
妙とは、具の義と示される。法華経方便品に、
「欲聞具足道(具足の道を聞きたてまつらんと欲す)」(法華経97ページ)
とあるように、具足の意義が法華経の真髄である。古往今来の宗教哲学において、その一切は神が人間や万物を造ったと言い、また仏教でも、方便教は心があらゆるものを造り、生ずると言う。この造や生の哲学宗教は、絶対の真理ではない。それは、万物が具の義によって存在し、生かされているからである。
一心は即、一切の事理を具(そな)えるとの一念三千を道破した方は、法華経能説の教主釈尊と、法華経流通の正師天台大師および伝教大師と、その根本の久遠元初の妙法を顕された日蓮大聖人の他に存在しない。我々は、その妙法を唱える時のみ、一心に一切を具える尊い功徳が存する。
故に、その時と因縁に応じて不思議なひらめき、霊感を受け、種々の生活上の功徳を得るのである。
(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』 22ページ)
令和7年10月26日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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【令和4年から】★成人式
【令和7年】★本堂大改修工事 ★御会式(10月26日)【令和6年】★御会式(11月17日)★お餅つき(12月15日)【令和5年】★御会式(10月15日)★宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念 支部総登山(4月・9月・11月)★お餅つき(12月17日)【令和4年】★御会式(10月23日)★お餅つき(12月18日)【令和3年】★大乗山持経寺 座替り式 並 第三代住職入院式(11月26日)★お餅つき(12月19日)
■お経日(1日) ■広布唱題会(2日) ■御報恩御講(9日) ■目師会(15日)
お弟子の日尊師・日郷師とともに京へ天奏に向かわれる日目上人(宮沢慈悳師拝写)
令和7年11月15日午前10時より、目師会(もくしえ)が持経寺本堂において奉修されました。
第三祖日目上人は、日蓮大聖人に御入滅の日まで常随給仕し、日蓮大聖人や日興上人に代って天皇や将軍に国家諌暁(こっかかんぎょう)の申状(もうしじょう)を奏上すること実に四十二度。その御高徳を拝し御報恩のために奉修されるのが目師会です。
法要は献膳・読経・唱題行と如法に厳修され、天野御住職より日目上人様について、御出自から日興上人との出会い、および身延における7年間の日蓮大聖人への常随給仕について。また大石寺開創の翌十三日に日興上人より血脈内付の証として授与された譲座(じょうざ)御本尊(御座替御本尊/おざがわりごほんぞん)と『日興跡条々事』を賜っての第三祖としての御相承、そして最後の天奏について等々その御事跡について縷々述べられたのち、「この目師会をもって日目上人様の御功績を拝し奉り、その礎のもとに今の私たちの信行があることに御報恩謝徳申し上げ、私たちはそのお姿の一分でも学び次の代に渡し、そして折伏していくことが私たちの使命である。」等との御指導をいただきました。そして最後に日目上人様の御申状を奉読申し上げお題目を三唱し、「こうして奉読ののち題目三唱したということは、皆さんも奉読したという意義がある。それはどこまでも折伏根本に、皆がお題目を唱えていけるように努めていくことをお誓いしたということであり、また新たな気持ちで折伏弘教に精進してまいりましょう」等と述べられ、本年の目師会を結ばれました。
そして法要終了後、目師会の別称「かぶ御講」にちなんで、総本山と同様にお寺様がかぶのお味噌汁とおにぎり、お漬物等をご用意くださり、参詣者みんなで美味しく頂戴いたしました。
『日目上人申状(にちもくしょうにんもうしじょう)』
日蓮聖人の弟子日目、誠惶誠恐(せいこうせいきょう)謹んで言(もう)す。
殊(こと)に天恩(てんのん)の蒙(こうむ)り、且(か)つは一代説教の前後に任せ、且つは三時弘経の次第に准じて正像所弘(しょうぞうしょぐ)の爾前迹門(にぜんしゃくもん)の謗法を退治し、末法当季の妙法蓮華経の正法を崇(あが)められんと請(こ)うの状。
副(そ)え進ず
一巻 立正安国論 先師日蓮聖人文応元年の勘文
一通 先師日興上人申状
一、 三時弘経の次第
右謹んで案内を検(かんが)えたるに、一代の説教は独り釈尊の遺訓なり。取捨(しゅしゃ)宜しく仏意(ぶっち)に任すベし。三時の弘経は則ち如来の告勅(ごうちょく)なり。進退全く人力(にんりき)に非ず。
抑(そもそも)一萬餘宇(いちまんよう)の寺塔を建立して、恒例の講経(こうきょう)陵夷(りょうい)を致さず。三千餘(さんぜんよ)の社壇(しゃだん)を崇敬(そうぎょう)して、如在の礼奠(らいでん)怠懈(たいげ)せしむることなし。
然(しか)りと雖(いえど)も、顕教密教(けんぎょうみっきょう)の護持(ごじ)も叶わずして、国土の災難日に随って増長し、大法秘法の祈祷(きとう)も験(しるし)なく、自他の反逆(ほんぎゃく)歳(とし)を逐(お)うて強盛(ごうじょう)なり。神慮(しんりょ)測られず仏意(ぶっち)思い難し。
倩(つらつら)微管を傾け聊(いささ)か経文を披きたるに、仏滅後二千餘年の間、正像末の三時流通の程、迦葉・竜樹・天台・伝教の残したもうところの秘法三(みつ)あり。所謂(いわゆる)法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字となり。
之(こ)れを信敬(しんぎょう)せらるれば、天下の安全を致し国中の逆徒を鎮(しず)めん。此(こ)の條(じょう)如来の金言分明(きんげんふんみょう)なり。大師の解釈(げしゃく)炳焉(へいえん)たり。
就中(なかんずく)我が朝(ちょう)は是れ神州なり。神は非礼を受けず。三界は皆仏国なり、仏は則ち謗法を誡(いまし)む。然(しか)れば則ち爾前迹門の謗法を退治せらるれば、仏も慶(よろこ)び、神も慶ぶ。法華本門の正法を立てらるれば、人も栄え、国も栄えん。
望み請う、殊に天恩の蒙り諸宗の悪法を棄捐(きえん)せられ、一乗妙典(いちじょうみょうでん)を崇敬(そうぎょう)せらるれば、金言しかも愆(あやま)たず、妙法の唱(となえ)閻浮(えんぶ)に絶えず、玉體(ぎょくたい)恙無(つつがの)うして宝祚(ほうそ)の境(さかい)天地(あめつち)と疆(きわ)まり無けん。
日目先師の地望(ちぼう)を遂(と)げんがために、後日の天奏(てんそう)に達せしむ。誠惶誠恐(せいこうせいきょう)謹んで言(もう)す。
元弘三年十一月 日目
【通解】
日蓮大聖人の弟子である日目が、謹しんで申しあげます。
とくに天皇の大恩をいただき、一方には釈尊一代の説法のうち、爾前経と法華経の説法の前後にまかせ、他方には釈尊滅後の時代区分である正法・像法・末法の各時代の弘経の順序によって、正法・像法時代に弘まった爾前迹門の謗法を退治し、末法の衆生が救われる妙法蓮華経の正法を崇められることを、心より望み奉る状を捧(ささ)げます。
副え奉ります。
一巻 立正安国論 先師・日蓮大聖人が文応元年に記した勘文
一通 先師日興上人の申状
一つ 三時弘経の次第
右の趣旨を謹んで述べさせていただくならば、一代の説教とは独り釈尊が遺された尊い教えです。その多くの経々を取捨選択するときは、あくまで仏の心を根本としなければなりません。釈尊滅後の正・像・末の三時に弘めるべき法についても如来の告示があり、その弘法を我等凡夫の力と思ってはなりません。
もともと、仏法が伝来してより今に至るまで、一万余りの寺院を建立して、いつも仏の徳を賛嘆し、経典の講義は一向に衰えてはおりません。また、三千余りの神社を敬って、そこに神がおられると思って礼を尽くし、供物を捧げることを怠ったことはありません。しかし、顕教・密教による護持の祈祷も叶わず、国土の災難は日が経つにつれて増長しています。大法や秘法の祈りも効験(しるし)なく、種々の争いは年とともに盛んになっています。これでは、神の御意がどこにあるのか測ることができず、仏の御意もいずれにあるのかわかりません。
自らの非才の身をもって、少々経文を開いて考えてみますと、仏の滅後、二千余年が経過していますが、その間に正法・像法・末法の三時に流通(るつう)した教えのなかで、迦葉尊者・竜樹菩薩・天台大師・伝教大師が弘めずに残された秘法が三つあります。それは、法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字です。今こそ、この三大秘法を信じ敬っていけば、世の中は正しく治まり、秩序を乱そうとする国内の反逆者を鎮めることができるのです。このことは仏の経典に明らかに説かれていることであり、天台大師等の解釈にも明白です。
ましてや、この国は神が守護される国土です。神は非礼を受けられません。また、娑婆世界を含めた三界は皆仏国です。仏は謗法を諌(いさ)めています。したがって、爾前迹門の謗法を退治するならば、仏も慶び、神も慶ばれるのです。法華本門の正法を立てるならば、人も栄え国も栄えるのです。
望み願わくば、とくに天皇の大恩をいただき、諸宗の悪法を捨てられ、法華一乗の経典を崇め敬うならば、仏の金言には誤りはありません。つまり、国のいたる所で妙法蓮華経を唱えられ、天子の御身は健康に恵まれ、天子の政(まつりごと)が永遠に続いて、世の中も栄えます。
私日目は、先師日蓮大聖人の願望を遂げんがために、後日に天皇に奉上申し上げる次第です。
誠に恐れながら、謹んで申しあげます。
元弘(げんこう)三年十一月 日目
令和7年11月9日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、七五三祝いののち、天野御住職より令和7年11月度・御報恩御講拝読御書『兄弟抄』を拝読申し上げ、通解並びに池上家と当時の時代背景、同抄全体の概要等について述べられ、「私たちの生活においても、ご夫婦のどちらかが信心していない、両親は信心していても子供は信心していないなど、同じ御本尊様を拝せないところから苦しみが生じる。ことに子供に信心を法灯相続できていないと、自身が老齢になった時に厳しい状況にもなり得る。自分の人生の最後まで御本尊様を拝していけるようによくよく考え、しっかりと法灯相続しなければならない。池上兄弟は20年もの歳月をかけて真言律宗の僧・極楽寺良寛の熱心な信者であった父親を折伏した。皆さんにおいてもこれから大変な場面があったとしても、どこまでも御本尊様を中心に、決して魔に負けることなく、自分の人生を誤らないように、何があっても真っ直ぐに進んでまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
また御報恩御講終了後、各総地区ごとに集まって折伏推進のための座談会が開催されました。
『兄弟抄(きょうだいしょう)』
建治2年4月 55歳
我が身は過去に謗法(ほうぼう)の者なりける事疑(うたが)ひ給ふことなかれ。此(これ)を疑って現世(げんぜ)の軽苦(きょうく)忍びがたくて、慈父(じふ)のせ(責)めに随(したが)ひて存(ぞん)の外(ほか)に法華経をす(捨)つるよしあるならば、我が身地獄に墜(お)つるのみならず、悲母(ひも)も慈父も大阿鼻地獄(だいあびじごく)に墜ちてともにかな(悲)しまん事疑ひなかるべし。大道心(だいどうしん)と申すはこれなり。各々(おのおの)随分(ずいぶん)に法華経を信ぜられつるゆへに、過去の重罪をせ(責)めいだし給ひて候(そうろう)。
(御書981頁15行目〜982頁1行目)
令和7年11月2日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、『四条金吾殿御返事』を拝読申し上げ、通解ののち「初信者であれ信心歴の長い人であれ、何か講員同士や住職との行き違いなど、ほんの些細なことから信心をやめてしまう人が多い。しかしこの御文の通り、何があっても堅く持(たも)っていくことが自身の幸せ、成仏得道のためである。」と述べられ、さらに「日蓮大聖人様の信心は、波のないところに波を立たせる教えである。他宗他門は葬儀や法事だけのものであるが、大聖人様の教えは破折・折伏の宗旨であり、座して何もしない教えではない。相手を破折することで時には摩擦が生じ、辛い思いをすることもある。しかしそれも心得て御遺命の広宣流布のために精進することで、大変であってもその中に本当の幸せな境界がある。」等との御指導をいただきました。
『四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)』
文永12年3月6日 54歳
此(こ)の経をき(聞)ゝう(受)くる人ひとは多し。まことに聞き受くる如くに大難来きたれども「憶持不忘(おくじふもう)」の人ひとは希(まれ)なるなり。受くるはやす(易)く、持つはかた(難)し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値(あ)ふべしと心得て持つなり。
(御書775ページ12行目~14行目)
令和7年11月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『土籠御書』を拝読申し上げ、通解並びに本抄全体の概要等について述べられたのち、「言行一致(げんぎょういっち)、すなわち言うことと行いが一致していることで、周囲の多くの人たちから信頼されるが、それは仏法においても同じである。御法主日如上人猊下が〈身口意の三業にわたる信心の実践〉について御指南の通り、私たちの信心は言行一致しての実践である。その実践とは、自行の勤行・唱題と、化他行の慈悲の折伏行に励むことであり、それがなければ日蓮正宗の信心にならない。その実践あればこそ、幸せな境界となり成仏得道できるのである。それを信仰の根幹として生涯忘れることなく、講中一同して力を合わせて実践してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
『土籠御書(つちろうごしょ)』
文永8年10月9日 50歳
日蓮は明日(あす)佐渡国(さどのくに)へまか(罷)るなり。今夜(こよい)のさむ(寒)きに付けても、ろう(牢)のうちのありさま、思ひやられていたは(痛)しくこそ候へ。あはれ殿は、法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母・六親・一切衆生をもたす助け給ふべき御身なり。法華経を余人のよ(読)み候は、口ばかりことば(言)ばかりはよ(読)めども心はよ(読)まず、心はよ(読)めども身によ(読)まず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。
(御書483ページ6行目~9行目)
御法主日如上人猊下御指南
信仰とは実践であり体験であり、事(じ)を事(じ)に行じていくのが大聖人様の仏法であります。いくら頭で考え、決意をしても、座(ざ)したままで行動を起こさなければ、折伏はできません。幸せにもなれません。動いて大御本尊様の御照覧を仰ぐか、座して悔いを万代に残すか、ここが正念場であります。
(『大日法』平成18年8月1日号)
■お経日(1日) ■広布唱題会(5日) ■御報恩御講(12日)
令和7年10月12日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、天野御住職より令和7年10月度・御報恩御講拝読御書『内房女房御返事』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要等について述べられ、「毒薬変じて薬となるとは〈変毒為薬/へんどくいやく〉であり、『当体義抄』の有名な御文にあるとおり、正直に大聖人様の妙法蓮華経のお題目をしっかり唱えていくならば、貪瞋痴(とん・じん・ち)三毒の煩悩による苦悩の人生が、煩悩を断ずることなくその身そのままで悟りの境界に至るのである。どこまでもしっかりと人生の最後まで、お題目を唱えていくことが大切である。信徒同士の諍(いさか)いや住職への不信等々からお寺から、信心から離れていく人が多い。自分はそんなことはないと思っていても、ちょっとしたつまらないことで放り投げてしまうのである。最後までお題目を唱え唱えて、自身とご縁ある方々と共々に幸せになっていけるようにご祈念していくならば、信心を放り出すような命は出てこない。また、お寺と総本山に通じていくお題目を唱えていかなければならない。お寺や総本山に不信を持ちながらお題目を唱えたところで、正しい唱題にはならない。」等と述べられ、さらに「法燈相続(ほっとうそうぞく)は最大事である。自分が元気なうちに先々のことを考えないと、最後は気の毒な姿になりかねない。外の人に向かっては元気に折伏するのに、自分の子供に対しては全然であったりする。自分の一番大事な人に信心を伝えてないのは、日顕上人様の仰せの通り、真に御本尊様を信じていないからである。子供が親の姿を見て、自分から信心するなどありえない。これは自分の言葉で伝えなければ絶対に通じない。」等との御指導をいただきました。
また御報恩御講終了後、各総地区ごとに集まって法燈相続のための座談会が開催されました。
『内房女房御返事(うつぶさにょうぼうごへんじ)』
弘安3年8月14日 59歳
妙法蓮華経の徳(とく)あらあら申し開くべし。毒薬(どくやく)変じて薬となる。妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる。玉泉(ぎょくせん)と申す泉(いずみ)は石を玉(たま)となす。此の五字は凡夫(ぼんぶ)を仏となす。されば過去の慈父尊霊(じふそんりょう)は存生(ぞんしょう)に南無妙法蓮華経と唱(とな)へしかば即身成仏(そくしんじょうぶつ)の人なり。石変じて玉と成(な)るが如し。孝養(こうよう)の至極(しごく)と申し候(そうろう)なり。
(御書1492頁10行目〜12行目)
『当体義抄(とうたいぎしょう)』
文永10年 52歳
正直に方便を捨て但(ただ)法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦の三道、法身(ほっしん)・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて、三観(さんがん)・三諦(さんたい)即一心に顕はれ、其(そ)の人の所住の処(ところ)は常寂光土(じょうじゃっこうど)なり。
(御書694頁14行目〜)
令和7年10月5日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、「自分勝手な思いなどの私心をかなぐり捨てて、自身のお命を御本尊様におまかせしてお題目を唱えていく中に、自ずと知らぬうちに大きな福徳を積むことができる。」等と述べられたのち、『土籠御書』および総本山第二十六世日寛上人『如説修行抄筆記』を引用され、「身口意(しん・く・い)の三業にわたる信心が大切である。心と口と身で御本尊様を拝して信心していかなければ本当の幸せはないし、私たちの願いは叶わない。自行と折伏行の両輪が大事であり、自分の幸せだけ願っていたのでは、身口意のいずれかが傷んでくる。」等との御指導をいただきました。
『土籠御書(つちろうごしょ)』
文永8年10月9日 50歳
法華経を余人のよ(読)み候は、口ばかりことば(言)ばかりはよ(読)めども心はよ(読)まず、心はよ(読)めども身によ(読)まず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。
(御書483頁)
総本山第二十六世日寛上人
『如説修行抄筆記』
常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法になるなり。口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。手に珠数を持ちて本尊に向かわずんば、身が謗法に同ずるなり。
(日寛上人御書文段 608頁)
令和7年10月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『乙御前御消息』を拝読申し上げ、通解並びに当時の背景、全体の概要等について述べられたのち、「何よりも志を積み重ねていくならば、他の人よりも功徳・利益も勝る。私たちの信心において〈志を積み重ねる〉とは、日々に自行化他に精進するということである。そこに前向きに取り組む人が志を重ねる人である。御法主上人猊下の御指南のままに、そして共々に励まし合いながら頑張ってまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
『乙御前御消息(おとごぜんごしょうそく)』
建治元年8月4日 54歳
いよいよ強盛の御志あるべし。氷は水より出でたれども水よりもすさ(凄冷)まじ。青き事は藍(あい)より出でたれどもかさ(重)ぬれば藍よりも色まさる。同じ法華経にてはをはすれども、志をかさぬれば他人よりも色まさり利生(りしょう)もあるべきなり。木は火にやかるれども栴檀(せんだん)の木はやけず。火は水にけ(消)さるれども仏の涅槃(ねはん)の火はきえず。華は風にちれども浄居(じょうご)の華はしぼ(萎)まず。水は大旱魃(かんばつ)に失(う)すれども黄河(こうが)に入りぬれば失せず。
(御書897頁17行目〜898頁3行目)
〒211-0025
川崎市中原区木月3-35-12
電話:044(411)6826
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