神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

令和7年 活動充実の年

総本山第六十七世日顕上人猊下御指南

八、本地甚深の奥蔵

 天台の釈に、
 「此の妙法蓮華経は、本地甚深の奥蔵(おうぞう)(中略)三世の如来の証得する所なり」(玄義会本上25頁)
と説かれている。これは、あらゆる経典のなかで、妙法蓮華経が唯一最高の教法ということである。
 日寛上人は、この文について、
 「文に『本地』とは、即ち是れ本門の戒壇なり。謂(い)わく、本尊所住の地なり、故に本地と云う。本尊所住の地、豈(あに)戒壇に非ずや。文に『甚深』とは、即ち是れ本門の本尊なり。天台の玄の一二十一に云わく『実相を甚深と名づく』云云。妙楽の云わく『実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土』云云。実相・甚深、豈一念三千の本尊に非ずや。文に『奥蔵』とは、奥蔵は能歎(のうたん)なり。例せば爾雅(じが)の第四に『最も深隠(じんいん)と為す、故に之を奥と謂い、蔵とは天台云わく「包蘊(ほううん)を蔵と為す」』と云うが如し云云。故に知んぬ、奥蔵とは本門の題目なり。所謂(いわゆる)題目の中に万行を包蘊するが故なり。今三大秘法総在の妙法に約する故に『此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵』と云うなり」(御書文段455頁)
と解説されている。
 このように「本地甚深の奥蔵」とは三大秘法であり、南無妙法蓮華経の五字・七字の意味は到底、簡単に述べられるものではない。しかし、我々が唱える一遍の題目に、一切の意義が篭(こ)もっているのである。その一切を含めたところに妙法蓮華経の深い意義があるから、唱題をすることによって現世安穏・後生善処その他、あらゆる身心充実の功徳が顕れることは当然である。
 また、過去以来の謗法罪障の因縁によって様々な間違った欲望や考えを持っている命は、妙法の唱題をすることによってその誤りがだんだんと閉ざされてくるのであり、そのことによって自らの命の清浄(しょうじょう)がおのずと図られてくるのである。
 あらゆる意味から、この妙法を唱えることが一切衆生の成仏の道であり、真に自他を救っていく道である。我々僧俗一同は、常にその実証をもって、しっかり信行に励まなければならない。

(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』 11ページ)

特設ページ

令和6年 宗祖日蓮大聖人御会式 令和6年 宗祖日蓮大聖人御会式

令和6年11月17日(日)午後2時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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御会式(令和6年)御会式(令和6年)

特設ページ一覧

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令和7年3月

■お経日(1日) ■広布唱題会(2日)

広布唱題会(2日)

令和7年3月2日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、広布唱題会などお寺での唱題会のあり方について「唱題は、大きな声でも普通でも、小さな声でも功徳は同じ。大きな声では自分の声しか聞こえない〈自己陶酔型〉の唱題となり、自分の願いを何としてでも叶えよう、掴み取ろうという〈乞食信心〉になってしまう。日蓮正宗の信心は、大御本尊様と、時の御法主上人猊下の御指南のままでなければならない。御本尊様が中心であり、それが自分中心になってしまうと自分勝手な自己満足の信心になり間違った方向に行き、いつまでたっても幸せになれない。謙虚な姿勢であれば周りの声もよく聞こえるようになり、皆と声を合わせて淡々と冷静にご祈念できるようになり、自ずから正しい方向が見えるようになる。一人一人が〈自分が自分が〉ではなく、支部のためお寺のため御宗門のため、みんなが同じ一つの心になって唱題し令法久住(りょうぼうくじゅう/未来永劫にわたって妙法が伝えられていくこと)を願う姿勢であれば、その姿勢の中に、自然と幸せになっていく道が開かれてくるのである。」等との御指導をいただきました。

お経日(1日)

令和7年3月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『本尊供養御書』を拝読申し上げ、通解並びに本抄の概要等について述べられたのち、「須弥山とは、御本仏大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊様と、時の御法主上人猊下まします総本山大石寺であり、御法主上人猊下大導師のもと御開扉を賜ることにより、私たちの凡身が金色たる即身成仏の大功徳を受けることができる。私たちの凡眼には何も変わらないように見えても、仏様の仏眼からご覧になれば、総本山に集う私たち全員が金色となっているのである。」等と述べられ、登山の大事について御法主日如上人猊下の御指南を引用され、「私たちの信心は自行化他であり、その一切の根本は本門戒壇の大御本尊様と時の御法主上人猊下が中心である。家の御本尊様やお寺の御本尊様だけでなく、常に総本山に思いを馳せ、一切の根源たる本門戒壇の大御本尊様にお目通りをいただくその姿の中に、血脈の次第してお寺や家の御本尊様での功徳善根が整うのである。」等との御指導をいただきました。

『本尊供養御書(ほんぞんくようごしょ)』
建治2年12月 55歳

法華経御本尊御供養の御僧膳料(ごそうぜんりょう)の米一駄(だ)・蹲鴟(いものかしら)一駄送り給(た)び候ひ畢(おわ)んぬ。法華経の文字(もんじ)は六万九千三百八十四字、一々の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども仏の御眼には一々に皆御仏なり。譬へば金粟(こんぞく)王と申せし国王は沙(いさご)を金(こがね)となし、釈摩男(しゃくまなん)と申せし人は石を珠と成し給ふ。玉泉に入りぬる木は瑠璃(るり)と成る。大海に入りぬる水は皆(みな)鹹(しおはゆ)し。須弥山(しゅみせん)に近づく鳥は金色となるなり。阿伽陀薬(あかだやく)は毒を薬となす。法華経の不思議も又是くの如し。
(御書1054頁)

令和7年2月

■お経日(1日) ■広布唱題会・節分会(2日) ■興師会(7日) ■御報恩御講(9日) ■宗祖御誕生会(16日)

宗祖御誕生会

令和7年2月16日午前10時より、宗祖御誕生会が持経寺本堂において奉修されました。
宗祖御誕生会(しゅうそごたんじょうえ)は、末法の御本仏である宗祖・日蓮大聖人の末法御出現をお祝い申し上げ、その御報恩のために、御誕生日である2月16日に奉修される法要です。
法要は献膳・読経・百日間唱題行と如法に厳修され、はじめに天野御住職よりお寺での唱題行について「皆の唱題が導師とズレてしまうのは、誰かが導師のマイクを無視して大きな声で唱題し、周りがそれに引っ張られてしまっている。思いっきり声を出して唱題しているという方は、周囲に迷惑をかける自分中心のわがままな信心の人である。すべては御本尊様が中心でなければならないのであり、大声は単なる自己満足・自分中心の姿、そして増上慢にもつながる。御本尊様にすべてを捧げおまかせ申し上げる気持ちで、導師や周りの声をよく聞いて穏やかに唱題していけば、自己中心の捻じ曲がった性根も正され、素直な命になっていくのである。」等と述べられました。そして御法話にあたり『産湯相承事』を拝読申し上げ、そののち宗祖・日蓮大聖人の御誕生について、釈尊をはじめ天台大師、伝教大師、浄土宗の法然、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、浄土真宗の親鸞などが皆王族・貴族出身であるなかで、日蓮大聖人が身分の低い民の御出生である理由、また御誕生における数々の吉瑞(きちずい)等々について述べられ、「本日の御誕生会を契機として決意を新たにし、一層の唱題に励み〈一年に一人が一人の折伏〉を目指し前進してまいりましょう。その中に自分自身の本当の幸せと持経寺の興隆があり、神奈川布教区の発展があり、ひいては総本山の繁栄がある。」等との御指導をいただきました。

『産湯相承事(うぶゆそうじょうのこと)』
日興之を記す

御名乗りの事、始めは是生(ぜしょう)、実名(じつみょう)は蓮長(れんちょう)と申し奉る。後に日蓮と名乗り有りし御事は、悲母梅菊女は童女の御名なり平の畠山殿の一類にて御坐(ござ)すと云云。法号妙蓮禅尼の御物語之(これ)有る事は、我に不思議の御夢相(おんむそう)有り、清澄寺に通夜申したりし時、汝が志(こころざし)真に神妙なり、一閻浮提第一の宝を与へんと思ふなり。〔父母夫婦先表の口伝〕東条の片海に三国大夫(みくにのたいふ)と云ふ者あり、是を夫と定めよと云云。
(御書1708頁)

御報恩御講

令和7年2月9日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話に先立ち、天野御住職より令和7年2月度・御報恩御講拝読御書『寂日房御書』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要等について述べられたのち、「信心が強盛であっても、体が動かなくなれば信心修行も思うに任せなくなる。調子が悪いと感じたら我慢せず、早めに対処することが大事である。せっかく人界に生まれて大聖人様の御本尊様に巡り会えたのだから、一日でも長く生きてお題目を唱えて、今世に精一杯たくさんの福徳を積んで来世に行くこと。それが私たちの日々の信心であり、また本来なら暗中模索の人生が、御本尊様の功徳によって開けてくるのである。」等と述べられ、さらに「謙虚であることが大切である。折伏にしても、こちらが上から目線では誰も信心しようとは思わない。御法主日如上人猊下は常々〈成仏は人格の完成形である〉と御指南であり、〈難しいことはわからないけれども、あなたがそう言うなら信心してみよう〉と言われる私たちにならなければいけない。そのためには化他折伏をすることであり、自行だけでは人格の完成形は望めない。私たちは折伏によって、闇の中で暗中模索している人々を照らす光明としての任を担っているのである。」等との御指導をいただきました。

『寂日房御書(じゃくにちぼうごしょ)』
弘安2年9月16日 58歳

経に云(い)はく「日月(にちがつ)の光明(こうみょう)の能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除(のぞ)くが如(ごと)く、斯(こ)の人(ひと)世間(せけん)に行(ぎょう)じて能く衆生(しゅじょう)の闇(やみ)を滅(めっ)す」と此(こ)の文(もん)の心よくよく案(あん)じさせ給(たま)へ。「斯人行世間(しにんぎょうせけん)」の五(いつ)つの文字(もんじ)は、上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)末法(まっぽう)の始めの五百年に出現(しゅつげん)して、南無妙法蓮華経の五字(ごじ)の光明(こうみょう)をさ(指)しい(出)だして、無明煩悩(むみょうぼんのう)の闇(やみ)をてらすべしと云(い)ふ事なり。日蓮等此の上行菩薩の御使(おんつか)ひとして、日本国(にほんごく)の一切衆生(いっさいしゅじょう)に法華経をう(受)けたも(持)てと勧(すす)めしは是なり。
(御書1393頁13行目〜1394頁1行目)

興師会

【上から】◎大聖人をお慕いし弟子入りを乞う日興上人 ◎二箇相承御付嘱 ◎大石寺開創之図

令和7年2月7日午前10時より、興師会が持経寺本堂において奉修されました。
興師会(こうしえ)は、日蓮大聖人から仏法の正義(しょうぎ)を受け継がれ、後世まで正しく法灯を伝えてくださった日興上人に対し奉り、僧俗一同、心から御報恩申し上げるための法要です。
法要は献膳・読経・百日間唱題行と如法に厳修され、そののち天野御住職より御法話にあたり『日蓮一期弘法付嘱書』『身延山付嘱書』を拝読申し上げ、日興上人の御出自より四十九院での勉学、12歳での岩本・実相寺への入山、そして13歳の時に日蓮大聖人への弟子入り、16歳にて大聖人の伊豆御配流に馳せ参じ、以後、大聖人御入滅までの22年間常随給仕し、『日蓮一期弘法付嘱書』『身延山付嘱書』の二箇相承にて仏法の一切を付嘱され、さらには地頭・波木井実長の謗法による身延離山から大石寺開創に至る御事績等について述べられ、「私たちは、日興上人が遺された〈富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事〉〈未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事〉等の御指南に違うことなく、広宣流布に向かって大聖人様の正法を寸分違わずお護りし折伏していかなければならない。」等との御指導をいただきました。
また法要終了後、興師会の別称「芹(せり)御講」にちなんで、芹入りのおにぎりとお味噌汁等を参詣者全員に頂戴いたしました。

『日蓮一期弘法付嘱書(にちれんいちごぐほうふぞくしょ)』
弘安5年9月 61歳

日蓮一期(いちご)の弘法(ぐほう)、白蓮阿闍梨日興(びゃくれんあじゃりにっこう)に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此(こ)の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂(い)ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年 壬午(みずのえうま) 九月 日
日蓮 花押
血脈の次第 日蓮日興
(御書1675頁)

『身延山付嘱書(みのぶさんふぞくしょ)』
弘安5年10月13日 61歳

釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当(べっとう)たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年 壬午(みずのえうま) 十月十三日
武州池上
日蓮 花押
(御書1675頁)

広布唱題会
節分会(2日)

令和7年2月2日午前9時より、広布唱題会並びに節分会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より節分会と豆まきにの由来、厄年等についてお話しいただいたのち、『四条金吾殿女房御返事』の御文を拝読申し上げ、「大聖人様の仏法を拝する私たちは、御本尊様にお題目を唱え自身と周りのたくさんの人たちの幸せを願っていくところに、大きな福徳が積まれ、すべてを乗り越えていくことができる。そしてお題目を唱えながら、自身の体調管理にも事細かに留意していけば息災延命が叶い、長生きできれば、それだけお題目を唱え福徳を積むことができる。本年一年も元気に、信心に精進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。そして最後に年男・年女を中心に皆で豆まきをし、お寺様にご用意いただいた福豆の豆茶にて寒中の暖をいただきました。

『四条金吾殿女房御返事(しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ)』
文永12年1月27日 54歳

又三十三のやく(厄)は転じて三十三のさいは(幸)ひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生(しちなんそくめつしちふくそくしょう)とは是なり。年はわか(若)うなり。福はかさ(重)なり候ベし、あなかしこ、あなかしこ。
(御書757頁16行目〜)

お経日(1日)

令和7年2月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『新池御書』を拝読申し上げ、通解並びに本抄全体の概要等について述べられたのち、「毎日の勤行・唱題も、今日は疲れているから、時間がないから等とさぼることは、この雪山の寒苦鳥と同じである。仏道修行の実践は〈動く〉ことであり、動かなければ結果は出ない。御本尊様の前に座る、そして化他行の折伏に精進する。そこに御法主日如上人猊下が御指南の〈動けば必ず智慧が涌く〉〈御仏智をいただける〉のである。こうして有り難くも人界に生まれたからには、雪山の寒苦鳥のようにならないという思いと行動が一致するように、日々精進しなければならない。」等との御指導をいただきました。

『新池御書(にいいけごしょ)』
弘安3年2月 59歳

雪山の寒苦鳥は寒苦にせ(責)められて、夜明けなば栖(す)つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたゝかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚(むな)しく鳴くことをう(得)。一切衆生も亦復〔またまた〕是くの如し。地獄に堕ちて炎にむせぶ時は、願はくは今度人間に生まれて諸事を閣(さしお)いて三宝を供養し、後世菩提をたす(助)からんと願へども、たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯(ともしび)は消えやすし。無益(むやく)の事には財宝をつ(尽)くすにお(惜)しからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是(これ)をもの(物)う(憂)く思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきを(競)ふものなり。寸善尺魔と申すは是なり。
(御書1457頁14行目〜)