一念に法界三千を具すという観念も、一心に空・仮・中の理をすべて具すとの観法も、ことごとくそれが妙法蓮華経に収まっている。また、法界のすべてに通じ、すべてを具(そな)える妙法蓮華経は、我らの一心に収まっているのである。
したがって、人法体一の妙法を唱えるとき、あらゆる権(か)りの教えや、我が心のみを中心とする方法では全く顕れることのない、本来の心中の仏が顕れるのである。
(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』 10ページ)
令和6年11月17日(日)午後2時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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【令和4年から】★成人式
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■お経日(1日) ■広布唱題会・節分会(2日) ■興師会(7日) ■御報恩御講(9日) ■宗祖御誕生会(16日)
令和7年2月16日午前10時より、宗祖御誕生会が持経寺本堂において奉修されました。
宗祖御誕生会(しゅうそごたんじょうえ)は、末法の御本仏である宗祖・日蓮大聖人の末法御出現をお祝い申し上げ、その御報恩のために、御誕生日である2月16日に奉修される法要です。
法要は献膳・読経・百日間唱題行と如法に厳修され、はじめに天野御住職よりお寺での唱題行について「皆の唱題が導師とズレてしまうのは、誰かが導師のマイクを無視して大きな声で唱題し、周りがそれに引っ張られてしまっている。思いっきり声を出して唱題しているという方は、周囲に迷惑をかける自分中心のわがままな信心の人である。すべては御本尊様が中心でなければならないのであり、大声は単なる自己満足・自分中心の姿、そして増上慢にもつながる。御本尊様にすべてを捧げおまかせ申し上げる気持ちで、導師や周りの声をよく聞いて穏やかに唱題していけば、自己中心の捻じ曲がった性根も正され、素直な命になっていくのである。」等と述べられました。そして御法話にあたり『産湯相承事』を拝読申し上げ、そののち宗祖・日蓮大聖人の御誕生について、釈尊をはじめ天台大師、伝教大師、浄土宗の法然、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、浄土真宗の親鸞などが皆王族・貴族出身であるなかで、日蓮大聖人が身分の低い民の御出生である理由、また御誕生における数々の吉瑞(きちずい)等々について述べられ、「本日の御誕生会を契機として決意を新たにし、一層の唱題に励み〈一年に一人が一人の折伏〉を目指し前進してまいりましょう。その中に自分自身の本当の幸せと持経寺の興隆があり、神奈川布教区の発展があり、ひいては総本山の繁栄がある。」等との御指導をいただきました。
『産湯相承事(うぶゆそうじょうのこと)』
日興之を記す
御名乗りの事、始めは是生(ぜしょう)、実名(じつみょう)は蓮長(れんちょう)と申し奉る。後に日蓮と名乗り有りし御事は、悲母梅菊女は童女の御名なり平の畠山殿の一類にて御坐(ござ)すと云云。法号妙蓮禅尼の御物語之(これ)有る事は、我に不思議の御夢相(おんむそう)有り、清澄寺に通夜申したりし時、汝が志(こころざし)真に神妙なり、一閻浮提第一の宝を与へんと思ふなり。〔父母夫婦先表の口伝〕東条の片海に三国大夫(みくにのたいふ)と云ふ者あり、是を夫と定めよと云云。
(御書1708頁)
令和7年2月9日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話に先立ち、天野御住職より令和7年2月度・御報恩御講拝読御書『寂日房御書』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要等について述べられたのち、「信心が強盛であっても、体が動かなくなれば信心修行も思うに任せなくなる。調子が悪いと感じたら我慢せず、早めに対処することが大事である。せっかく人界に生まれて大聖人様の御本尊様に巡り会えたのだから、一日でも長く生きてお題目を唱えて、今世に精一杯たくさんの福徳を積んで来世に行くこと。それが私たちの日々の信心であり、また本来なら暗中模索の人生が、御本尊様の功徳によって開けてくるのである。」等と述べられ、さらに「謙虚であることが大切である。折伏にしても、こちらが上から目線では誰も信心しようとは思わない。御法主日如上人猊下は常々〈成仏は人格の完成形である〉と御指南であり、〈難しいことはわからないけれども、あなたがそう言うなら信心してみよう〉と言われる私たちにならなければいけない。そのためには化他折伏をすることであり、自行だけでは人格の完成形は望めない。私たちは折伏によって、闇の中で暗中模索している人々を照らす光明としての任を担っているのである。」等との御指導をいただきました。
『寂日房御書(じゃくにちぼうごしょ)』
弘安2年9月16日 58歳
経に云(い)はく「日月(にちがつ)の光明(こうみょう)の能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除(のぞ)くが如(ごと)く、斯(こ)の人(ひと)世間(せけん)に行(ぎょう)じて能く衆生(しゅじょう)の闇(やみ)を滅(めっ)す」と此(こ)の文(もん)の心よくよく案(あん)じさせ給(たま)へ。「斯人行世間(しにんぎょうせけん)」の五(いつ)つの文字(もんじ)は、上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)末法(まっぽう)の始めの五百年に出現(しゅつげん)して、南無妙法蓮華経の五字(ごじ)の光明(こうみょう)をさ(指)しい(出)だして、無明煩悩(むみょうぼんのう)の闇(やみ)をてらすべしと云(い)ふ事なり。日蓮等此の上行菩薩の御使(おんつか)ひとして、日本国(にほんごく)の一切衆生(いっさいしゅじょう)に法華経をう(受)けたも(持)てと勧(すす)めしは是なり。
(御書1393頁13行目〜1394頁1行目)
【上から】◎大聖人をお慕いし弟子入りを乞う日興上人 ◎二箇相承御付嘱 ◎大石寺開創之図
令和7年2月7日午前10時より、興師会が持経寺本堂において奉修されました。
興師会(こうしえ)は、日蓮大聖人から仏法の正義(しょうぎ)を受け継がれ、後世まで正しく法灯を伝えてくださった日興上人に対し奉り、僧俗一同、心から御報恩申し上げるための法要です。
法要は献膳・読経・百日間唱題行と如法に厳修され、そののち天野御住職より御法話にあたり『日蓮一期弘法付嘱書』『身延山付嘱書』を拝読申し上げ、日興上人の御出自より四十九院での勉学、12歳での岩本・実相寺への入山、そして13歳の時に日蓮大聖人への弟子入り、16歳にて大聖人の伊豆御配流に馳せ参じ、以後、大聖人御入滅までの22年間常随給仕し、『日蓮一期弘法付嘱書』『身延山付嘱書』の二箇相承にて仏法の一切を付嘱され、さらには地頭・波木井実長の謗法による身延離山から大石寺開創に至る御事績等について述べられ、「私たちは、日興上人が遺された〈富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事〉〈未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事〉等の御指南に違うことなく、広宣流布に向かって大聖人様の正法を寸分違わずお護りし折伏していかなければならない。」等との御指導をいただきました。
また法要終了後、興師会の別称「芹(せり)御講」にちなんで、芹入りのおにぎりとお味噌汁等を参詣者全員に頂戴いたしました。
『日蓮一期弘法付嘱書(にちれんいちごぐほうふぞくしょ)』
弘安5年9月 61歳
日蓮一期(いちご)の弘法(ぐほう)、白蓮阿闍梨日興(びゃくれんあじゃりにっこう)に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此(こ)の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂(い)ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年 壬午(みずのえうま) 九月 日
日蓮 花押
血脈の次第 日蓮日興
(御書1675頁)
『身延山付嘱書(みのぶさんふぞくしょ)』
弘安5年10月13日 61歳
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当(べっとう)たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年 壬午(みずのえうま) 十月十三日
武州池上
日蓮 花押
(御書1675頁)
令和7年2月2日午前9時より、広布唱題会並びに節分会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より節分会と豆まきにの由来、厄年等についてお話しいただいたのち、『四条金吾殿女房御返事』の御文を拝読申し上げ、「大聖人様の仏法を拝する私たちは、御本尊様にお題目を唱え自身と周りのたくさんの人たちの幸せを願っていくところに、大きな福徳が積まれ、すべてを乗り越えていくことができる。そしてお題目を唱えながら、自身の体調管理にも事細かに留意していけば息災延命が叶い、長生きできれば、それだけお題目を唱え福徳を積むことができる。本年一年も元気に、信心に精進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。そして最後に年男・年女を中心に皆で豆まきをし、お寺様にご用意いただいた福豆の豆茶にて寒中の暖をいただきました。
『四条金吾殿女房御返事(しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ)』
文永12年1月27日 54歳
又三十三のやく(厄)は転じて三十三のさいは(幸)ひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生(しちなんそくめつしちふくそくしょう)とは是なり。年はわか(若)うなり。福はかさ(重)なり候ベし、あなかしこ、あなかしこ。
(御書757頁16行目〜)
令和7年2月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『新池御書』を拝読申し上げ、通解並びに本抄全体の概要等について述べられたのち、「毎日の勤行・唱題も、今日は疲れているから、時間がないから等とさぼることは、この雪山の寒苦鳥と同じである。仏道修行の実践は〈動く〉ことであり、動かなければ結果は出ない。御本尊様の前に座る、そして化他行の折伏に精進する。そこに御法主日如上人猊下が御指南の〈動けば必ず智慧が涌く〉〈御仏智をいただける〉のである。こうして有り難くも人界に生まれたからには、雪山の寒苦鳥のようにならないという思いと行動が一致するように、日々精進しなければならない。」等との御指導をいただきました。
『新池御書(にいいけごしょ)』
弘安3年2月 59歳
雪山の寒苦鳥は寒苦にせ(責)められて、夜明けなば栖(す)つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたゝかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚(むな)しく鳴くことをう(得)。一切衆生も亦復〔またまた〕是くの如し。地獄に堕ちて炎にむせぶ時は、願はくは今度人間に生まれて諸事を閣(さしお)いて三宝を供養し、後世菩提をたす(助)からんと願へども、たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯(ともしび)は消えやすし。無益(むやく)の事には財宝をつ(尽)くすにお(惜)しからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是(これ)をもの(物)う(憂)く思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきを(競)ふものなり。寸善尺魔と申すは是なり。
(御書1457頁14行目〜)
■元旦勤行(1日) ■広布唱題会・お経日(1日) ■御報恩御講(12日) ■成人式(13日)
令和7年1月13日成人の日、秋元 杏さんの成人式が持経寺本堂において朝勤行終了後に執り行われました。
当日は好天にも恵まれ、朝勤行終了後、天野御住職より御祝辞並びに『観心本尊抄』を引用されての御指導をいただきました。そののち記念品が贈呈され、最後に天野御住職・御両親および参列者一同と一緒に記念撮影をし、晴れやかに新成人の門出をお祝いいたしました。
『如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいのめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう)』
文永10年4月25日 52歳
天晴れぬれば地明らかなり、法華を識(し)る者は世法を得(う)べきか。
(御書662頁)
令和7年1月12日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話に先立ち、鈴木仁翔(まさと)さんの成人式が執り行われ、寺院および持経寺支部青年部からの記念品贈呈ののち、天野御住職より新成人に向けての御指導をいただきました。引き続き御法話に移り、令和7年1月度・御報恩御講拝読御書『四条金吾殿御返事』を拝読申し上げ、通解並びに御述作当時の背景、および同抄全体の概要等について述べられたのち、「勤行・唱題することは大切な根本であるが、それだけで終わってしまってはいけない。一歩外に出たら、常に自分は御本尊様を掲げているのだという自覚を持たなければならない。自分の立ち居振る舞いが悪ければ、御本尊様にご迷惑をおかけすることになる。どこにあっても良識豊かな振る舞いの人でなければ、大聖人様の仏法は正しいと言っても信用してもらえない。御法主日如上人猊下が〈成仏は人格の完成形である〉と仰せのように、周りの方々から慕われ尊敬される人になっていくことで、〈あなたがそう言うなら間違いない〉〈私も信じてみよう〉と言われるまでになれば有り難いことであり、それを目指していくことが私たちの務めである。そのためには、生涯変わらず淡々と、臨終のその時まで信心を貫き通すことが何よりも大切である。」等との御指導をいただきました。
『四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)』
文永9年5月2日 51歳
貴辺(きへん)又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人(しょにん)にかたり給(たま)ふ。是(これ)豈(あに)流通(るつう)にあらずや。法華経の信心をとをし給へ。火をきるにやす(休)みぬれば火をえず。強盛(ごうじょう)の大信力(だいしんりき)をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人(じょうげばんにん)、乃至(ないし)日本国(にほんごく)の一切衆生(いっさいしゅじょう)の口(くち)にうたはれ給へ。
(御書599頁2行目〜4行目)
令和7年元日午前9時より、広布唱題会並びにお経日が持経寺本堂において奉修されました。
読経、焼香、広布唱題行と続き、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向ののち、天野御住職より宗旨建立773年「活動充実の年」年頭の御挨拶をいただき、そののち『十字御書』の御文を拝読申し上げ、通解ののち「皆様には、この大事な元旦に持経寺の御本尊様のもとに参集され本年一年の誓いを立てられ、それを忘れることなく自行化他の精進を重ねるならば、必ずやそこに大きな功徳善根が存し、願いはすべて叶い、福徳に満ちあふれた一年になる。ただし『日厳尼御前御返事』に御教示あるとおり、願いが成就するかどうかは、私たちの日々の御信心の姿による。本門戒壇の大御本尊様と、時の御法主上人猊下の御指南からはずれてしまっては、いかに一生懸命に信心したとしても、それは大聖人様の信心ではなく、自分本位の誤った姿である。」等と述べられたのち、御法主日如上人猊下の御指南を引用され、「私たちの信心修行の中心は自行の勤行・唱題と化他行の折伏である。皆様には、本年も一人でも多く縁ある方々への折伏に励み、講中の力を合わせて本年の折伏誓願を達成し、もって御法主上人猊下の御指南にお応えいたしましょう。」等との御指導をいただきました。
『十字御書(むしもちごしょ)』
弘安3年11月29日 59歳
正月の一日は日のはじめ、月の始め、とし(年)のはじめ、春の始め。此(これ)をもてなす人は月の西より東をさしてみ(満)つがごとく、日の東より西へわたりてあき(明)らかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあい(愛)せられ候なり。
(御書1551頁)
『日厳尼御前御返事(にちごんあまごぜんごへんじ)』
弘安4年1月5日 60歳
叶ひ叶はぬは御信心により候べし。全く日蓮がとが(咎)にあらず。
(御書1519頁)
御法主日如上人猊下御指南
本年「活動充実の年」は、各講中共に仏祖三宝尊への御報恩のもと、講中の総力を結集して活動の充実をはかり、勇猛果敢に折伏を実践し、以て一天広布を目指して、大きく前進すべき誠に大事な年であります。
(『大日蓮』令和7年1月号 新年之辞)
令和7年元旦午前0時より、持経寺本堂において元旦勤行が奉修されました。
五座の勤行ののち天野御住職より新年の御挨拶、並びに本年「活動充実の年」にあたり御指導をいただきました(御指導の概要は「広布唱題会・お経日」参照)。そして参列者一人ひとりに縁起物の昆布(よろこぶ)が手渡され、また1階ロビーでは甘酒(ノンアルコール)を頂戴し、新年を晴れやかにスタートいたしました。
〒211-0025
川崎市中原区木月3-35-12
電話:044(411)6826
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