神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺(川崎・横浜)

総本山第六十七世日顕上人猊下御指南

真実の悟り

 真実の悟りを得るには、どうしたらよいか。
 世の中には、あれも悟り、これも悟りという言葉が、いっぱい広がっている。しかし、ほとんどが枝葉の言である。真実の悟りは、我々のすべてに元から具(そな)わっている不思議な真理を観じて、それを知ることであるが、一般人の智慧では、種々の部分的判断に執われるために、その全体の理を知ることはたいへん難しいのである。
 しかるに、この不思議な真理を一言にして顕した法がある。それによって初めて、その広大な真理のなかに入ることができる。その法とは、妙法蓮華経である。故に、これを唱えれば、おのずから不思議な真理を我が身心に観じ、会得する。これにより、最高の悟りを決定(けつじょう)して得ることができるのである。

(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』より 5ページ)

我が一念の妙法

 妙法蓮華経には、釈尊の説かれた八万聖教(しょうぎょう)の意義と、三世十方の諸仏・菩薩の悟りが具(そな)わっている。
 しかし、さらにその当体に即して絶対的な本仏がまします。すなわち、久遠の根本の時と末法の時が、そのまま相即する実在としての人法一体の本仏日蓮大聖人である。しかも、その妙法は我々の手の届かない遠い所にあるのではなく、本来、妙法を唱える我が一念に具わっている。
 故に、人法一箇の御本尊の妙法を信じ唱えるとき、我が一念が、そのまま広大な功徳を持つ妙法蓮華であることを、命の奥底に悟るのである。

(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』より 6ページ)

特設ページ

御会式(令和5年)
御会式(令和5年)

令和5年10月15日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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御会式(令和5年)

特設ページ一覧

【令和4年から】★成人式
【令和3年】★大乗山持経寺 座替り式 並 第三代住職入院式(11月26日)★お餅つき(12月19日)【令和4年】★御会式(10月23日)★お餅つき(12月18日)【令和5年】★御会式(10月15日)★宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念 支部総登山(4月・9月・11月)★お餅つき(12月17日)

令和6年10月

■お経日(1日) ■広布唱題会(6日) ■御報恩御講(12・13日)

御報恩御講(12・13日)

令和6年10月12日・13日の両日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年10月度・御報恩御講拝読御書『妙法比丘尼御返事』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要等について述べられたのち、「私たちの生命には、地獄界から仏界までの十界がみんな平等に具(そな)わっている。したがって御本尊様を拝していても、人間であるからには地獄の苦しみは必ずある。しかし地獄の苦しみの中にあっても、そこにまた仏界の姿、安楽の姿があり、その苦しみにとらわれない。それが南無妙法蓮華経の御本尊様の素晴らしさである。しかしそれを知らない一般の人々は、地獄の中の地獄であり、人間関係の苦しみ、借金苦、病気、身内の問題など様々な苦しみから逃れる術(すべ)も分からず、ただただ苦しいだけである。それが御本尊様を拝している人は、苦しいけれども、御本尊様にお題目を唱えている中で〈絶対に乗り越えられる〉という確信が芽生えてくる。それが地獄界の中の仏界であり、その安楽の境涯に至ることができるのである。私たちは、この御本尊様を拝す功徳を知らない多くの人たちを折伏し、救っていかなければならない。謗法を見ながら放置し折伏をしない人は、仏様の敵(かたき)となり無間地獄に堕ちるとの御教示であるから、しっかり折伏弘教に励んでまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『妙法比丘尼御返事(みょうほうびくにごへんじ)』
弘安元年9月6日 57歳

仏法(ぶっぽう)の中には仏(ほとけ)いまし(誡)めて云(い)はく、法華経のかたきを見て世(よ)をはゞかり恐れて申さずば釈迦仏(しゃかぶつ)の御敵(おんかたき)、いかなる智人(ちにん)善人(ぜんにん)なりとも必(かなら)ず無間地獄(むけんじごく)に堕(お)つべし。譬(たと)へば父母(ふぼ)を人の殺さんとせんを子の身として父母にしらせず、王をあやま(過)ち奉(たてまつ)らんとする人のあらむを、臣下(しんか)の身として知りながら代(よ)をおそれて申さゞらんがごとしなんど禁(いまし)められて候(そうろう)。
(御書1262頁17行目〜1263頁3行目)

御法主日如上人猊下御指南

我々は邪義邪宗の謗法の害毒によって多くの人が苦しんでいるのを見て、それを黙過せず、一刻も早く大聖人様の正しい教えに導くべく、決然として折伏を行じていくことが、いかに大事であるかを知り、各講中ともいよいよ異体同心・一致団結して、勇猛果敢に折伏を行じていかれますよう心からお願いします。
(『大日蓮』令和6年8月号)

広布唱題会(6日)

令和6年10月6日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、「〈一念〉ということは本当に大事であり、御本尊様を信ずる強い一念によってたくさんの困難をも乗り越えていける。広布唱題会は広宣流布を願っての唱題行であり、合わせて自身と、そして縁ある人たちの幸せをご祈念いたしましょう」等と述べられたのち、『椎地四郎殿御書』の御文を拝読申し上げ、「私たちは、過去世からの深い宿縁あってこの持経寺に一同して集っているのであり、講員同士色々あったとしても力を合わせ、皆で一人も漏れることなく最後まで信心を全うし、そしてまた来世も、その功徳によって御本尊様のもとに帰ってくるのである。そのためには、自行のみにとどまっていては自身の狭い考えにとらわれた信心になってしまう。〈自行化他〉を忘れることなく、折伏行に邁進することが大事である」等との御指導をいただきました。

『椎地四郎殿御書(しいちしろうどのごしょ)』
弘安4年4月28日 60歳

法華経の法門を一文一句なりとも人にかたらんは過去の宿縁(しゅくえん)ふか(深)しとおぼしめすべし。
(御書1555頁6行目〜)

お経日(1日)

令和6年10月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『開目抄』を拝読申し上げ、通解並びに〈人本尊(にんほんぞん)開顕の書〉である本抄全体の概要等について述べられたのち、「大聖人様は身命を賭してこれらの大難をものともせず、御本仏のお立場から、一切衆生救済のため南無妙法蓮華経の本門戒壇の大御本尊様を御図顕あそばされたのである。この御本尊様に題目を唱えていくならば、どのような罪障も消滅し、願いは必ず成就できる。そしてどんな人であっても即身成仏できる。大聖人様の不惜身命のお姿を私たちの規範とし、広宣流布に向かって慈悲の折伏に精進してまいりましょう」等との御指導をいただきました。

『開目抄(かいもくしょう)下』
文永9年2月 51歳

いた(甚)うの大悪人ならざる者、正法を誹謗すれば即時に夢みてひるがへる心生ず。又云はく「枯木石山(こぼくしゃくせん)」等。又云はく「燋種甘雨(しょうしゅかんう)に遇(あ)ふと雖(いえど)も」等。又云はく「明珠淤泥(みょうじゅおでい)」等。又云はく「人の手に創(きず)あるに毒薬を捉(と)るが如し」等。又云はく「大雨空に住せず」等云云。此等(これら)の多くの譬(たと)へあり。詮ずるところ、上品(じょうぼん)の一闡提人(いっせんだいにん)になりぬれば、順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし。例せば、夏(か)の桀(けつ)、殷(いん)の紂(ちゅう)の世には天変なし。重科有って必ず世ほろぶべきゆへか。又守護神此の国をすつるゆへに現罰なきか。謗法の世をば守護神すてゝ去り、諸天まぼ(守)るべからず。かるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし。還って大難に値ふべし。金光明経に云はく「善業を修する者は、日々に衰減す」等云云。悪国悪時これなり。具(つぶさ)には、立正安国論にかんがへたるがごとし。
(御書571頁14行目〜)

令和6年9月

■広布唱題会・お経日(1日) ■御報恩御講(8日) ■御難会(竜ノ口法難会)(12日) ■秋季彼岸会(21日・22日) ■第2回 持経寺支部総登山(28日)

第2回 持経寺支部総登山(28日)

令和6年9月28日、天野御住職の御引率のもと、『令和6年 第2回持経寺支部総登山』が挙行されました。
かねてより〈災害級の大雨〉等の予報もありましたが、当日は晴れて暑くなることも、また雨が降ることもなく、快適な気候に恵まれました。
今回は午前10時より墓参が行われ、天野御住職の御導師のもと、総本山第六十七世日顕上人、持経寺初代御住職・教行阿闍梨法胤房日生大徳、および持経寺合葬墓にて読経・唱題・焼香が厳粛に執り行われました。
午前11時には130余名の参加者が総一坊3Bに集合、全体会を開催し天野御住職より御指導をいただきました。
そののち皆で一緒に昼食をいただき、小憩ののち午後1時30分より御開扉を頂戴いたしました。そして終了後再び休憩坊に集合し天野御住職より御指導をいただき、本年第2回目となる支部総登山は大歓喜のうちに一切を無事に終了いたしました。

▲総本山第六十七世日顕上人

▲三師塔前にて記念撮影

▲持経寺初代御住職・教行阿闍梨法胤房日生大徳

▲持経寺合葬墓

秋季彼岸会(21日・22日)

令和6年9月21日および22日、それぞれ午前10時と午後1時の計4回に渡り、秋季彼岸会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・焼香・唱題と如法に厳修され、そののち天野御住職より御法話にあたり『中興入道御消息』を拝読申し上げ、彼岸会の意味として、梵語の「パーラミータ(音訳:波羅蜜<はらみつ>)」からきていて、「到彼岸(とうひがん)/彼岸に到(いた)る」、迷いの娑婆世界である「此岸(しがん)」から、悟りの「彼岸」に亡き諸精霊方を渡らせる法要であること。そして迷いの此岸から悟りの彼岸に大勢で安全に渡るためには、小乗教の小舟より大乗教の大船、その中でも法華経、さらには法華経の中でも南無妙法蓮華経の大御本尊様の大船に乗らなければ、悟りの彼岸には到達できない。」等と述べられ、さらに「大乗教の教えでは、まず四恩を報じなければならない。その中で一番にあるのが〈父母の恩〉であり、そこに知恩報恩(恩を知り恩に報いる)しなければならない。亡き諸精霊への報恩のためには、生きている私たちが功徳善根を積みお塔婆を建立し、その功徳を廻し向かわしめることである。そして当宗では〈常盆・常彼岸〉と言われるように、お盆やお彼岸に限らず命日忌その他、機会あるごとにお塔婆を建立し回向することが大切である。」等との御指導をいただきました。

『中興入道御消息(なかおきにゅうどうごしょうそく)』
弘安2年11月30日 58歳

去(みまか)りぬる幼子のむすめ(娘)御前の十三年に、丈六のそとば(卒塔婆)をたてゝ、其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、其(そ)の風にあたりて大海の苦をはな(離)れ、東風(こち)きたれば西山の鳥鹿(ちょうろく)、その風を身にふ(触)れて畜生道をまぬ(免)かれて都率(とそつ)の内院に生まれん。況(いわ)んやか(彼)のそとば(卒塔婆)に随喜(ずいき)をなし、手をふ(触)れ眼に見まいらせ候(そうろう)人類をや。過去の父母も彼(か)のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をて(照)らし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持(たも)ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水す(澄)めば月うつ(映)り、つゞみ(鼓)をう(打)てばひゞ(響)きのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此(これ)より後々の御そとば(卒塔婆)にも法華経の題目を顕はし給へ。
(御書1434頁5行目〜)

御難会(竜ノ口法難会)(12日)

令和6年9月12日、午後1時より、御難会が持経寺本堂において奉修されました。御難会(竜ノ口法難会)は文永8年9月12日、宗祖日蓮大聖人の竜ノ口(たつのくち)の法難を記念し、御報恩謝徳申し上げる法要です。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より『開目抄』を拝読申し上げ、3年前にさかのぼる蒙古国からの牒状(ちょうじょう)と『安国論御勘由来』『十一通御書』の御述作から、極楽寺良寛の雨乞いの祈祷、平左衛門尉頼綱による松葉ヶ谷の草庵襲撃から竜ノ口の法難に至るまでの経緯について述べられ、「時の最高権力者をもってしても、大聖人様のお命を奪うことはできなかった。この身命を賭した大法難によって、大聖人様は久遠元初の御本仏として開顕、発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)あそばされ、法華経勧持品(かんじほん)第十三の〈二十行の偈〉を証明されたのである。私たちは、その大聖人様の本門戒壇の大御本尊を受持信行し奉り、日々に罪障消滅のために精進できることは誠に有り難いことであり、この御難会を契機としてさらに自行化他の信心に励んでまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『開目抄(かいもくしょう)下』
文永9年2月 51歳

日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人、いかにをぢぬらむ。
(御書563頁)

御報恩御講(8日)

令和6年9月8日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年9月度・御報恩御講拝読御書『四信五品抄』を拝読申し上げ、通解並びに〈戒定慧の三学〉をはじめ同抄全体の概要、御書十大部等について述べられたのち、「御本仏日蓮大聖人の南無妙法蓮華経のお題目は、仏様の悟りの一切が具(そな)わっている根本であり、堅く信じてしっかりとお題目を唱えていくならば、心が正直になり、成仏得道の境涯に至り幸せになる。どんな人であっても平等に、必ず、困難を乗り越えて幸せな境涯でお題目を唱えることができるようになる。御本尊様の前に端坐(たんざ)合掌する姿の中に一切の功徳が含まれているのである。」等と述べられ、さらに以信代慧(いしんだいえ)について「〈戒定慧の三学〉は大切であるがあまりにも深く広く、到底私たちがそれをすべて修することは不可能であり、さらに最も大切な〈智慧〉に限ってもまた困難であるので、〈信〉をもって智慧に代えるのである。御本尊様を堅く信じお題目を唱えるその姿の中に、戒定慧の三学、仏教の一切の功徳が整う。しかし自分がそれを知っているだけではなく、御法主日如上人猊下が常々御指南あそばされている通り、それを人に伝えていく折伏が大切である。」等との御指導をいただきました

『四信五品抄(ししんごほんしょう)』
建治3年4月初旬 56歳

濁水(じょくすい)心無けれども月を得て自(おのずか)ら清(す)めり。草木雨を得て豈(あに)覚(さと)り有って花さくならんや。妙法蓮華経の五字は経文に非(あら)ず、其(そ)の義に非ず、唯(ただ)一部の意(い)ならくのみ。初心の行者は其の心を知らざれども、而(しか)も之(これ)を行ずるに自然(じねん)に意に当(あ)たるなり。
(御書1114頁16行目〜18行目)

仏正しく戒定(かいじょう)の二法を制して一向に慧(え)の一分に限る。慧又堪(た)へざれば信を以(もっ)て慧に代(か)ふ。
(御書1112頁9行目〜10行目)

広布唱題会・お経日(1日)

令和6年9月1日午前9時より、広布唱題会並びにお経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・広布唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『四条金吾殿御返事』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要、および対告衆である四条金吾殿ついて述べられ、「いつ何時であっても、〈師弟相対の信心〉でなければならない。師弟相対して師の指導に随順するならば願いが叶い、それを違えるならば願いは叶わない。日蓮大聖人様からの血脈付法の御法主上人猊下の御指南のままに信心していくならば、自然と私たちの願いは叶っていく。今、御法主上人猊下の御指南は〈折伏〉に尽きるのであり、どこまでもその御指南通りに日々の信心に精進していくならば、そこに私たちの願いが叶い幸せが成就していく。」等との御指導をいただきました。

『四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)』
建治3年4月 56歳

はきり(波木井)どのの事は法門の御信用あるやうに候へども、此(こ)の訴訟は申すまゝには御用(おんもち)ひなかりしかば、いかんがと存じて候(そうら)ひしほどに、さりとてはと申して候ひしゆへにや候ひけん、すこし、しるし候か。これにをも(思)うほどなかりしゆへに又をもうほどなし。だんな(檀那)と師とをも(思)ひあ(合)わぬいの(祈)りは水の上に火をた(焚)くがごとし。又だんなと師とをもひあひて候へども、大法を小法をもってをか(犯)してとし(年)ひさ(久)しき人々の御いのりは叶い候はぬ上、我が身もだんなもほろび候なり。
(御書1118頁)