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【これまでに掲載された巻頭言】
平成23年12月掲載「冬星断想」  平成23年11月掲載「天高く馬肥ゆ」  平成23年10月掲載「秋二題」
平成23年9月掲載「善人の家、悪人の家」  平成23年8月掲載「言葉の網」  平成23年7月掲載「爛柯ということ」
平成23年6月掲載「雨に思う」  平成23年5月掲載「放逸にふける勿れ」  平成23年4月掲載「桜花によせて」
平成23年3月「持ちつ持たれつ」  平成23年2月「ネズミの王様」  平成23年1月「春の初の御悦び」


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冬星断想

群舞「生きてあれ  冬の北斗の柄の下に」  楸邨(しゅうそん)
冬の星座は鮮やかである。
特に北斗七星は冴え渡った寒天にいよいよ瞭(あき)らかで、寒夜の行人に深い感慨を誘う。大都会の空の湿(しめ)りからは失われようとしているが、その煌(きら)めきは荒涼さの中にも、大いなる自然の美を訴えかけてくる。
星の見える位置は季節によって異なるが、同じ季節でも時刻によって違ってくる。昔の人は夜明けや日暮れどきに見る星の位置で、季節を知ることが多かった。
例えば「三つ星の入りあいが麦の蒔(ま)きしゅん」という諺(ことわざ)があるが、これは夜明けのオリオン座の三つ星が、西の山の端(は)に隠れる頃が麦蒔きの季節だと教えたもので、ちょうど今月(12月)ころにあたる。

生活の知恵が生んだ言葉の文化には興味深いものが多い。
「かわたれどき」といえば明け初む早暁(そうぎょう)。「彼(か)は誰(たれ)」と、さだかに見えない刻限を指すし、逆に夕暮れ時は「誰(た)そ彼(がれ)」となる。
なぜ夕暮れ時が「誰彼(たそがれ)」で夜明けが「彼誰(かはたれ)」かについて、江戸時代の随筆には、日が沈んで刻一刻と暗くなっていく夕暮れ時は、早く見きわめようとする思いが「誰だ?彼は」と、まず人称が先になって語気を強め、一方夜明けのほうは、しらじらと夜が明けていけばやがて見分けがつくから「あの人は誰かしら」と少し心のゆとりがあるからだ、と説明されている。
もっとも明け方の星は、早く見分けないとすぐに見えなくなる。「暁天(ぎょうてん)の星」といえば数少ないことの譬(たと)えである。その中でもひときわ目立って金色に輝く「かわたれ星」は、明けの明星、金星の別名である。
大聖人様は、
「日出でんとて明星前に立ち云々」(御書1141頁)
と仰せられて、時を知る大事を御教示くださっている。
かの釈尊はインド尼連禅河(にれんぜんが)のほとり、菩提樹下(ぼだいじゅげ)に夜明けの明星を仰ぎ見て確然と悟りを開き、宗祖大聖人は日本国安房の国、眼下に茫洋(ぼうよう)たる太平洋を望む旭ヶ森山上青葉若葉の下、嚇々(かくかく)とさし昇る日輪に向かって妙法を開宣遊ばされた。
日が昇って明星が光を失うように、白法隠没(びゃくほうおんもつ)して大白法(だうびゃくほう)の時代を迎えたのである。

「実践行動の年」も極月を迎えた。やり残したことはないか、と虚心に反省したい。「師走」は「為果(しは)つ」との説もある。為果ててこそ初めて充実した満足感となる。
「国宝とは何ぞ、道心これなり」と『山家学生式(さんげがくしょうしき/伝教大師の著述)』にある。言うまでもなく「道心」とは道を求めることである。「道」の字は首に「辶(しんにゅう)」をかけている。「辶」は走ることを意味する。言わば自分の首をかけて、すなわち命をかけて走ることが「道心」である。
「道」は続いてこそ「道」である。「何をするか」ではなく「何を続けるか」の発心で、明年「実行前進の年」を迎えよう。


大乗山 持経寺住職  丸岡雄道・著『麻畝の性 巻頭言  第一聚』より(禁無断複製転載)
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