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【これまでに掲載された巻頭言】
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生と死と

苧環「起ち直る草や早乙女の足過ぎて」波郷(はきょう)

五月といえばまだ春という感じだが、暦の上では夏に入る。
五月はさつきとも早苗月ともいう。
農耕民族の日本人にとって五月は、田植えというもっとも大切な仕事をしなくてはならない月である。
田植えは古代では女性の仕事とされていた。苗を植える女性を早乙女と呼んだが、農村の都市化、農業の機械化、食文化の変遷等と相俟(あいま)って、この言葉も死語同然となった。
言葉は衣食住をはじめ、経済、政治、芸術、道徳、宗教等、人間が自然に手を加えて形成してきた文化の変遷を示すバロメーターといえよう。

そういう意味で、言葉にも生があり死がある。新しく生まれた言葉(と言っても、もう言われ始めて久しいが)に「脳死」がある。
平成11年3月28日、高知赤十字病院に「くも膜下出血」で入院していた40代の患者が法的に「脳死」と診断された。そして4月1日、その患者から心臓と肝臓と腎臓と角膜が摘出されて、それぞれ他人に移植されて、それらはそこで息づいている。
「一人の死によって他の人が生を続ける」のが脳死による臓器移植であるが、「能の機能が完全に回復不能となった状態」でも、臓器は細胞的に生きているのである。

仏教死生観でこれをどう捉えるか。
脳死移植へのアプローチは、人間の生と死という古来よりの根元的なテーゼと切り離して考えることはできない。


大乗山 持経寺住職  丸岡雄道・著『麻畝の性 巻頭言  第二聚』より(禁無断複製転載)
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