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【これまでに掲載された巻頭言】
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ほたるに思う

そよ風「蛍獲て少年の指みどりなり」 誓子

世の中大変明るくなった。
といっても世情、人心が明るくなったと言っているのではない。物理的・視覚的に世界が明るくなりすぎたと言っているのである。
柳田国男が『火の昔』の中で書いている。
「闇(やみ)を明るくするために、皆が大変な苦労をした」
そして闇の晩は、
「村や屋敷の中までが別世界になって」
その闇にまぎれて何かが忍び寄ってくるのではないかと誰もが不安を抱いた。
幼い頃は闇が怖かった。何かが潜んでいるのを肌で感じた。ものの気配に鋭感になった。たぶん原始の記憶がよみがえるのであろう。あの鋭感さはもう過去のものだ。
私が子供の頃には「度胸だめし」という夜の遊びがあったが、今の子供達は明るい蛍光灯の室内でテレビゲームに興ずる。
闇夜の暗さの中にはある種のメルヘンもあって、花火、蛍狩りなど少年の胸をときめかせた夏の風物詩である。

宮沢賢治の詩が思い出される。
「こんなやみよののはらのなかをゆくときは客車のまどはみんな水族館の窓になる」
あの頃はまだ、いろんな暗さといろんな明るさがあった。
蛍を見なくなって久しいが、街にも村にも蛍光灯は氾濫している。日本は世界に誇る蛍光灯大国だそうである。蛍の光の灯と書きながら、蛍のかそけさはない。あくまで明るい昼光色である。
経に云く、
「日月の光明の能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く云々」(開結516頁)


大乗山 持経寺住職  丸岡雄道・著『麻畝の性 巻頭言  第二聚』より(禁無断複製転載)
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