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【これまでに掲載された巻頭言】
平成26年12月掲載「和氏の壁」  平成26年11月掲載「列星森として……」  平成26年10月掲載「菊人形」
平成26年9月掲載「彼岸雑想」  平成26年8月掲載「扶桑木雑考」  平成26年7月掲載「謙虚な人」
平成26年1月掲載「妙法五字の光明に照らされて」


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和氏の璧

中国の春秋戦国時代、揚子江の中流に栄えた楚(そ)の国の厲王(れいおう)の代に、和氏(かし)という人が、山中で「玉(ぎょく)」の原石を見つけて、これを王に献上した。
玉というのは「タマ」ではなくて、古来、中国で珍重された美しい石のことである。これを細工して杯(さかずき)にしたのが玉杯である。
厲王は喜んで、その原石を宝石師に鑑定させたところ、宝石師は、
「これはただの石です」
といった。厲王は怒って、和氏を足斬りの刑に処し、右足を切断した。

やがて厲王が亡くなって武王の代になった。和氏はまたその石を武王に献上したが、鑑定の結果は前と同じであったため、武王も怒って和氏の左足を切断した。両足を失った和氏は石を抱いて泣き続け、血の涙を流したといわれる。
やがて武王も亡くなり、文王が即位した。文王は和氏の噂を耳にして、その石を磨かせたところ、すばらしい「玉」が現れた。これが天下に二つとない宝物といわれる「和氏の璧」の由来である。
真実が認められることがどんなに難しいことであるか、という教訓である。

時代が下って、趙(ちょう)の君主が「和氏の璧」を手に入れたが、これを聞いた秦王が騙(だま)してまきあげようとした。趙の藺相如(りんそうじょ)は和氏の璧を奉じて秦に使いし、秦王の企(たくら)みを打ち破って、無事それを持ち帰った。
「璧を完(まっと)うした」というこの故事から、完全で傷のないことを「完璧」というようになった。
大聖人様の御法門は「完璧」である。完璧でないのは私ども衆生のほうである。

『日女御前御返事』に曰く、
「叶ひ叶はぬは御信心により候」(御書1519頁)


大乗山 持経寺住職  丸岡雄道・著『麻畝の性 巻頭言  第一聚』より(禁無断複製転載)
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