神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺(川崎・横浜) 神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺(川崎・横浜)

神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院
大乗山持経寺

神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺(川崎・横浜)

特設ページ

御会式(令和5年) 御会式(令和5年)

令和5年10月15日(日)午前11時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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御会式(令和5年)御会式(令和5年)

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令和6年8月

■お経日(1日) ■広布唱題会(4日) ■御報恩御講(11日) ■盂蘭盆会(15日)

★盂蘭盆会(15日)

令和6年8月15日、午前10時と午後1時の2回にわたり、盂蘭盆会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話にあたり天野御住職より『御義口伝』を拝読申し上げ、「皆様とともに唱えた読経・唱題の功徳は、たとえ亡き諸精霊がどこにあろうとも、必ずその功徳善根は行き渡り即身成仏が叶うのであり、諸精霊方もさぞかしお喜びのことと拝察します」等と述べられ、さらに廻向(回向)について、「廻向という言葉は梵語の 〈Pariṇāmanā, パリナーマナー〉に由来し、自身が積んだ善業の功徳を他に廻し向かわしめることである。しかし世間一般の、他宗寺院に参詣したりお墓参りをしたり位牌に手を合わせる等の廻向では、仏様の正法をもって廻向されていない故に、ご先祖の苦しみを抜き成仏に導くことはできない。大聖人様が『上野殿御返事』に御教示の通り、末法における仏様の一切の悟り、一切の功徳はすべて南無妙法蓮華経の五字七字に具(そな)わる。したがって正しい廻向を願うならば、大聖人様の正しい御本尊様にお塔婆を建立し南無妙法蓮華経の題目を唱え、その自身の功徳を亡き諸精霊方に廻し向かわしめるのが正しい廻向である。そしてお塔婆の意義は『草木成仏口決』に仰せのように、草木のお塔婆にお題目と故人の名をしたためて御本尊様にお供えし、開眼供養(かいげんくよう)することにより草木成仏し、亡き諸精霊方は即座に成仏の境涯に至る。今後も機会あるごとにお塔婆を建立し、四恩の第一番である〈父母の恩〉を報じてまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『御義口伝(おんぎくでん/就註法華経口伝)』

今日蓮等の類(たぐい)聖霊(しょうりょう)を訪(とぶら)ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、題目の光無間(むけん)に至って即身成仏せしむ。廻向(えこう)の文(もん)此(これ)より事起こるなり。
(御書1724頁2行目〜)

『上野殿御返事(うえのどのごへんじ)』
弘安元年4月1日 57歳

今、末法(まっぽう)に入りぬれば余経(よきょう)も法華経(ほけきょう)もせん(詮)なし。但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし。
(御書1219頁6行目〜)

『草木成仏口決(そうもくじょうぶつぐけつ)』
文永9年2月20日 51歳

我等(われら)衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。
(御書522頁)

★御報恩御講(11日)

令和6年8月11日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年8月度・御報恩御講拝読御書『上野殿御返事』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要、御述作当時の時代背景および対告衆である南条時光殿の状況等について述べられたのち、「南条時光殿は大変に苦しい状況においても、大聖人様への御供養を欠かさなかった。そして750年前に南条時光殿が御供養によって大聖人様および御一門を外護(げご)されたからこそ、今に御本尊様が伝持されている。そのように、今度は私たちがお寺と総本山を支える御供養を申し上げることで、100年後200年後の多くの御信徒の方々が御本尊様の功徳に浴することができるのであるから、令法久住(りょうぼうくじゅう)のためには、私たちの真心からの御供養が大切である。仏法僧の三宝様への、御報恩のための真心からの御供養に励むことで、私たちは莫大な功徳善根を積む大善業の姿となる。」等と述べられ、さらに「〈教える〉ということは折伏と育成であり、御本尊様に勤行・唱題することで成仏得道し幸せになることを教えることである。折伏によって私たち自身の信心が堅固(けんご)となるのであり、他に向かって大聖人様の仏法を語っていかなければ、信心が自分の身につかない。」等との御指導をいただきました。

『上野殿御返事(うえのどのごへんじ)』
弘安3年12月27日 59歳

仏にやすやすとなる事の候(そうろう)ぞ、をしへまいらせ候はん。人のものををし(教)ふると申すは、車のおも(重)けれども油をぬりてまわり、ふね(船)を水にうかべてゆきやすきやうにをし(教)へ候なり。仏になりやすき事は別のやう候はず。旱魃(かんばつ)にかわ(渇)けるものに水をあた(与)へ、寒氷(かんぴょう)にこゞ(凍)へたるものに火をあたふるがごとし。又、二つなき物を人にあたへ、命のた(絶)ゆるに人のせ(施)にあふがごとし。
(御書1528頁8行目〜11行目)

★広布唱題会(4日)

令和6年8月4日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より御法話に先立ち『如説修行抄』の御文を拝読申し上げ、「この末法においては、大聖人様の御本尊様でなければ成仏は叶わず、幸せにもなれない。私たちはご縁ある方々のために慈悲の上から謗法を破折し、救っていくことが使命であり、大聖人様の教えである。折伏において〈三類の強敵〉ほどの大きな障りはなくとも、魔を恐れていたのでは折伏の一歩も踏み出せない。相手が信心に反対したからといって決して引き下がらず、相手の魔との戦い、自分自身の心の中にある魔との戦いであると心得て、慈悲の心を絞り出し、ともどもに折伏に精進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう)』
文永10年5月 52歳

されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵(ごうてき)来たらん事は疑い無し。
(御書673頁3行目〜)

★お経日(1日)

令和6年8月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『法華初心成仏抄』を拝読申し上げ、通解並びに本抄全体の概要等について述べられたのち、「〈よき師〉とは、宗祖日蓮大聖人よりの血脈付法の御法主上人猊下であり、広義にはその命を受けて赴任している各末寺の住職もその一分である。そして〈よき檀那〉とは皆様方のことであり、〈よき法〉とは総本山におわします本門戒壇の大御本尊様であり、その御書写のすべての御本尊様である。この三つが寄り合う姿から、私たちの願いはすべて叶っていく。このことを常に心に入れて、自分勝手な解釈・我見に陥ることなく、決して総本山と菩提寺から離れることなく、御法主日如上人猊下の仰せのままに折伏を常に心掛け、生涯正しい御信心に精進してまいりましょう。その姿の中に、これ以上ない大きな福徳が積み重なっていく。」等との御指導をいただきました。

『法華初心成仏抄(ほっけしょしんじょうぶつしょう)』
弘安元年 57歳

末法今の世の番衆(ばんしゅう)は上行・無辺行等にてをはしますなり。此等を能(よ)く能く明らめ信じてこそ、法の験(しるし)も仏菩薩の利生(りしょう)も有るべしとは見えたれ。譬えばよき火打(ひうち)とよき石のかど(角)とよきほくち(火口)と此の三つ寄り合ひて火を用ゆるなり。祈りも又是(か)くの如し。よき師とよき檀那(だんな)とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就(じょうじゅ)し、国土の大難をも払ふべき者なり。
(御書1314頁2行目〜)

令和6年7月

■お経日(1日) ■広布唱題会(7日) ■御報恩御講(14日) ■盂蘭盆会(15日)

★盂蘭盆会(15日)

令和6年7月15日、午前10時と午後1時の2回にわたり、盂蘭盆会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題(午前10時の回は7月唱題行)、各家塔婆供養等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話にあたり天野御住職より『御義口伝』を拝読申し上げ、〈廻向〉について、「廻向という言葉は梵語の 〈Pariṇāmanā, パリナーマナー〉に由来し、自身が積んだ功徳を他に廻し向かわしめる意味である。しかし世間一般の、他宗寺院に参詣したりお墓参りをしたり位牌に手を合わせる等の廻向では、仏様の正法、正しい御本尊ではない故に、ご先祖の苦しみを抜き成仏に導くことはできず、かえって悪因を積ませることとなる。正しい廻向を望むならば、大聖人様の正しい御本尊様にお塔婆を建立し題目を唱え、自身の積んだ功徳を御祈念と焼香をもって亡き諸聖霊に廻し向かわしめるのが正しい廻向である。それによってご先祖方は過去遠々劫(かこおんのんごう)よりの罪障を消滅させ成仏が叶うのである。その意味からお盆に限らず、彼岸会や年回忌、祥月命日忌等の節目においても、四恩の最初にある〈父母の恩〉、ご先祖方の恩を報じてまいりましょう」等との御指導をいただきました。

『御義口伝(おんぎくでん/就註法華経口伝)』

今日蓮等の類(たぐい)聖霊(しょうりょう)を訪(とぶら)ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、題目の光無間(むけん)に至って即身成仏せしむ。廻向(えこう)の文(もん)此(これ)より事起こるなり。
(御書1724頁2行目〜)

★御報恩御講(14日)

令和6年7月14日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修されたのち、御法話にあたり天野御住職より令和6年7月度・御報恩御講拝読御書『妙密上人御消息』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要等について述べられたのち、総本山第67世・日顕上人の御指南を引用され、「〈我も唱へ〉は自行、〈人にも勧む〉は化他行である。『三大秘法抄』に〈末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり〉とお示しの通り、法華経の題目の根本は〈自行化他〉である。そして無心にお題目を唱えていくならば、仏様の慈悲の心が自然と私たちの心の中に顕れ、私たちの曲がった心は唱題によって〈麻の中の蓬〉〈墨うてる木〉のように真っ直ぐになっていく。唱題によって、他の幸せを願い、救っていこうとする命が沸き起こるのであり、それがなければ折伏の一言も自分の口から出てこない。」等と述べられ、さらに「〈経のまゝに〉とは広義には、御本仏・日蓮大聖人の血脈を相伝あそばされた時の御法主上人猊下の御指南のままにお題目を唱えていくことである。御法主日如上人猊下は、常に自行化他の信心に励むよう御指南であり、その御指南のままに精進することで必ず正しい姿となり、真に幸せになる。折伏は困難であるけれども、かの不軽菩薩の姿に思いをいたし、自身のみならず多くの皆さんと一緒に幸せになることを願って、ともどもに折伏行に精進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『妙密上人御消息(みょうみつしょうにんごしょうそく)』
建治2年閏3月5日 55歳

已今当(いこんとう)の経文(きょうもん)を深くまぼ(守)り、一経(いっきょう)の肝心(かんじん)たる題目(だいもく)を我も唱(とな)へ人にも勧(すす)む。麻(あさ)の中の蓬(よもぎ)、墨(すみ)うてる木の自体(じたい)は正直(しょうじき)ならざれども、自然(じねん)に直(す)ぐなるが如(ごと)し。経のまゝに唱ふればまがれる心なし。当(まさ)に知るべし、仏の御心(みこころ)の我等(われら)が身(み)に入(い)らせ給(たま)はずば唱へがたきか。
(御書967頁12行目〜14行目)

第67世・日顕上人御指南

題目は仏の心がそのまま顕われているから、無心に唱えるとき、その心がおのずから衆生の心に入るのである。
(『すべては唱題から』56頁)

★広布唱題会(7日)

令和6年7月7日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より「本日もこのように大勢の皆さんにご参集をいただいて、広宣流布を目指して心を一つにして唱題し、そして今度は御法主上人猊下の御指南のままに、強い気持ちを持って折伏にご精進いただきたい。皆さんの周りにはたくさんの縁ある方々がいて、その中に皆さんの折伏のひと言を待っている人がいる。心を一つにして、ご信心ができる喜びをもって前進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

★お経日(1日)

令和6年7月1日午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・7月唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『千日尼御前御返事』を拝読申し上げ、通解並びに同抄全体の概要、および対告衆である千日尼と、身延に御登山した夫である阿仏房ついて述べられ、〈御登山の大事〉として、「千日尼と阿仏房の御登山参詣の姿勢は、いつの時代にあっても、私たち日蓮正宗僧俗にとっての規範となる姿である。御信心は本門戒壇の大御本尊様と、大聖人様からの血脈を相伝あそばされた、時の御法主上人猊下の御指南が根本である。御法主上人猊下の御内証を大聖人様と拝し、その大導師のもと、お寺の常住御本尊様や各ご家庭の御本尊様すべての根源・根本である本門戒壇の大御本尊様を拝していくことで、私たちの身の上に正しい信心の姿が顕れる。時代が変わってもその基本は変わらないので、今後も機会を逃さず御登山してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。

『千日尼御前御返事(せんにちあまごぜんごへんじ)』
弘安元年閏10月19日 57歳

「佐渡の国より此の国までは山海を隔(へだ)てゝ千里に及び候に、女人の御身として法華経を志しましますによりて、年々に夫を御使ひとして御訪(とぶら)ひあり。定めて法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏、其の御心をしろしめすらん。譬へば天月は四万由旬(ゆじゅん)なれども大地の池には須臾(しゅゆ)に影浮かび、雷門の鼓(つづみ)は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをは(御座)せども心は此の国に来たれり。仏に成る道も此(か)くの如し。我等は穢土(えど)に候へども心は霊山(りょうぜん)に住むべし。御面(かお)を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上(えじょう)にまひりあひ候はん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
  後(のちの)十月十九日  日蓮 花押
 千日尼御前御返事」
(御書1290頁)

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持経寺の沿革

持経寺本院外観

日蓮正宗・大乗山持経寺は、昭和41年(1966年)12月に建立されました。以来50年以上の長きにわたり、川崎の地で日蓮大聖人の正しい信仰を護り伝えています。

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行事案内

持経寺御会式のお花飾り

日蓮正宗では、御報恩御講をはじめとする月例行事、また年間最大行事である御会式をはじめとする年中行事など、さまざまな寺院行事が奉修されています。

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日蓮正宗の信仰

建長5年(1253年)4月28日、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」の宗旨を建立されました。立宗770年。日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人の血脈を受け継ぐ正統門下です。

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法華講持経寺支部

日蓮正宗の信徒組織を「法華講(ほっけこう)」といい、全国の日蓮正宗寺院には各法華講の支部があります。ここでは法華講の由来と持経寺支部をご紹介します。

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