神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

令和7年 活動充実の年

総本山第六十七世日顕上人猊下御指南

十四、妙法深縁の徳

 法華経の題目は、その意味も義理も知らない人が、ごくたまに南妙法蓮華経と唱えても、既に深縁が生じたのであるから、その功徳で、将来は妙法の悟りを極めるに至るのである。それは、題目が八万聖教(はちまんしょうぎょう)のすべてを括(くく)る肝心であり、一切の仏が、この題目を肝要とされている徳によるからである。

(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』 19ページ)

特設ページ

令和6年 宗祖日蓮大聖人御会式 令和6年 宗祖日蓮大聖人御会式

令和6年11月17日(日)午後2時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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御会式(令和6年)御会式(令和6年) 持経寺本堂大改修落慶 持経寺本堂大改修落慶

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令和7年9月

■お知らせ

令和7年9月1日午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されましたが、ホームページ編集室の都合により掲載をお休みさせていただきます。読者の皆さまには何とぞご了承のほど、よろしくお願い申し上げます。

令和7年8月

■お経日(1日) ■広布唱題会(3日) ■御報恩御講(10日) ■盂蘭盆会(15日)

盂蘭盆会(15日)

令和7年8月15日、午前10時と午後1時の2回にわたり、盂蘭盆会が持経寺本堂において奉修されました(写真はすべて午後1時の部)。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より目連(もくれん)尊者と盂蘭盆会の起源について、「目連尊者は幼くして死別した母・青提女(しょうだいにょ)を神通力をもって探したところ、欲深く、物を惜しんだ慳貪(けんどん)の罪によって餓鬼界に堕ちていた。悲しんだ目連尊者は神通力によって食べ物を母に与えたところそれが炎となり、それを消そうとしてさらに炎は大きく燃え盛り母を火だるまにし苦しめ、自身の小乗教の神通力では母を救えなかった。これは、私たちが父母のため先祖ためどんなに立派な孝養の志を立てても、供養の方法を誤り、その教えが無力であれば、自己満足にはなってもその小善は大悪となり、逆に父母を苦しめる結果となることを意味する。そこで目連尊者は釈尊に教えを乞い、7月15日に百味の飲食を添え十方の聖僧を招いて供養し、母を餓鬼道の苦しみから救うことができたが、しかしそれはわずか一劫の間、餓鬼道の苦悩から救ったに過ぎず、母を成仏させることはできなかった。そののち、目連尊者はこれまでの小乗教や方便の大乗教を捨て、釈尊の出世の本懐(ほんがい)である法華経を受持信行し成仏の記別を受け、その法華経の功徳により母も父も成仏することができたのである。」等と述べられ、さらに『盂蘭盆御書』の御文を引用され、「末法の時代に生きる私たちは、真に父母を救いその成仏を願うならば、まず自身が南無妙法蓮華経のお題目をしっかり唱えて成仏得道を目指すことが大切である。本日こうしてお塔婆を建立し、僧俗一致して読経・唱題・焼香した皆さんは、これ以上ない大善業の姿である。今後ともお盆やお彼岸に限らず、折りあるごとに寺院に参詣してお塔婆を建立し、僧俗一致して御回向申し上げましょう。」等との御指導をいただきました。

『盂蘭盆御書(うらぼんごしょ)』
弘安2年7月13日 58歳

目連(もくれん)が色心は父母の遺体なり、目連が色心、仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。
(御書1376頁)

御報恩御講(10日)

令和7年8月10日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、天野御住職より令和7年8月度・御報恩御講拝読御書『弥源太殿御返事』を拝読申し上げ、御法話に先立ち種々御挨拶をいただいたのち、拝読御書の通解並びに御述作当時の背景および同抄全体の概要等について述べられ、「〈通塞(つうそく)の案内者〉との大聖人様の仰せは、末法の一切衆生を成仏に導く大導師であるとの御教示であり、私たちは大聖人様の正法を堅く受時信行申し上げ、自身の成仏得道に向かって信心第一に精進することが大切である。」等と述べられ、さらに総本山第六十七世日顕上人様の御指南を引用され、「自身における閉塞した道を開くために、しっかりとお題目を唱えていくならば、必ずその先の光が見えてくる。私たちの人生は山あり谷ありで、平坦な人生が有り難いと思っていてもそうはいかないのが娑婆世界である。道が塞がれたときに、今こそお題目を唱えるときなのだと自覚できるかどうかが、その困難を乗り越えられるかどうかの分かれ道になる。大変な問題に正面からぶつかって乗り越えていく、開かれていくための力は唱題行しかない。」等との御指導をいただきました。
また御報恩御講終了後、各総地区ごとに集まって折伏誓願達成に向けてのミニ座談会が開催されました。

『弥源太殿御返事(やげんたどのごへんじ)』
文永11年2月21日 53歳

 南無妙法蓮華経は死出(しで)の山にてはつえ(杖)はしら(柱)となり給(たま)へ。釈迦仏(しゃかぶつ)・多宝仏(たほうぶつ)・上行(じょうぎょう)等の四菩薩(しぼさつ)は手を取り給ふべし。日蓮さきに立ち候(そうら)はゞ御迎(おんむか)へにまいり候(そうろう)事もやあらんずらん。又さきに行かせ給はゞ、日蓮必ず閻魔法王(えんまほうおう)にも委(くわ)しく申すべく候。此(こ)の事少(すこ)しもそら(虚)事あるべからず。日蓮法華経の文(もん)の如くならば通塞(つうそく/仏道の妨げを取り除く)の案内者なり。只(ただ)一心(いっしん)に信心おはして霊山(りょうぜん)を期(ご)し給へ。
(御書722頁16行目〜723頁3行目)

広布唱題会(3日)

令和7年8月3日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より種々ご挨拶をいただき、そののち御指導に先立ち『持妙法華問答抄』を拝読申し上げ、「名聞(世間一般での地位・名声・名誉)名利(財産・お金への執着)、我慢(慢心・増上慢)偏執(自分の誤った考えに偏った姿)によって大聖人様の仏法を信ぜず蔑ろにすることは恥ずべき恐ろしいことであり、成仏も叶わない。しかし我慢偏執はいけないけれども、信心根本の正しい姿の中において名聞名利を追い求めることは決して間違いではない。山のような金銀財宝があったとしても使い方を誤ってしまっては無駄になるが、しっかり御本尊様を拝する正しい姿の中においては、御供養を含め金銀財宝も正しく活かされるようになる。どこまでも本門戒壇の大御本尊を中心に、御法主上人猊下の御指南のままに、自行と化他行の折伏によって自身と周りの方々の幸せのために精進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『持妙法華問答抄(じみょうほっけもんどうしょう)』
弘長3年 42歳

名聞名利(みょうもんみょうり)は今生(こんじょう)のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生(ごしょう)のほだし(紲/足かせ)なり。嗚呼(ああ)、恥(は)づべし恥づべし、恐るべし恐るべし。
(御書296頁2行目〜3行目)

お経日(1日)

令和7年8月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『減劫御書』を拝読申し上げ、通解並びに本抄全体の概要等について述べられたのち、さらに『観心本尊抄』『諸経と法華経と難易の事』の御文を引用され、「私たちは〈世間法即仏法〉たることを理解しなければならない。一般の方々は、仏法と世法の道理が分からない。皆、誤った宗教によって人生が曲がり苦しんでいくのである。今こそ私たちは正しい大聖人様の仏法をもって折伏を行じ、迷い苦しむ人々を一人でも多く救っていかなければならない。大聖人様の弟子檀那として、地涌の菩薩の眷属として、しっかりと折伏行に励んでまいりましょう」等との御指導をいただきました。

『減劫御書(げんこうごしょ)』
建治元年 54歳

法華経に云(い)はく「皆(みな)実相と相(あ)ひ違背せず」等云云。天台之(これ)を承(う)けて云はく「一切世間の治生産業(じしょうさんごう)は皆実相と相ひ違背せず」等云云。智者とは世間の法より外(ほか)に仏法を行なはず、世間の治世(じせ)の法を能(よ)く能く心へて候を智者とは申すなり。
(御書925頁13行目〜15行目)

『如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう)』
文永10年4月25日 52歳

天晴れぬれば地(ち)明らかなり、法華を識(し)る者は世法を得(う)べきか。
(御書662頁1行目)

『諸経と法華経と難易の事』
弘安3年5月26日 59歳

仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。
(御書御書1469頁9行目〜10行目)