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据え物の心得

蘭花「冬木の芽光をまとひ扉をひらく」角川源義

戸外へ出ると、群青(ぐんじょう)に澄み切った冬晴れの空に、はや春の光がそこはかとなく感じられた。見上げる公園の落葉樹の梢(こずえ)には、たしかな木の芽のふくらみが見える。
木の芽は、まだ葉の生い茂っている夏から秋にかけて形づくられ、あつい鱗片(りんぺん)におおわれて、休眠状態で厳しい冬の試練に堪えて春を迎える。
トチノキの芽の鱗片には、ねばっこい樹脂がついていて寒さから木の芽を保護し、スズカケノキの芽は葉柄の中に包まれて冬を越す。それらの木々の芽が、冬さなかとはいえ今も、暖かい冬日を浴びて、内なる生命の活動を始めているのである。
もう一ヶ月もすれば、鱗片が割れて、新鮮な若葉色の葉片が見え始めるに違いない。まず梅の花がほころび、山茱萸(さんしゅゆ)の黄色い花が咲き、辛夷(こぶし)の白い花が咲き、花水木、ミモザ、連翹(れんぎょう)、桃、桜、リラと次々に春を謳歌するだろう。
その日のために、厳冬の今、木の芽を「張る(春)」季節はたゆみない活動を続けているのである。
「木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにあらず、下よりきざしつはるに堪えずして、落つるなり」
その昔、大学受験に備えて、古典といえば必ず読んだ『徒然草』の一節である。下より兆(きざ)し育って張るに堪えずして、やがて花開く春を待つ木々に学ぶことは多い。

近頃は、何かというとイデオロギーを振りかざす風潮が多いが、一体イデオロギーとは何か。
日本語では「思想」と訳している。この字の由来について、作家の水上勉さんが面白いことを書いている。
思想の「思」という字は田に心と書く。「想」は、山に木を植えて、その木を目で見る心と書く。つまり「思想」という物の見方、考え方の根底にある心は、相手に対する思いやりの心である。そんなことが、水上さんの何かに書いてあったことがふと思い浮かんだ。思いやりの心の最たるものを「慈悲」というのである。
折伏も、止(や)むに止まれぬ思いやりの心の発露以外の何ものでもない。

『唱法華題目抄』に云く、
「如来は悲を以ての故に発遣(ほっけん)し、喜根は慈を以ての故に強説(ごうせつ)す」(御書231頁)


大乗山 持経寺住職  丸岡雄道・著『麻畝の性 巻頭言  第一聚』より(禁無断複製転載)
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