
「妙とは蘇生の義」(法華題目抄・御書360ページ)
と説かれる。四十余年の方便経においては、二乗は無余の涅槃に入って、その身が灰となり、その智が滅すれば心をも滅するのであり、迷いの凡夫は仏に成ることができても、二乗だけは仏に成れないと示されている。
しかるに、法華経において初めて、二乗の成仏が許される。これは死者が蘇(よみがえ)る義であり、妙法の唱題には、このような大功徳が具わっているのである。
(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』 24ページ)
令和7年10月26日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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【令和4年から】★成人式
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令和7年12月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『上野殿御返事』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要等について述べられたのち、「上行菩薩を上首とする地涌の菩薩衆は、久遠以来の〈本化〉の菩薩である。滅後末法の法華経の弘通を託された地涌の上首・上行菩薩様は日蓮大聖人様であり、その御内証・本地は久遠元初の御本仏である。『諸法実相抄』に〈皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり〉と仰せのように、今の私たちは大聖人様の弟子檀那として、大聖人様と同じ題目を唱えている〈地涌の菩薩の流類〉である。私たちはその自覚の上に立ち、何があってもどこまでも退転なく生涯にわたって折伏に精進し、多くの人たちに伝えていく使命がある。」等との御指導をいただきました。
『上野殿御返事(うえのどのごへんじ)』
弘安2年4月20日 58歳
又涌出品は日蓮がためにはすこ(少)しよしみある品なり。其の故は上行菩薩等の末法に出現して、南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり。しかるに先づ日蓮一人出来す。六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかほ(蒙)るべしと思へばたのもしき事なり。とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ。殿一人にかぎるべからず。信心をすすめ給ひて、過去の父母等をすく(救)わせ給へ。日蓮生まれし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり。
(御書1361頁2行目〜6行目)
■お経日(1日) ■広布唱題会(2日) ■御報恩御講(9日) ■目師会(15日) ■第3回 持経寺支部総登山(23日)
令和7年11月23日、天野御住職の御引率のもと、『令和7年 第3回持経寺支部総登山』が挙行されました。
当日は早朝より、東名高速道路で発生した事故による大渋滞の影響により、支部バスおよびマイカーの参加者の着山が大幅に遅れたため、支部総登山恒例の全体会は中止となり、定刻に着山した参加者のみで先に昼食をいただき、遅くなってしまった参加者はそのまま御開扉に向かうというスケジュールとなりました。
そして午後1時30分からの御開扉終了後、奉安堂前広場にて記念撮影が行われ、そののち休憩坊に戻って天野御住職様より『経王殿御返事』を引かれての御指導をいただき、本年最後の支部総登山の一切を歓喜のうちに終了いたしました。
『経王殿御返事(きょうおうどのごへんじ)』
文永10年8月15日 52歳
法華経の剣は信心のけなげ(健気)なる人こそ用ふることなれ。鬼にかなぼう(金棒)たるべし。
(御書685ページ)
お弟子の日尊師・日郷師とともに京へ天奏に向かわれる日目上人(宮沢慈悳師拝写)
令和7年11月15日午前10時より、目師会(もくしえ)が持経寺本堂において奉修されました。
第三祖日目上人は、日蓮大聖人に御入滅の日まで常随給仕し、日蓮大聖人や日興上人に代って天皇や将軍に国家諌暁(こっかかんぎょう)の申状(もうしじょう)を奏上すること実に四十二度。その御高徳を拝し御報恩のために奉修されるのが目師会です。
法要は献膳・読経・唱題行と如法に厳修され、天野御住職より日目上人様について、御出自から日興上人との出会い、および身延における7年間の日蓮大聖人への常随給仕について。また大石寺開創の翌十三日に日興上人より血脈内付の証として授与された譲座(じょうざ)御本尊(御座替御本尊/おざがわりごほんぞん)と『日興跡条々事』を賜っての第三祖としての御相承、そして最後の天奏について等々その御事跡について縷々述べられたのち、「この目師会をもって日目上人様の御功績を拝し奉り、その礎のもとに今の私たちの信行があることに御報恩謝徳申し上げ、私たちはそのお姿の一分でも学び次の代に渡し、そして折伏していくことが私たちの使命である。」等との御指導をいただきました。そして最後に日目上人様の御申状を奉読申し上げお題目を三唱し、「こうして奉読ののち題目三唱したということは、皆さんも奉読したという意義がある。それはどこまでも折伏根本に、皆がお題目を唱えていけるように努めていくことをお誓いしたということであり、また新たな気持ちで折伏弘教に精進してまいりましょう」等と述べられ、本年の目師会を結ばれました。
そして法要終了後、目師会の別称「かぶ御講」にちなんで、総本山と同様にお寺様がかぶのお味噌汁とおにぎり、お漬物等をご用意くださり、参詣者みんなで美味しく頂戴いたしました。
『日目上人申状(にちもくしょうにんもうしじょう)』
日蓮聖人の弟子日目、誠惶誠恐(せいこうせいきょう)謹んで言(もう)す。
殊(こと)に天恩(てんのん)の蒙(こうむ)り、且(か)つは一代説教の前後に任せ、且つは三時弘経の次第に准じて正像所弘(しょうぞうしょぐ)の爾前迹門(にぜんしゃくもん)の謗法を退治し、末法当季の妙法蓮華経の正法を崇(あが)められんと請(こ)うの状。
副(そ)え進ず
一巻 立正安国論 先師日蓮聖人文応元年の勘文
一通 先師日興上人申状
一、 三時弘経の次第
右謹んで案内を検(かんが)えたるに、一代の説教は独り釈尊の遺訓なり。取捨(しゅしゃ)宜しく仏意(ぶっち)に任すベし。三時の弘経は則ち如来の告勅(ごうちょく)なり。進退全く人力(にんりき)に非ず。
抑(そもそも)一萬餘宇(いちまんよう)の寺塔を建立して、恒例の講経(こうきょう)陵夷(りょうい)を致さず。三千餘(さんぜんよ)の社壇(しゃだん)を崇敬(そうぎょう)して、如在の礼奠(らいでん)怠懈(たいげ)せしむることなし。
然(しか)りと雖(いえど)も、顕教密教(けんぎょうみっきょう)の護持(ごじ)も叶わずして、国土の災難日に随って増長し、大法秘法の祈祷(きとう)も験(しるし)なく、自他の反逆(ほんぎゃく)歳(とし)を逐(お)うて強盛(ごうじょう)なり。神慮(しんりょ)測られず仏意(ぶっち)思い難し。
倩(つらつら)微管を傾け聊(いささ)か経文を披きたるに、仏滅後二千餘年の間、正像末の三時流通の程、迦葉・竜樹・天台・伝教の残したもうところの秘法三(みつ)あり。所謂(いわゆる)法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字となり。
之(こ)れを信敬(しんぎょう)せらるれば、天下の安全を致し国中の逆徒を鎮(しず)めん。此(こ)の條(じょう)如来の金言分明(きんげんふんみょう)なり。大師の解釈(げしゃく)炳焉(へいえん)たり。
就中(なかんずく)我が朝(ちょう)は是れ神州なり。神は非礼を受けず。三界は皆仏国なり、仏は則ち謗法を誡(いまし)む。然(しか)れば則ち爾前迹門の謗法を退治せらるれば、仏も慶(よろこ)び、神も慶ぶ。法華本門の正法を立てらるれば、人も栄え、国も栄えん。
望み請う、殊に天恩の蒙り諸宗の悪法を棄捐(きえん)せられ、一乗妙典(いちじょうみょうでん)を崇敬(そうぎょう)せらるれば、金言しかも愆(あやま)たず、妙法の唱(となえ)閻浮(えんぶ)に絶えず、玉體(ぎょくたい)恙無(つつがの)うして宝祚(ほうそ)の境(さかい)天地(あめつち)と疆(きわ)まり無けん。
日目先師の地望(ちぼう)を遂(と)げんがために、後日の天奏(てんそう)に達せしむ。誠惶誠恐(せいこうせいきょう)謹んで言(もう)す。
元弘三年十一月 日目
【通解】
日蓮大聖人の弟子である日目が、謹しんで申しあげます。
とくに天皇の大恩をいただき、一方には釈尊一代の説法のうち、爾前経と法華経の説法の前後にまかせ、他方には釈尊滅後の時代区分である正法・像法・末法の各時代の弘経の順序によって、正法・像法時代に弘まった爾前迹門の謗法を退治し、末法の衆生が救われる妙法蓮華経の正法を崇められることを、心より望み奉る状を捧(ささ)げます。
副え奉ります。
一巻 立正安国論 先師・日蓮大聖人が文応元年に記した勘文
一通 先師日興上人の申状
一つ 三時弘経の次第
右の趣旨を謹んで述べさせていただくならば、一代の説教とは独り釈尊が遺された尊い教えです。その多くの経々を取捨選択するときは、あくまで仏の心を根本としなければなりません。釈尊滅後の正・像・末の三時に弘めるべき法についても如来の告示があり、その弘法を我等凡夫の力と思ってはなりません。
もともと、仏法が伝来してより今に至るまで、一万余りの寺院を建立して、いつも仏の徳を賛嘆し、経典の講義は一向に衰えてはおりません。また、三千余りの神社を敬って、そこに神がおられると思って礼を尽くし、供物を捧げることを怠ったことはありません。しかし、顕教・密教による護持の祈祷も叶わず、国土の災難は日が経つにつれて増長しています。大法や秘法の祈りも効験(しるし)なく、種々の争いは年とともに盛んになっています。これでは、神の御意がどこにあるのか測ることができず、仏の御意もいずれにあるのかわかりません。
自らの非才の身をもって、少々経文を開いて考えてみますと、仏の滅後、二千余年が経過していますが、その間に正法・像法・末法の三時に流通(るつう)した教えのなかで、迦葉尊者・竜樹菩薩・天台大師・伝教大師が弘めずに残された秘法が三つあります。それは、法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字です。今こそ、この三大秘法を信じ敬っていけば、世の中は正しく治まり、秩序を乱そうとする国内の反逆者を鎮めることができるのです。このことは仏の経典に明らかに説かれていることであり、天台大師等の解釈にも明白です。
ましてや、この国は神が守護される国土です。神は非礼を受けられません。また、娑婆世界を含めた三界は皆仏国です。仏は謗法を諌(いさ)めています。したがって、爾前迹門の謗法を退治するならば、仏も慶び、神も慶ばれるのです。法華本門の正法を立てるならば、人も栄え国も栄えるのです。
望み願わくば、とくに天皇の大恩をいただき、諸宗の悪法を捨てられ、法華一乗の経典を崇め敬うならば、仏の金言には誤りはありません。つまり、国のいたる所で妙法蓮華経を唱えられ、天子の御身は健康に恵まれ、天子の政(まつりごと)が永遠に続いて、世の中も栄えます。
私日目は、先師日蓮大聖人の願望を遂げんがために、後日に天皇に奉上申し上げる次第です。
誠に恐れながら、謹んで申しあげます。
元弘(げんこう)三年十一月 日目
令和7年11月9日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、七五三祝いののち、天野御住職より令和7年11月度・御報恩御講拝読御書『兄弟抄』を拝読申し上げ、通解並びに池上家と当時の時代背景、同抄全体の概要等について述べられ、「私たちの生活においても、ご夫婦のどちらかが信心していない、両親は信心していても子供は信心していないなど、同じ御本尊様を拝せないところから苦しみが生じる。ことに子供に信心を法灯相続できていないと、自身が老齢になった時に厳しい状況にもなり得る。自分の人生の最後まで御本尊様を拝していけるようによくよく考え、しっかりと法灯相続しなければならない。池上兄弟は20年もの歳月をかけて真言律宗の僧・極楽寺良寛の熱心な信者であった父親を折伏した。皆さんにおいてもこれから大変な場面があったとしても、どこまでも御本尊様を中心に、決して魔に負けることなく、自分の人生を誤らないように、何があっても真っ直ぐに進んでまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
また御報恩御講終了後、各総地区ごとに集まって折伏推進のための座談会が開催されました。
『兄弟抄(きょうだいしょう)』
建治2年4月 55歳
我が身は過去に謗法(ほうぼう)の者なりける事疑(うたが)ひ給ふことなかれ。此(これ)を疑って現世(げんぜ)の軽苦(きょうく)忍びがたくて、慈父(じふ)のせ(責)めに随(したが)ひて存(ぞん)の外(ほか)に法華経をす(捨)つるよしあるならば、我が身地獄に墜(お)つるのみならず、悲母(ひも)も慈父も大阿鼻地獄(だいあびじごく)に墜ちてともにかな(悲)しまん事疑ひなかるべし。大道心(だいどうしん)と申すはこれなり。各々(おのおの)随分(ずいぶん)に法華経を信ぜられつるゆへに、過去の重罪をせ(責)めいだし給ひて候(そうろう)。
(御書981頁15行目〜982頁1行目)
令和7年11月2日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、『四条金吾殿御返事』を拝読申し上げ、通解ののち「初信者であれ信心歴の長い人であれ、何か講員同士や住職との行き違いなど、ほんの些細なことから信心をやめてしまう人が多い。しかしこの御文の通り、何があっても堅く持(たも)っていくことが自身の幸せ、成仏得道のためである。」と述べられ、さらに「日蓮大聖人様の信心は、波のないところに波を立たせる教えである。他宗他門は葬儀や法事だけのものであるが、大聖人様の教えは破折・折伏の宗旨であり、座して何もしない教えではない。相手を破折することで時には摩擦が生じ、辛い思いをすることもある。しかしそれも心得て御遺命の広宣流布のために精進することで、大変であってもその中に本当の幸せな境界がある。」等との御指導をいただきました。
『四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)』
文永12年3月6日 54歳
此(こ)の経をき(聞)ゝう(受)くる人ひとは多し。まことに聞き受くる如くに大難来きたれども「憶持不忘(おくじふもう)」の人ひとは希(まれ)なるなり。受くるはやす(易)く、持つはかた(難)し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値(あ)ふべしと心得て持つなり。
(御書775ページ12行目~14行目)
令和7年11月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『土籠御書』を拝読申し上げ、通解並びに本抄全体の概要等について述べられたのち、「言行一致(げんぎょういっち)、すなわち言うことと行いが一致していることで、周囲の多くの人たちから信頼されるが、それは仏法においても同じである。御法主日如上人猊下が〈身口意の三業にわたる信心の実践〉について御指南の通り、私たちの信心は言行一致しての実践である。その実践とは、自行の勤行・唱題と、化他行の慈悲の折伏行に励むことであり、それがなければ日蓮正宗の信心にならない。その実践あればこそ、幸せな境界となり成仏得道できるのである。それを信仰の根幹として生涯忘れることなく、講中一同して力を合わせて実践してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
『土籠御書(つちろうごしょ)』
文永8年10月9日 50歳
日蓮は明日(あす)佐渡国(さどのくに)へまか(罷)るなり。今夜(こよい)のさむ(寒)きに付けても、ろう(牢)のうちのありさま、思ひやられていたは(痛)しくこそ候へ。あはれ殿は、法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母・六親・一切衆生をもたす助け給ふべき御身なり。法華経を余人のよ(読)み候は、口ばかりことば(言)ばかりはよ(読)めども心はよ(読)まず、心はよ(読)めども身によ(読)まず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。
(御書483ページ6行目~9行目)
御法主日如上人猊下御指南
信仰とは実践であり体験であり、事(じ)を事(じ)に行じていくのが大聖人様の仏法であります。いくら頭で考え、決意をしても、座(ざ)したままで行動を起こさなければ、折伏はできません。幸せにもなれません。動いて大御本尊様の御照覧を仰ぐか、座して悔いを万代に残すか、ここが正念場であります。
(『大日法』平成18年8月1日号)
〒211-0025
川崎市中原区木月3-35-12
電話:044(411)6826
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