神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

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御会式(令和4年) 御会式(令和4年)

令和4年10月23日(日)午後2時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正当会」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅の三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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御会式(令和4年)御会式(令和4年)

令和4年11月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(6日) ■御報恩御講(13日) ■目師会(15日) ■持経寺支部団体登山(27日)

★持経寺支部団体登山(27日)

令和4年11月27日、天野御住職の御引率のもと、法華講持経寺支部団体登山が挙行されました。
コロナ禍の影響によりここ数年、支部総登山は実施されていませんでしたが、今回は支部総登山に準ずる意義をもって、およそ1年前の天野御住職の持経寺御住職就任以来、初めての団体登山となりました。
当日は諸天も寿ぐ好天に恵まれ、およそ180名の参加者全員が午前10時の着山時間に休憩坊に集合し、開催にあたり天野御住職より御指導をいただきました。
そののち午前11時からの御開扉に参列し、御開扉終了後、奉安堂前広場において記念撮影が行われました。
記念撮影終了後、昼食・自由時間ののち、午後1時30分に再び休憩坊に集合し天野御住職より御指導をいただき、団体登山は歓喜にあふれるなか一切を無事に終了いたしました。

★目師会(15日)

令和4年11月15日午後1時より、目師会(もくしえ)が持経寺本堂において奉修されました。
第3祖・日目上人は、日蓮大聖人に御入滅の日まで常随給仕し、日蓮大聖人や日興上人に代って天皇や将軍に国家諌暁(こっかかんぎょう)の申状(もうしじょう)を奏上すること実に42度。その御高徳を拝し御報恩のために奉修されるのが目師会です。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話にあたり天野御住職より『日興跡条々事(にっこうあとじょうじょうのこと)』の御文を拝読申し上げ、日目上人の御事跡についてその御出自から縷々述べられたのち、「御遷化の最期の最期まで身命を賭して天奏に臨んだ不自惜身命のお姿を拝し、それを私たちの心の奥深くに刻んで折伏に精進しなければならない。それを再確認することも、この目師会を奉修する意義である」等との御指導をいただきました。
また法要終了後、目師会の別称である「かぶ御講」に寄せて、総本山と同様にお寺様がかぶのお味噌汁とおにぎり、お漬物等をご用意くださり、感染症対策に留意しつつ、参詣者みんなで美味しく頂戴いたしました。

『日興跡条々事(にっこうあとじょうじょうのこと)』
元弘2年11月10日

「一、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨(にいだきょうあじゃり)日目を座主(ざす)と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子(ちゃくし)分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌(りょうしょう)すべし。
 一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸(か)け奉るべし。
 一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。
 右、日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じて以来七十三歳の老体に至るも敢(あ)へて違失の義無し。十七の歳、日蓮聖人の所に詣で甲州身延山 御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って此くの如く書き置く所なり。仍って後の為(ため)証状件(くだん)の如し。
  十一月十日
           日興花押」
(御書1883頁)

★御報恩御講(13日)

令和4年11月13日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、引き続き御授戒および七五三祝いが執り行われました。そののち御法話にあたり令和4年11月度・御報恩御講拝読御書『阿仏房尼御前御返事』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より拝読御文の通解および本抄の概要と要旨、阿仏房および阿仏房尼御前(千日尼)について等述べられたのち、拝読御文の要点として「謗法厳戒」と「折伏の大事」の二点を挙げられ、「謗法は厳しく戒めなければならないが、門内の人に対しては浅き罪であれ重き過ちであれ、それを厳しく言いとがめて退転させたのでは意味がない。相手の誤りについてしっかりと伝え、本人が信心を生涯全うできるように心がけ励ますことが大事である。」等と述べられ、また折伏の大事について「折伏をするということは、相手の誤りを打ち破ると同時に自分自身の誤りを正すことにもなる。自行と折伏は両輪であり、自分のことだけ考えているわがままな信心では成仏は叶わない。他者のことを思うところに自分自身の幸せがある。」等との御指導をいただきました。

『阿仏房尼御前御返事(あぶつぼうあまごぜんごへんじ)』
建治元年9月3日 54歳

「此(こ)の度(たび)大願(だいがん)を立て、後生(ごしょう)を願はせ給(たま)へ。少しも謗法不信(ほうぼうふしん)のとが(失)候(そうら)はゞ、無間大城(むけんだいじょう)疑ひなかるべし。譬(たと)へば海上(かいじょう)を船にのるに、船をろ(粗)そかにあらざれども、あか(水)入(い)りぬれば、必ず船中の人々一時(いちじ)に死するなり。なはて(畷)堅固(けんご)なれども、蟻(あり)の穴あれば必ず終(つい)に湛(たた)へたる水のたま(溜)らざるが如(ごと)し。謗法不信のあかをとり、信心(しんじん)のなはてをかた(固)むべきなり。浅き罪(つみ)ならば我よりゆるして功徳(くどく)を得(え)さすべし。重きあやまちならば信心をはげまして消滅(しょうめつ)さすべし。」
(御書906頁13行目-16行目)

★広布唱題会(6日)

令和4年11月6日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法話にあたり『観心本尊抄』の一文を拝読申し上げ、通解ののち、「迷いの世界に生きる私たち凡夫は、暗中模索で先のことが見えず不安に思うけれども、信心して正しい御本尊様に真剣にお題目を唱えることで乗り越えていける。唱題の功徳によって、世の中のことを正しくつぶさに見えるようになる。〈仏法即世法〉〈世法即仏法〉であり、世法の見えないところが見え、自分の進むべき道、正しい道が開けてくる。ただし〈結論ありき〉の唱題では正しい道には至らず我見に陥りがちであるので、いろいろな道を考えながら御本尊様にご祈念することが大切である」等との御指導をいただきました。

『如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう)』
文永10年4月25日 52歳

「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識(し)る者は世法を得(う)べきか。」
(御書662頁1行目)

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年11月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『富木尼御前御返事』の御文を拝読申し上げ、拝読箇所の通解並びに同抄の縁由、また富木尼御前について詳細を述べられ、「私たちも年齢を重ねていけば、大なり小なり病気や怪我の体の変調がある。しかしどのような姿になったとしても信心を全うして寿命を迎えるならば、必ずや大聖人様が大白牛車(だいびゃくごしゃ)に乗って迎えに来てくださる。そしてまた大御本尊様の元に馳せ参ずることが私たちの生涯の目的である。そうなれるように、生涯、信心を全うしていただきたい。そして自分たちの跡を継ぐ人たちにもしっかり信心を教え、法灯相続に努力することが大事である。」等との御法話をいただきました。

『富木尼御前御返事(ときあまごぜごへんじ)』
建治2年3月27日 55歳

「病なき人も無常まぬかれがたし。但しとしのはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死にはあるべからず。よも業病(ごうびょう)にては候はじ。設(たと)い業病なりとも、法華経の御力たのもし、阿闍世(あじゃせ)王は法華経を持ちて四十年の命をのべ、陳臣(ちんしん)は十五年の命をのべたり。尼ごぜん又法華経の行者なり。御信心は月のまさるがごとく、しを(潮)のみつがごとし、いかでか病も失(う)せ寿(いのち)ものびざるべきと強盛にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。」
(御書955頁7行目〜)

令和4年10月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(2日) ■御報恩御講(9日)

★御報恩御講(9日)

令和4年10月9日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話にあたり令和4年10月度・御報恩御講拝読御書『撰時抄(せんじしょう)』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より本抄の概要と要旨、対告衆および日興上人との縁由等と拝読部分の通解ののち二つの要点を挙げられ、一つは本抄冒頭の「夫(それ)仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。」との御教示の通り、時に叶った仏法、すなわち大聖人様の南無妙法蓮華経でなければ成仏得道は思いもよらないのであること。もう一点は、大聖人様の仏法が次第に弘まっていき、そして大聖人様はもちろんのこと御歴代上人、また多くの先達のおかげで今の令和に生きる私たちの信心がある。そのことを有り難く思い報恩感謝の信心修行をしていかなければならない。慈悲の心を忘れることなく折伏・法灯相続して先達の皆様に恥じぬように、等との御指導をいただきました。

『撰時抄(せんじしょう)』
建治元年6月10日 54歳

「一渧(いってい)あつまりて大海(だいかい)となる。微塵(みじん)つもりて須弥山(しゅみせん)となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚(みょうがく)の須弥山ともなり、大涅槃(だいねはん)の大海ともなるべし。仏になる道は此(これ)よりほかに又もとむる事なかれ。」
(御書868頁2行目-5行目)

★広布唱題会(2日)

令和4年10月2日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法主上人猊下の御指南による広布唱題会の意義等について、「自宅で唱題することも大事ではあるけれでも、こうして一同して心を一つにして唱題することも大切である。また信心の姿勢、読経・唱題も身についていく。わがままな人は勤行もわがままであるが、皆で一緒に読経・唱題するなかで相手を思いやる心が生まれ、それが慈悲になり、折伏して人を救っていくことにつながっていく。自分勝手な唱題をしていたら慈悲の心は出てこない。それも一同して唱題する大切な意義である。」等と御指導をいただきました。

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年10月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『法衣書』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由・全体の概要を述べられたのち、拝読箇所の要点として「因果応報」を挙げられ、因果の理法についての第26世・日寛上人の御指南を引用され、「私たちは自身の現状の姿を嘆いてしまいがちだが、大聖人様の正法を受持信行しているのであるから、必ずや今世でも来世でも幸せな境界で人生を全うできる。大事なことは、人生の最後の最後までお題目を唱えて信心に精進していくこと」等と御指導をいただきました。

『法衣書』
弘安3年 59歳

「抑(そもそも)食は命をつぎ、衣は身をかくす。食を有情に施すものは長寿の報をまねき、人の食を奪うものは短命の報をうく。衣を人にほどこさぬ者は、世々所生に裸形(らぎょう)の報をかん(感)ず。六道の中に人道已下は皆形裸にして生まる。天は随生衣(ずいしょうえ)なり。其の中の鹿等は無衣にして生まるのみならず、人の衣をぬすみしゆへに、身の皮を人には(剥)がれて盗みし衣をつぐ(償)のうほう(報)をえ(得)たり。(中略)日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり。故に天これをにく(憎)ませ給いて、食衣とも(乏)しき身にて候。しかりといえども法華経を口に誦し、ときどきこれをと(説)く。譬えば大蛇(おろち)の珠を含み、いらん(伊蘭)よりせんだん(栴檀)を生ずるがごとし。いらんをすてゝせんだんまいらせ候。蛇形をかくして珠を授けたてまつる。」
(御書1546頁)

特設ページ

持経寺第3代御住職入院式 持経寺第3代御住職入院式

去る令和3年11月26日、持経寺本堂において、座替り式並びに第3代御住職・天野之道(あまの・しどう)御尊師の入院式が厳粛に奉修されました。
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