか)りもなし、餓鬼道に行きて飯をまゐ(進)らせしかば、纔(わずか)に口に入るかと見えしが飯変じて炎となり、口はかなへ(鼎)の如く飯は炭をおこせるが如し。身は灯炬(とうこ)の如くもえあがりしかば、神通(じんずう)を現じて水を出だして消す処に、水変じて炎となり、弥(いよいよ)火炎のごとくもゑあがる。目連自力には叶はざる間、仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し、其の生飯(さば)を取りて纔に母の餓鬼道の苦をば救い給へる計りなり。」
(御書1505頁4行目-9行目)